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第47話
(15)
しおりを挟む「――ぼくに尾行をつけてますか?」
呼出し音が途切れた瞬間、勢い込んで和彦は質問をぶつける。返ってきたのは沈黙で、たっぷり二十秒ほど待っている間に、さすがに不躾すぎたと反省する。
「えっと……、すみません。佐伯和彦です。それであの――」
『あー、いや、わかります。和彦さんね。知らない番号だったから、誰かと思いました』
どこか飄々とした口調と、微かな関西弁のイントネーション。返ってきた言葉にほっとして、和彦はもう一度非礼を詫びた。
『今どこですか?』
わずかに笑いを含んだ声で問われる。
「……長嶺の、本宅に……」
公園からまっすぐ本宅に送り届けられた和彦は、客間に入ってすぐにスマートフォンを手に取ったのだ。三田村とは玄関まで一緒だったが、険しい表情で詰め所に向かった。今頃、公園でのことを報告しているだろう。
誰かに見られていたというのが勘違いであったなら、自分の自意識過剰ぶりに顔から火が出るところだ。だからといって、何事もなかったふりができないのが、和彦の立場だ。
『つまり、外を出歩くなら護衛がついてますよね。襲われたとかじゃないんですね?』
和彦の事情の大半を把握しているだけあって、話が早い。
「それは大丈夫です」
『でも、少し冷静さを失ってるようですね。わたしがあなたに尾行をつける理由がありませんから。知りたいことは、あなたからこうして直接お聞きすればいいんですし。なんといっても、もう既知の仲ですから』
指摘されて初めて和彦は、意外に自分は動揺していたのだと知る。傍らに三田村がいて、自分が取り乱せば大事になるとそればかり考えていたのだ。
大きく息を吐き出し、額に手をやる。
「まあ……、そのとおりです。一番最初に頭に浮かんで、連絡もしやすかったのが、あなただったんです。――九鬼さん」
『素性も風体も怪しいですからね、わたし』
「あっ、いえ、そういう意味では……」
強く否定できないのは、実際、初めて九鬼を見かけたとき、怪しい人物だと思ったからだ。
田舎町の小さなスーパーの軒先で、仕立てのいいコートとスーツを着込み、肩にかかるほど長いウェーブがかった髪に、きちんと手入れされた顎ひげを生やし、愛想よく微笑みかけてきた九鬼のことを思い返す。一緒にいたのが、坊主頭で、明らかに堅気ではない佇まいの男ということもあり、あれで警戒するなというのが無理な話だ。
しかし、紗香の墓前で倒れていた和彦を助けてくれた男たちでもある。
九鬼は、和泉家の――というより、総子と正時の息がかかっている男だ。九鬼いわく、野垂れ死にしかけていた自分を救ってくれた恩人とのことで、手足となって働いているのだという。その証が、和泉家が所有する不動産管理を一手に行う会社の社員という立場だ。
総子が言っていた、和彦が『この先を生き抜くための武器』の中には九鬼も含まれているらしく、かなりの切れ者であり、使い勝手がいい人物だということはうかがい知れる。おそらく、限りなく賢吾たちに近い存在だ。和泉家の持つ資産とは、そういう男たちを配しなければならないほど厄介で、魅力的なものなのだ。
頭が痛いのは、和彦も、その会社に役員として名を連ねることになっており、自動的に九鬼を使うことがほぼ決まっている点だ。
『尾行しそうな人間・組織について、他に心当たりはありますか……と、聞くだけ野暮ですね。心当たりがありすぎるでしょう』
ふふ、と電話の向こうで九鬼が笑っている。
和泉家への忠義によって和彦と関わっているという微妙な距離感のせいか、九鬼の言動はどこかドライだ。これまでのところ直接顔を合わせたのは二回。ログハウスに滞在中に数回電話でやり取りをしただけの仲なので、これでもずいぶん砕けた会話ができているとはいえる。祖父母がいる限り、ある種絶対的な信頼がおける人物なのは確かで、和彦は、九鬼をどう使うか思索している最中だった。
情が介在しない分、つき合いやすい男かもしれない。
「……総和会、というのが妥当かもしれませんが、正直、ぼくの勘違いというのが一番ありえる気がします。しばらく山にこもっていたので、人に囲まれる感覚が取り戻せていないというか……」
『言い訳をして、何事もなかったことにするのはやめたほうがいい。あなたが感じたのなら、あったんですよ。尾行が』
九鬼の口ぶりが気になる。和彦がそっと眉をひそめると、客間の外で微かに人の気配がした。電話で話しているとわかったのだろう。気配はすぐに遠ざかる。
「もしかして、何か知ってますか?」
『さあ、どうでしょう』
和泉家に滞在中に感じた、田舎に引きこもっていながらの総子の知見の広さは、九鬼の働きによる部分も大きいようだ。そんな男がこんな物言いをして、何も知らないはずがない。しかし悲しいかな、和彦には問い詰める手段がなかった。
和彦を翻弄するように、九鬼がこんな提案をしてくる。
『近いうちにでも、オフィスに遊びにきてください。わたしと楽しくおしゃべりをしていると、何か情報が転がり出てくるかもしれませんよ。わたし、人としゃべるのが好きなんですけどね、相方――、ああ、坊主頭の奴のことです。烏丸と言うんですがね、元プロレスラーで、そのあとヤクザのフロント企業で用心棒をしていた男なんですが、見たまんま、無口なんですよ。いい奴ではあるんですが、とにかく会話が弾まない』
元ホストの秦並みによくしゃべるなと、うっかり聞き入りながら感心してしまう。
『心配しなくても、健全で、ごく普通のオフィスですから。それは、長嶺組の組長さんも太鼓判を押されると思いますよ』
「……組長って……、賢吾、さん?」
『手土産持参で、挨拶に見えられました。――まあ、偵察でしょうね』
予想もしなかった話に、和彦は軽く混乱する。ようやくこの質問を絞り出した。
「いつの、話です……?」
『一昨日でしたかね。いやー、こっちもバタバタしていましたから、さすがにアポなしだとあまり時間が取れず、申し訳なかったです』
冗談めかしてはいるが、これは皮肉だろう。自分の知らないところで一体何をしているのだと、困惑と怒りが同時に押し寄せてくる。
和彦はスマートフォンを耳に押し当てたまま、手元の九鬼の名刺に視線を落とす。実は九鬼に関する情報は、まだスマートフォンには一切登録していない。個人情報をヤクザに掴まれるのは、九鬼にとって気分がいいものではないだろうと考えてのことだったが――。
和泉家で九鬼から受け取った名刺は、いろいろと書き留めたメモの類と一緒に封筒にまとめて、衣装ケースの衣類の下に一応隠しておいたのだ。和彦としても、この本宅にあって、紙きれ一枚であっても完全に隠し通せると能天気に考えていたわけではない。しかし、それにしても、賢吾の動きが早すぎる。
呆れていいのか、感心していいのか、自分でもわからないまま大きくため息を吐き出す。電話の向こうでやはり九鬼は笑っていた。
『気にしないでください。うちの会社といえば、知る人ぞ知るという存在ですから。住所を調べるぐらい、造作もなかったでしょう。別に隠してもいませんし。それに不動産業界の事情通に聞けば、すぐに噂が出てきますよ。――和泉家の土地に迂闊に手を出すと、骨も残らない目に遭わされる、とか』
朗らかな口調で言われ、危うく聞き流すところだった。和彦の背に冷たい感覚が滑り落ちる。
「えっ……?」
『冗談です。手間だから、さすがに骨ぐらい残します』
さすがに絶句すると、九鬼が軽く唸った。
『和彦さん、まじめですね。笑ってもらわないと、わたしがスベったみたいじゃないですか』
「冗談、ですか……」
『そう思っておいてください。電話ではなんですから、お会いしたときにじっくりお話しましょう。――あなたもうすでに、〈こちら〉側の人間なんですから、これからいろいろと勉強されたほうがいい』
今後和泉家と関わっている限り、足を運ばないわけにもいかず、九鬼の持つ情報も気になる。総子が信頼している人物を、和彦が遠ざけるという選択肢がそもそもなかった。
「でしたら、近いうちに。また改めてお電話して、そちらの都合のいい日をうかがって――」
『堅苦しいですねー。もっとフランクに話してください。うちは基本的に、いくらでも時間の融通が利く仕事の仕方をしてますから、和彦さんの予定に合わせますよ』
「はあ……」
具体的な仕事の内容が気になるところだが、尋ねるといつまでも話が終わらないのが容易に想像がつく。
さすがに今日は疲れたと、和彦は丁寧に礼と詫びを述べて電話を切った。
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