血と束縛と

北川とも

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第47話

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 三田村が連れて来てくれたのは、広大な敷地の公園だった。公園と名はついているが敷地内にさまざまな施設があるようで、設置された敷地内の地図看板をちらっと見ただけでもキャンプ場や植物園、レストランの文字が目に入った。
「……すごいな。バーベキュー場もあるし、池もある」
 子供を連れた家族の姿がすでに何組も視界に入る。だからといって居たたまれなくなるということもなく、学生らしいグループや、幅広い年齢層の男女が楽しげに歩いている姿もある。つまり、医者とヤクザの組み合わせが紛れたところで目立たないということだ。それに、何しろ広い。
「意外な場所を知ってるんだな、三田村」
 スーパーで買い込んできたおにぎりやお茶が入った袋を手に、三田村は目元を和らげる。
「千尋さんに頼まれていたんだ。子供が喜びそうな場所を調べておいてくれと。いくつかピックアップした中にこの公園があって、気になってたんだ」
 千尋の目的を察して、和彦は小さく頷く。
「あいつなりに、父親をやろうとしてるんだな……」
「俺はそういうのとは無縁だから、ただ組がにぎやかになってくれるんなら、嬉しい。――先生も戻ってきてくれたしな」
「戻ってはきたけど、いろいろあった。前のぼくとは、変わったかもしれない」
 冗談めかして言ってはみたものの、三田村から気遣わしげな眼差しを向けられて、心が痛んだ。
「本当は桜の花が見られたらよかったんだが、見頃になるには少し早かったみたいだ」
 レンガ敷きの小道の傍らに桜の木が植えられているが、三田村の言葉通り、まだ花をつけていない。色づいたつぼみがあるのではないかと目を凝らしたいところだが、歩調を緩めた途端に三田村がこちらをうかがってくるので申し訳なくなってくる。
 三田村なりに目的地を設定しているようだった。ときおり歩道に出ている案内板を見ては、道順を確認している。
「……地図だけだとわからないものだな。こんなに歩くことになるとは思わなかった」
 ぼやいた三田村の足元は、スーツに合わせて革靴だ。一方の和彦はスニーカーで、足取りは軽い。
「いい散歩になる。本宅にいると、どうしても運動不足になるからな」
 外に出るのに護衛は必須で、散歩程度で組員を煩わせるのは気が引け、用がない限りはこもりがちになるのだ。三田村は、その辺りの事情をよく理解していた。
「遠慮なく組員に言えばいい。あいつらも息抜きをしたがってるから、先生が声をかければ喜んでついてくる」
「残念。もうそろそろマンションに戻るつもりだ」
「それでも、護衛はつくだろ」
「……一応、体づくりをして、少しだけど自分の身を守る方法も教わったんだけど」
「先生にあまり強くなられると、みんなが残念がるな」
 まったく期待されていないなと、三田村の口ぶりから察する。和彦も、護衛がつくのを本気で嫌がっているわけではないのだ。
「――鷹津は、元警察だけあって、対人格闘をよく知っていただろう」
 突然、三田村の口から鷹津の名が出てドキリとする。変に隠し立てをするほうが不自然なため、和彦は正直に頷く。
「あの男、鍛えることに関してはスパルタだ。毎日嫌になるほど地面に転がされた」
「体を鍛えて、先生自身に戦ってほしいわけじゃないだろう。いざというとき、動じず、怯まない気持ちを持ってくれたらと願ってたはずだ。結局のところ、いくら取っ組み合いが強かろうが、ヤクザの場合、拳銃を使ったほうが話が早いからな」
「……身も蓋もない」
「だが、それが俺たちのいる世界だ。――先生も戻ってきてくれた」
 そう、自分は戻ってきたのだ。
 その事実を改めてかみしめていた和彦の耳に、にぎやかな犬の鳴き声が届く。何かと思って見てみれば、柵で囲った芝生で、犬たちが元気よく駆け回っていた。
 ドッグランまであるのかと、ついふらふらとそちらのほうに歩み出そうとして、ハッとして三田村を振り返る。優しい目で頷かれた。
「――和泉の家には、猫が何匹もいたんだ。もしかすると、まだ会ってない子がいたかもしれない。人懐こいというのとは違って、なんだか客のあしらい方が上手い猫ばかりだったな。ぼくに撫でさせてくれたかと思ったら、すぐにスルッとどこかに行ってしまって。……あと、冬の間生活してたところは山奥だったから、たまに野ウサギとかイノシシを見かけたし、野鳥観察もしてたんだ」
 そんな話をしながら、二人で柵の側に立つ。元気に駆け回る犬ばかりではなく、芝生の隅に所在なさげに佇んでいたり、他の犬に一方的にじゃれつく犬もいて、個性が出ている。眺めているだけで楽しくて目を細めていると、三田村がこう提案してきた。
「組長に頼めば、マンションでペットを飼えるんじゃないか。先生、動物が好きだろう」
「……ぼく程度で動物好きなんて名乗ったら、本物の動物好きに叱られるな」
 走り回っていた大型犬が、何が気になるのか二人の側まで寄ってきて愛嬌を振りまいてくれる。人懐こい大型犬にも心惹かれるものがあるが、この大きさで飛びつかれては自分ならひっくり返るだろうなと、一人で納得した和彦は、三田村を促してドッグランを離れる。
「別に、一人でいて寂しいというわけじゃないから。賢吾もそれを気にしてたのか、いつだったか、猫を飼ったらどうだと言ってきたことがあるけど。ぼくは基本的に無精者だから、危なくて生き物は側に置いておけない」
「先生がそう言い張るなら、そういうことにしておこう」
「なんだか引っかかる言い方だなー」
 肘で三田村を軽く小突く。三田村は一瞬表情を緩めたあと、唇を引き結んだ。
「三田村?」
「――……俺と組長は、たぶん同じことを考えたはずだ。〈こちら〉の世界に、先生が大事にするものをいくつも作っておけば、何かあったときに引き止められると。俺たちは狡いんだ」
「そんなこと、骨身に叩き込まれてるよ」
 三田村の口調が深刻なものになりそうだったため、あえて冗談として受ける。いまさらもう、身近にいる男たちがどれだけ狡猾で悪辣であろうが、すでに和彦はよく知っている。そのうえで、戻ってきたのだ。
「念を押さなくても、ぼくは自分の意志で戻ってきた。だから三田村、そんなに不安がらないでくれ」
 ハッとしたように目を見開いたあと、三田村は口元に手をやった。参ったな、と小さな呟きが和彦の耳に届く。
 二人が腰を落ち着けたのは、池の近くにある広場だった。広場を囲むようにして売店やレストランなどがあり、ずいぶんにぎわっている。広場の一角にも広い芝生があり、シートを敷いてピクニックを楽しむ家族連れも多い。
 ちょうど木陰になっているベンチを見つけて並んで腰掛けると、手軽な昼食をとることにする。
 和彦がおにぎりに齧りついていると、辺りを見回した三田村が売店を指さす。
「先生、足りないなら、あそこでいろいろ売っているみたいだ」
「ぼくは大丈夫。三田村こそ、何か買ってきたらどうだ。ぼくはここにいるから」
 本気かと、三田村が大仰に目を剥く。
「俺が先生から離れるとでも?」
「……ここは見晴らしがいいから、少しぐらい……」
「その少しが、先生と会える最後になるかもしれない」
 和彦が思っていた以上に、唐突に消息不明となった出来事は三田村に――というより、男たちに深い傷を与えたようだ。和彦にとっては鷹津に庇護されていたという感覚だが、賢吾やその周囲にいる者にとっては、和彦がどんな状況に置かれていたのかしばらく不明だったのだ。
「慣れとは怖いな……。自分がどれほど思われて、大事に扱われているのか、すぐに感覚が麻痺する」
 和彦がぽつりとこぼすと、三田村は自嘲気味に唇を歪めた。
「先生には申し訳ないが、そうありがたがられるものでもない。なんといっても俺たちは、先生を閉じ込めて、逃げ出さないための檻を作っているだけなんだから。先生がそう感じてくれてるんなら、こちらの思惑通りだ」
「あんたは悪役ぶるのが似合わないな」
 和彦がニヤリとすると、決まり悪そうに三田村は頭を掻く。
「一応、現役ヤクザなんだが……」
 三田村との間に流れる空気が心地いい。ハスキーな声も、優しい口調も、一途に向けられる眼差しも、何もかもが自分のために存在していると、傲慢にも思ってしまうほどに。
 和彦はつい想像する。自分がいない三か月もの間、三田村という男に〈触れた〉者はいたのだろうかと。いない、と確信が持てるからこそ、己の傲慢さに和彦は打ちのめされる。
「先生……?」
「……なんでもない」
 和彦がおにぎりを勢いよく食べきってしまうと、すかさず三田村からお茶が差し出される。
「――何か難しいことを考えたんだろうが、俺はただ、先生が戻ってきて嬉しい。それだけなんだ。……単純な男だからな」
 向けられた三田村の横顔を一心に見つめる。何か言葉を、と切羽詰まった和彦の口から出たのは、間の抜けた言葉だった。
「三田村、おでん一緒に食べないか?」
 二人の視線は売店に向く。店先でいくつもの吊り下げ旗が揺れており、その中におでんの文字がある。
 ゴミを片付けて立ち上がったところで、ふっと和彦は視界の隅に何か異物を捉えた気がした。同時に嫌な感覚が背筋を駆け抜ける。反射的に傍らの三田村の腕を掴み、何かがいたと思しき方向を見遣る。
 三田村は素早く和彦の前に立ちはだかった。
「どうかしたのか、先生?」
「いや……。誰かが、こっちを見ていた気がしたんだ」
 人の往来はあるが、誰も和彦たちに注意を向けていない。ただ、広場には木が林立しているため、相手が本気で身を潜めるつもりであれば、不可能ではない。特にプロであれば。
 三田村の全身に緊張感と殺気が漲っている。和彦は申し訳なくなり、三田村のジャケットの袖を軽く引っ張った。
「ごめん。やっぱり見間違いだったかも」
「今は組の護衛はついていない。つまり――」
 総和会の車はスーパーで別れたが、尾行されていた可能性がないわけではない。しかしそんなことをして、和彦を警戒させる必要があるのだろうかという疑問がある。気になるなら、堂々と同行すれば済む話だ。
 ふと和彦は、ある可能性に思い至る。
 まだ周囲を見回している三田村を促し、結局おでんは諦めて帰ることにする。
「先生、何か心当たりは?」
 三田村の問いに、和彦は軽く肩を竦める。
「ありすぎて、なんとも言えない」
「……先生の日常は波乱万丈だ」
 否定できず、和彦は苦い顔で背後を振り返り、誰かと視線が合わないか念のため確認していた。

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