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第47話
(5)
しおりを挟む実家に置いていった和彦の荷物は、すべて客間に運び込まれていた。里帰りをしたときは年末だったため仕方ないが、そのとき持っていた着替えはすっかり季節外れとなっており、改めて、自分が不在の間に流れた時間について実感する。
長嶺組の男たちに抜かりはなく、新しい春物の衣類が用意されており、ありがたく和彦は着替えを済ませた。
文机の上には、里帰りに持って行った着替え以外の細々としたものが、整理して置かれている。文庫の一冊を開くと、三田村からクリスマスプレゼントとして贈られた栞が挟まっていた。それだけではなく、賢吾からの香水と、千尋からの名刺入れもきちんと戻ってきている。鷹津との生活で切り離していたものが、一つ一つ自分の中に戻ってきているような、不思議な感覚だった。
足を伸ばしてぼんやりしていると、廊下のほうで抑えた足音がして、客間の前で止まった。
「――先生、お茶はいかがですか」
笠野の声に、知らず知らず顔が綻ぶ。玄関からまっすぐ客間に向かったため、和彦が本宅で一番世話になっていると言っても過言ではない笠野の顔をまだ見ていなかったのだ。
「いただくよ」
そう応じると、障子が開いて笠野が盆を手に姿を現す。文机の上にスペースを作ると、そこにお茶の入ったカップが置かれた。
笠野は軽く室内を見回してから、和彦が着替えた服に目を留める。
「もうダウンの上着は使わないでしょうから、クリーニングに出しましょうか」
「うん、そうしてくれ」
ダウンコートのポケットに入れてあった図鑑は、文机の引き出しに仕舞ってある。ログハウスに置いてきてしまった野鳥の図鑑を、鷹津は忘れず送ってくれるだろうかと、ふと気になった。
「お昼は何かリクエストはありますか?」
服を抱えた笠野に問われ、和彦は少し考え込む。
「……卵焼きが食べたい。少し甘めの。あとは、おにぎり。具は任せるよ」
卵焼きに何度か挑戦してみたが、どうしても上手くできなかったので、もう自分に才能はないのだと諦めた。やはり人に作ってもらったほうが美味しい。
「それぐらいお安い御用ですが、でしたら、汁物もつけましょうか。具沢山の豚汁がいいですかね」
「あー、いいなあ、それ……」
笠野とのんびりと会話をしていると、前触れもなく――まさに蛇が忍び寄るように、唐突に賢吾が客間に現れる。
「少しいいか。俺は午後から出かけるから、その前に話しておくことがあってな」
賢吾の言葉を受け、笠野は速やかに客間から退出した。
「忙しいな。さっき帰ってきたばかりなのに。無理すると、本格的に腰を悪くするぞ」
「そうならないよう、夜はお前に腰を揉んでもらうか」
賢吾は自分で座布団を引っ張り出してくると、和彦の側に置き、どかっと腰を下ろした。胡坐をかいた賢吾はすぐには用件を切り出さず、じっとこちらを見つめてくる。静かな、しかし獰猛さも感じさせる眼差しに、取って食われそうだなと内心で思う。本宅での、賢吾を前にしての緊張感が懐かしくもあり、和彦は息を詰める。
「――お前はもう、総和会本部で生活する必要はない。オヤジが性急に、お前を取り込もうとしたことが発端でゴタゴタしたが、結果として、佐伯俊哉が介入してきたのは正解だったんだろうな。みっともない言い訳のようだが、俺がオヤジに啖呵を切るのは簡単……とまでは言わないが、やろうと思えばできた。ただ、俺の動き次第で、ことは長嶺組だけじゃなく、総和会に名を連ねる他の組にも波及していた」
賢吾は大きく息を吐き出すと、珍しく苛立ったようにガシガシと髪を搔き乱す。
「物心ついたときから叩き込まれた習性ってやつだろうな。組を守ることが何より優先。組のために最善となる方法を取る。そうであれと、オヤジからさんざん言い聞かされて、努めてきた。そのために総和会にも献身してきた。あの組織は面倒くさい一方で、確かに組を守ってもくれるんだ。従順であるうちはな」
「互助会、だったな」
「今の総和会は、オヤジそのものだ。長嶺守光の持つ執念と愛情が、あのでかい組織を動かしてる」
長嶺組を守るために――と、賢吾は苦々しげに呟く。和彦はそこに、賢吾を生かし、縛り付ける血の鎖を感じた。
およそ賢吾らしくない、迂遠で歯切れの悪い物言いは、守光と膝を突き合わせて話しているうちに、嫌でも実感させられたものがあるのかもしれない。和彦が、俊哉や総子と話して感じたものがあったように。
「だからといって、こちらの執念や愛情が踏みにじられるいわれはない。……もっとも、俺もさんざん、お前を踏みにじってきたんだがな。悪いことはできねーな。オヤジを責めることで、俺はお前から責められることになる」
「それは……」
この男は、自分よりさらに窒息しそうなほど重いものを背負っているのだと思うと、和彦は身を乗り出さずにはいられなかった。
大きな手を握ると、賢吾が驚いたように目を見開く。
「おい――」
「……大蛇の化身みたいな男が、こんなに優しいなんて思わなかった」
きまり悪そうに顔をしかめたあと、賢吾は意を決したようにこう告げた。
「今回のことは三者円満とはいかないが、痛み分けとしてカタをつけるために、オヤジがある条件を出してきた。お前を月に一度は、本部に派遣するようにと。一度といいながら、何日もお前を拘束するんじゃないかと思ったが、本部で一泊過ごしてくれればいいと言っていた。形が必要なんだそうだ。長嶺の男たちが、一人の〈オンナ〉を共有して、大事にしているという」
和彦は、数か月前、総和会の別荘で守光に言われたことを思い出す。総和会の力を認めながらも、取り込まれることを警戒している賢吾に対して、守光は和彦を利用するつもりだ。そのため、和彦個人が総和会と距離を置くことをなんとしても認めないだろう。仮に逆らおうとしたところで、おそらく守光は俊哉を通して働きかけてくるはずだ。
賢吾と守光と俊哉の思惑が絡み、牽制し合うことで、平穏は保たれる。それが、苦い毒を口に含んだうえでのものだとしても。
自分は理屈のわからぬ幼子ではないという気持ちを込めて、和彦はじっと賢吾の目を見つめる。
「あんたは将来、総和会会長の座に就くのか?」
単刀直入な和彦の問いかけに、賢吾は苦笑いを浮かべる。
「オヤジに余計なことを吹き込まれたんだな。――ああいうもんは、就きたいからといって就けるものじゃない。俺はまだ四十代の若造だから、端から話にならない。それなりに実績と力のある人間を、周りが盛り立てた結果に、肩書きがついてくる。俺は盛り立てるのも盛り立てられるのも、正直面倒に感じる性質だ。うちの組の安泰のために、ある程度総和会には手を貸すが、それ以上は、な……」
「自分が引退したあとのことを、会長は心配していた」
「さあ、どういう状況になることを心配しているんだか。オヤジとしては、新しい会長のもとで盤石さが引き継がれるよりも、揉めて派手に荒れる状況を望むかもな。対立を煽る存在を用意して、影響力が特定の勢力に偏らないようコントロールし続けて――。そうこうしているうちに時間が経って、俺も渋いジジイになってるかもな」
賢吾の口元に浮かんだ冷笑に、さっと和彦の肌が粟立つ。
「……そんなことを考えるなんて、やっぱり長嶺の男は怖い」
「今さっき、優しいと言ってくれたじゃねーか」
「前言撤回だ」
「だったらついでに、お前にとって嫌な話をしておく。――南郷のことだ」
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