血と束縛と

北川とも

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第47話

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 ヤクザの朝は早い――。
 そんな言葉を心の中で呟きたくなるほど、和彦の寝起きは不本意なものだった。
 いきなり部屋のドアを乱暴に叩かれ、浅い眠りの只中にあった和彦は飛び起き、わけがわからないままベッドから転がり出た。ドアを開けると賢吾が立っており、当然のように言い放ったのだ。
「出発するぞ。早く準備をしろ」
 子供を急かすように賢吾が手を打ち鳴らし、和彦は頭が完全に覚醒しないまま身支度を整えると、部屋をあとにした。
 早朝のためか朝もやが立ち込めていたのが印象的で、乗り込んだ車の中からぼんやりと景色を眺めていた。寝てていいぞと賢吾に言われたが、もう二度と訪れることのない場所かもしれないと思うと、素直に従う気にはなれなかった。
 昨夜買っておいたパンを缶コーヒーで流し込み終えた頃、車は高速道路に入る。車内の様子は昨日とほぼ同じで、賢吾は絶えずスマートフォンを操作し、助手席の組員と合間に打ち合わせをする。予定が立て込んでいるようだ。
 すっかり手持ち無沙汰の和彦は、賢吾たちの邪魔をしないよう極力口を閉じ、なんなら存在感すら消してしまおうと、窓側に身を寄せていた。高速道路から見る景色はあまり変わり映えがせず、反対側に視線を向ける。相変わらずスマートフォンに視線を落としている賢吾に、つい声をかけてしまっていた。
「……ずっと見ていて酔わないか?」
 顔を上げないまま賢吾は口元をわずかに緩めた。
「酔わないな。気分転換に、お前を見ているから」
 さらりとこういうことを言えるから、この男は性質が悪い。一人うろたえる和彦を、やっと顔を上げた賢吾がニヤニヤしながら眺めている。ひとまず機嫌は悪くなさそうだ。
 和彦は逡巡してから、切り出した。
「――なあ、相談したいことがあるんだ。スマホを見ながらでいいから、聞いてくれないか」
「かまわねーぜ」
 そう言って賢吾はすっとスマートフォンを置いた。
「昨日のあんたの苦労話を聞いて、こういうことを言うのは心苦しいんだが……」
「苦労話?」
「ぼくの父のことだ。基本的に、興味のない相手には物腰が柔らかいし、愛想もいいんだが、たぶんあんたには……、違っただろ?」
 賢吾の返事は、苦笑いだった。
「……事情があって、ときどき、実家や和泉の家に顔を出すことになるかもしれない」
「それは、お前が行かないとダメなのか?」
 賢吾の声が突き放すような冷たさを帯びたように感じるのは、申し訳なさゆえかもしれない。まともに賢吾の顔が見られず、和彦は反射的に視線を伏せていた。
「ぼくが行かないと、ダメなんだ」
 こみ入った家庭の事情があり、一つずつ解決していかなければならなくなった。そのためには、和彦が直接出向くのが適切だ。まさか、高齢の総子に移動してもらうわけにはいかない。俊哉にしても、外で会う場合の段取りの多さを、賢吾は身を持って知っているはずだ。
「――……お前の実家だけでも厄介なのに、和泉家も絡んでくるなんてな。疎遠になっていたはずが、つき合いが復活した理由は、お前のオヤジから聞いた。祖父君の体調が思わしくないようだな」
 俊哉のことは雑に呼んでいるくせに、会ったこともない和彦の祖父に対しては、礼儀を払ってくれるのだなと、些細なことに気がつく。よほど、俊哉と会ったときの印象が悪かったのかもしれない。
「それもあって、会えるうちにできる限り会いに行きたいんだ。疎遠だった理由も、結局ぼくが原因のようなものだったから……」
「俺はそこまで立ち入る気はない。お前から話したいというなら別だが、俺の上の世代ががっつり手を組んで対応したというなら、相応の重い理由があるんだろう。お前が和泉家を大事にしたいというなら、俺も配慮する。行きたいというなら、止めはしない」
 ほっとした和彦だが、同時に、不穏さも感じ取る。
「ぼくの実家については……」
「佐伯俊哉という男にとって、お前は大事な〈部品〉なんだと、顔を合わせてわかった。理屈じゃねーんだ。なんとなく感じたんだよ。俺だって、でかい息子がいる身だからな。お前のオヤジが語ることに、言葉として理解はできたんだが、気持ちがついていかなかった。おそらく向こうも、共感や同調というものを俺に求めちゃいなかったんだろうがな。――いままで生きてきて、うちの古狐以上に尊大な人間に、初めて会った」
 ここまで言われて、今度は和彦は苦笑いをする。俊哉は、長嶺賢吾という男を、本性を見せなければならないほどの存在だと認めたということなのだろう。守光に対抗しうると賢吾が判断されていなければ、即座に話し合いは打ち切られていたはずだし、和彦を長嶺の本宅に預けるという結論には至らなかったはずだ。
「……難解な人なんだ。でも義理堅いとは思う。一度した取り決めは、守るはずだ」
「義理堅い、か。それがつまり、お前が実家にも顔を出したいという根拠になるのか?」
「和泉の家に行って、いろいろわかったことがある。それを踏まえて、家族とまた話がしたいんだ。……向こうが、ぼくを家族と認めてくれるなら、だけど」
 悲しいことを言うなと、賢吾に手荒く頭を撫でられた。
「わかった。お前がやりたいようにすればいい。ただし、行動するなら、事前に予定を知らせろ。それは絶対だ」
「――……実は、和泉の家で紹介された人からも、会社に一度来てほしいと言われてて……」
 賢吾が大仰に眉を動かす。
「ずいぶん交友関係が広がったな」
「自分でもびっくりしている」
「和泉家と繋がるというのは、そういうことだろうな。佐伯家は、官僚として特殊な世界で力を振るってきた一族で、一方の和泉家は、ある意味対照的だ。調査書類を読んだだけだが、昔から手広く商売をやって成功してきたらしいな」
「おばあ様の話だと、その商売を畳んだりしたみたいだけど」
「和泉家が今扱っているものは、一つだけだと言っていい。だがその一つが、強力だ」
 実のところ、和彦はまだ和泉家というものを把握しきれていない。広大ではあるものの、周囲を田畑に囲まれた土地に老夫婦が静かに暮らしている様子をこの目で見てきた。だが、総子から渡された、和彦に譲るという財産目録はあまりに凄まじかった。そこに、和泉家が持つ力の一端を見た気がしたのだ。
「和泉の家に厭われると――……」
 ふっと、俊哉に電話越しに言われた言葉が口を突いて出る。訝しむように賢吾がこちらを見たので、なんでもないと和彦は首を横に振る。和泉家からの相続に関しては、まだ話せる段階になかった。いくつかの手続きは進めているとはいえ、和彦自身にまだ実感は乏しいし、本当に自分が継いでいいものなのか戸惑いがある。
 和泉家になんの貢献もしていないのに、という思いが拭えないのだ。しかし、自分たちに残された時間は少ないと総子に言われてしまうと、無碍にはできなかった。
 これもまた血の呪いだとは思うが、そこには確かに〈母親〉との繋がりが存在する。
「――賢吾」
 呼びかけると、微かに賢吾の肩が揺れる。和彦は抑えた声で問いかける。
「本当に、いいのか?」
 何が、とは聞き返されない。賢吾は当然のように察している。
「大蛇の貪欲さを舐めるなよ、和彦。お前が抱えている厄介事も全部、呑み込んでやる。長嶺の家も大概だからな、お前こそ覚悟しておけよ」
「……怖いな」
 そう呟きながらも頷くと、賢吾にさりげなく手を握り締められた。
 休憩を取ることなく車は走り続け、特にやることのない和彦は、賢吾にスマートフォンの使い方を軽く教えてもらう。やはりというべきか、賢吾は和彦と同じ機種で揃えたらしい。あとでそのことを知った千尋がどんな行動に出るか、和彦には手に取るようにわかる。
 車内から見る景色が見覚えのあるものに変わったところで、和彦は姿勢を正す。いまさらながら緊張していた。
「――ようやく着いたな」
「ああ……」
 建ち並ぶ住宅の中、異質な存在感を放つ鉄製の高い塀にすら懐かしさを覚える。すでに長嶺の本宅の前には数人の男たちの姿があり、一行を待ち構えているようだ。
 車は門扉の前にぴたりと停まると、速やかに後部座席のドアが開けられる。恭しい動作で示され、賢吾に軽く肩を叩かれたこともあり、和彦はおずおずと車を降りる。ドアを開けてくれたのは、三田村だった。
 基本的に仕事中は淡々とした物腰の男だが、今は――緊張しているように見える。声をかけたいが、他人の目があるこの場でそんなことはできない。和彦は何事もないように、他の組員に促されるまま門扉の内側へと連れ込まれた。
 玄関では千尋が待っており、和彦の顔を見るなり、一瞬泣きそうな表情となったあと、満面の笑みを浮かべた。見えない尻尾をブンブンと振っているようだ。
「おかえりっ、和彦っ」
 第一声はこれしかないとばかりに、大きな声で言われる。和彦は一気に肩の力が抜けるのを感じながら、こう応じた。
「――ただいま」

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