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第47話
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賢吾の指示を受けてコンビニの駐車場に車が入る。一旦ここで休憩ということなのか、組員たちが交代で店内に入り、和彦も買い物を済ませておく。とはいっても一円も持っていないため、ペットボトルの水の他に、小袋に入ったクッキーとチョコレートを買ってもらって車に戻ると、後部座席についたままの賢吾はカップに口をつけていた。組員が買ってきたらしく、車内にはコーヒーの香りが漂っている。
「もういいのか?」
「ぼくは大丈夫」
外からドアが閉められ、車に二人きりとなる。落ち着いているのは和彦と賢吾だけで、周囲では組員たちが慌ただしく動いている。馴染みのない土地で賢吾が同行しているとなると、普段とは違う緊張感があるのだろう。どの組員もピリピリしている。
それもこれも自分が原因だと、和彦は一層の申し訳なさを噛み締めていたが、ふとある異変に気づき、周囲に停まっている車の数を確認する。
「……一台、少なくなってないか?」
「うちの車だ。高速で先行させて、今日泊まるホテルやその周りを確認することになっている。何もかも急に決まったからな。いつもみたいに段取りよくとはいかねーんだ」
「泊まる、のか……」
「強行軍で行きは休憩なしで車を走らせたが、帰りは日が落ちて事故が怖い。さすがにそれはやめてくれと、うちの連中に言われた。それに、俺は乗ってるだけだが、それでも腰にくる」
賢吾が決めたのなら、和彦は従うだけだ。
小さく腹が鳴ったので、遠慮なくクッキーの小袋を開ける。何事もなければ今頃、ログハウスでのんびりとクッキーを齧っていたのかと思うと、感傷じみたものが胸の奥で込み上げる。鷹津と夕食の準備について相談し合っていたのだろうかとも考えたところで、和彦はハッとして賢吾を見る。
「どうした?」
「ぼくのことで、秀をひどい目に遭わせ――」
言いかけた言葉は口中で消える。賢吾が心底不快げに顔を歪めたからだ。
「鷹津、だろう」
短く賢吾に指摘された瞬間、和彦の背筋に冷たいものが走る。向けられる氷のような眼差しに呼吸すら止まりそうになった。
取り出していたクッキーを袋に戻そうとして、賢吾に言われる。
「いいから食えよ」
口にしたクッキーは本来なら甘いはずなのだが、まったく味がしない。和彦を怯えさせたと自覚があるのか、ぼそぼそと賢吾が呟いた。
「……安心しろ。あいつには、俺どころか総和会も手出しできない。お前のオヤジに釘を刺されたからな。まだ使い道があると見ているようだ」
露骨に安堵するわけにもいかず、ぎこちなく頷いておく。
短い休憩を終えて再び車が走り始めると、和彦はようやく背もたれに体を預けられる程度には、この状況に慣れ始めていた。
「クリニックは、お前が体調を崩したという理由で休業にしてある。スタッフにはその間の補償も出している。解雇となると、そのあとの処理がまた面倒だからな。金を出して済むなら、そちらのほうがいい。とはいえ、人件費に家賃、機材のリース料諸々を考えたら、何か月もは無理だったが」
出資者としては、開業して一年で手を引くというのはありえないだろう。クリニックに注いだ資金の回収はようやくここからといったところなのだ。淡々と報告する賢吾だが、ビジネス面での判断としては胃の痛いところだったかもしれない。
長嶺組はいろいろと気を回してくれたようだが、それでも先行きが見えない不安から、二人のスタッフが退職したと聞かされ、和彦は視線を外の景色に向ける。
「……申し訳ないことをしたな、スタッフに。こちらの事情で振り回した」
「復帰したら、しっかり病み上がりのふりをしておけよ」
「あんたにも――」
迷惑をかけた、と言おうとして、やめる。今はこの言葉を口にするのは抵抗があった。口を噤んだ和彦に、賢吾もしばらく話しかけてこなかった。
早めの夕食をうどん屋でとってから、夕焼けが空を染める頃に今日の宿泊先に到着した。
先行していた長嶺組の組員が駐車場で待機しており、一行を出迎える。賢吾に促されて車を降りた和彦は辺りを観察する。繁華街というには小規模で、地方のいわゆる飲み屋街のようだった。近くにはパチンコ屋や商店街があり、どこか雑多な雰囲気のある場所だ。しばらくブナの木に囲まれた静かな場所で暮らしていた身としては、遠いところに来てしまったと、郷愁にも似た感覚に陥る。
何もかも突然だったため、心の一部を、鷹津と過ごした場所に置いてきてしまったようだ。
ぼうっと立ち尽くしている和彦に、賢吾が声をかけてくる。
「悪いな。泊まるところを吟味する時間がなかったんだ。一泊だけ我慢してくれ」
賢吾がこう言うのは、見るからに古いビジネスホテルだからだろう。部屋が空いているならどこでもいいという一行ではないため、限られた時間の中、条件に合うのがこのホテルだったのかもしれない。
「あっ、いや、ベッドさえあったら、別にどこでも……」
まず和彦と賢吾が先にフロントでチェックインを済ませる。内心、賢吾は無事に宿泊できるのだろうかと緊張していたが、特にフロントで不審がられることなく、鍵を受け取ることができた。
二人は三階でエレベーターを降りるが、部屋は隣同士ではなく、和彦はエレベーターに一番近く、賢吾は奥まった場所だ。ただし、非常階段には近い。賢吾の部屋の前には、すでに一人の組員が立っていた。
「……ずっと、ああやって立たせておくのか?」
「悪目立ちするだけだからな。少し様子を見てから、自分の部屋に戻らせる。どうやら泊まり客は少ないようだし、まあ、そこまで警戒する必要もないだろう」
その言葉を裏付けるように、賢吾はジャケットのポケットから無造作に一万円札を取り出すと、エレベーターホールの隅に設置された自販機でビールとつまみを買い始めた。
去年、夜桜を見に行った先で泊まった宿で、賢吾が組員たちと早々に晩酌していたことを和彦は思い出す。すぐ近所に飲み屋はいくらでもあるのだが、さすがに己の立場を心得ているのか、出かけるつもりはないらしい。
一声かけて自分の部屋に行こうとしたところで、背後から賢吾に呼ばれた。
「――和彦」
一瞬、和彦の体の中を駆け抜けたのは、快感に近いものだった。振り返ると、賢吾が千円札数枚と小銭を押し付けてきた。
「金を渡しておく。カップラーメンは一階で売ってたぞ。アイスもあった」
「……よく見てるな、あんた」
「明日も車移動だ。しっかり休んでおけ」
賢吾の視線を感じつつ、和彦は部屋に入る。よくあるビジネスホテルのシングルルームで、簡単に設備を確認した和彦はさっそくスリッパーに履き替え、小脇に抱えていたダウンコートをハンガーにかける。このときポケットの辺りで硬い感触に触れ、図鑑を入れていたことを思い出した。なんとなく、取り出して眺めるのは気が咎め、そのままにしておく。
一旦はベッドに腰掛けたものの、外の様子が気になった。カーテンを開くと、建物裏の路地を見下ろせるようになっていた。窓は開かないため、広く見渡すことはできないが、こちらもまた小さな飲み屋などが建ち並んでいる。斜め向かいの二階には雀荘の看板が出ているものの、窓はカーテンで覆われて中の様子をうかがい知ることはできない。
見知らぬ風景を眺めていて、少し離れた場所に鳥居らしきものが建っていることに気づく。もっとよく見ようと立ち位置を変えたり首を傾けてみたが、これが限界だ。
ふらりと窓から離れ、とりあえずテレビをつける。夕方のニュース番組の画面に妙な新鮮さを感じたが、そもそもテレビを観るのが久しぶりだった。ラジオで最低限の世間の動向は把握していたが、映像で観ると情報量が違う。頭が痛くなりそうで、すぐにテレビを消した和彦はもそもそとベッドに横になる。
「疲れた……」
咄嗟にそんな言葉が口を突いて出た。楽な浴衣に着替えたいが、その前にシャワーを浴びなければならない。面倒だなと考えているうちに眠気が押し寄せ、和彦は抗うことをしなかった。
手足を投げ出して目を閉じると、瞼の裏に浮かぶのは三か月近く過ごしたログハウスで目にした光景だった。寝室の小さな窓から見えたブナ林と、ときおり窓の外にとまっていた小鳥の姿。毎日歩いていた周辺の道に、鷹津と歩いて向かった滝の流れ――。
心が持っていかれるのに任せているうちに、意識を手放していた。
次に和彦が目を開けたときには、薄明りが点滅する天井が視界に入ってきた。ぼんやりと見上げたまま、何事だろうかと考えていたが、どうやらカーテンを通して、外のネオンの明かりが入ってきているようだ。起き上がった和彦は辺りを見回してから、ベッドの枕元の時計に目をやる。軽いうたた寝程度のつもりだったが、しっかり三時間ほど経っていた。
中途半端な時間に目が覚めるぐらいなら、このまま朝まで眠っていたかったが、もうどうしようもない。
和彦は乾燥した室内の空気に軽く咳き込み、慌てて水分をとる。再び窓の外を見てみれば、路地は夕方とは様子が一変している。闇が辺りを包み込んでいる中、飲み屋の看板の明かりがいくつも浮かび上がり、その明かりに誘われたようにちらほらと人通りがある。気になっていた雀荘も、カーテンの隙間から明かりが漏れ出ており、営業しているとわかる。
飲みに行きたいとは思わないが、夜の空気にはそそられる。フロントで近くのコンビニの場所でも聞いて、少し散歩してみようかとソワソワしていると、和彦の企みを察知したかのように内線が鳴った。
『――起きてたか』
心の準備なく賢吾の声を聞くと、うろたえてしまう。受話器を通しても、バリトンの魅力は少しも損なわれないのだ。
「ちょうどよかった。あんたに許可をもらおうと思ってたんだ」
『なんだ』
「少し外を散歩したくて……」
『それこそちょうどよかった。今まさに、お前を散歩に誘おうとしてた』
十分後にロビーにいろと言われて、内線は切れた。
「もういいのか?」
「ぼくは大丈夫」
外からドアが閉められ、車に二人きりとなる。落ち着いているのは和彦と賢吾だけで、周囲では組員たちが慌ただしく動いている。馴染みのない土地で賢吾が同行しているとなると、普段とは違う緊張感があるのだろう。どの組員もピリピリしている。
それもこれも自分が原因だと、和彦は一層の申し訳なさを噛み締めていたが、ふとある異変に気づき、周囲に停まっている車の数を確認する。
「……一台、少なくなってないか?」
「うちの車だ。高速で先行させて、今日泊まるホテルやその周りを確認することになっている。何もかも急に決まったからな。いつもみたいに段取りよくとはいかねーんだ」
「泊まる、のか……」
「強行軍で行きは休憩なしで車を走らせたが、帰りは日が落ちて事故が怖い。さすがにそれはやめてくれと、うちの連中に言われた。それに、俺は乗ってるだけだが、それでも腰にくる」
賢吾が決めたのなら、和彦は従うだけだ。
小さく腹が鳴ったので、遠慮なくクッキーの小袋を開ける。何事もなければ今頃、ログハウスでのんびりとクッキーを齧っていたのかと思うと、感傷じみたものが胸の奥で込み上げる。鷹津と夕食の準備について相談し合っていたのだろうかとも考えたところで、和彦はハッとして賢吾を見る。
「どうした?」
「ぼくのことで、秀をひどい目に遭わせ――」
言いかけた言葉は口中で消える。賢吾が心底不快げに顔を歪めたからだ。
「鷹津、だろう」
短く賢吾に指摘された瞬間、和彦の背筋に冷たいものが走る。向けられる氷のような眼差しに呼吸すら止まりそうになった。
取り出していたクッキーを袋に戻そうとして、賢吾に言われる。
「いいから食えよ」
口にしたクッキーは本来なら甘いはずなのだが、まったく味がしない。和彦を怯えさせたと自覚があるのか、ぼそぼそと賢吾が呟いた。
「……安心しろ。あいつには、俺どころか総和会も手出しできない。お前のオヤジに釘を刺されたからな。まだ使い道があると見ているようだ」
露骨に安堵するわけにもいかず、ぎこちなく頷いておく。
短い休憩を終えて再び車が走り始めると、和彦はようやく背もたれに体を預けられる程度には、この状況に慣れ始めていた。
「クリニックは、お前が体調を崩したという理由で休業にしてある。スタッフにはその間の補償も出している。解雇となると、そのあとの処理がまた面倒だからな。金を出して済むなら、そちらのほうがいい。とはいえ、人件費に家賃、機材のリース料諸々を考えたら、何か月もは無理だったが」
出資者としては、開業して一年で手を引くというのはありえないだろう。クリニックに注いだ資金の回収はようやくここからといったところなのだ。淡々と報告する賢吾だが、ビジネス面での判断としては胃の痛いところだったかもしれない。
長嶺組はいろいろと気を回してくれたようだが、それでも先行きが見えない不安から、二人のスタッフが退職したと聞かされ、和彦は視線を外の景色に向ける。
「……申し訳ないことをしたな、スタッフに。こちらの事情で振り回した」
「復帰したら、しっかり病み上がりのふりをしておけよ」
「あんたにも――」
迷惑をかけた、と言おうとして、やめる。今はこの言葉を口にするのは抵抗があった。口を噤んだ和彦に、賢吾もしばらく話しかけてこなかった。
早めの夕食をうどん屋でとってから、夕焼けが空を染める頃に今日の宿泊先に到着した。
先行していた長嶺組の組員が駐車場で待機しており、一行を出迎える。賢吾に促されて車を降りた和彦は辺りを観察する。繁華街というには小規模で、地方のいわゆる飲み屋街のようだった。近くにはパチンコ屋や商店街があり、どこか雑多な雰囲気のある場所だ。しばらくブナの木に囲まれた静かな場所で暮らしていた身としては、遠いところに来てしまったと、郷愁にも似た感覚に陥る。
何もかも突然だったため、心の一部を、鷹津と過ごした場所に置いてきてしまったようだ。
ぼうっと立ち尽くしている和彦に、賢吾が声をかけてくる。
「悪いな。泊まるところを吟味する時間がなかったんだ。一泊だけ我慢してくれ」
賢吾がこう言うのは、見るからに古いビジネスホテルだからだろう。部屋が空いているならどこでもいいという一行ではないため、限られた時間の中、条件に合うのがこのホテルだったのかもしれない。
「あっ、いや、ベッドさえあったら、別にどこでも……」
まず和彦と賢吾が先にフロントでチェックインを済ませる。内心、賢吾は無事に宿泊できるのだろうかと緊張していたが、特にフロントで不審がられることなく、鍵を受け取ることができた。
二人は三階でエレベーターを降りるが、部屋は隣同士ではなく、和彦はエレベーターに一番近く、賢吾は奥まった場所だ。ただし、非常階段には近い。賢吾の部屋の前には、すでに一人の組員が立っていた。
「……ずっと、ああやって立たせておくのか?」
「悪目立ちするだけだからな。少し様子を見てから、自分の部屋に戻らせる。どうやら泊まり客は少ないようだし、まあ、そこまで警戒する必要もないだろう」
その言葉を裏付けるように、賢吾はジャケットのポケットから無造作に一万円札を取り出すと、エレベーターホールの隅に設置された自販機でビールとつまみを買い始めた。
去年、夜桜を見に行った先で泊まった宿で、賢吾が組員たちと早々に晩酌していたことを和彦は思い出す。すぐ近所に飲み屋はいくらでもあるのだが、さすがに己の立場を心得ているのか、出かけるつもりはないらしい。
一声かけて自分の部屋に行こうとしたところで、背後から賢吾に呼ばれた。
「――和彦」
一瞬、和彦の体の中を駆け抜けたのは、快感に近いものだった。振り返ると、賢吾が千円札数枚と小銭を押し付けてきた。
「金を渡しておく。カップラーメンは一階で売ってたぞ。アイスもあった」
「……よく見てるな、あんた」
「明日も車移動だ。しっかり休んでおけ」
賢吾の視線を感じつつ、和彦は部屋に入る。よくあるビジネスホテルのシングルルームで、簡単に設備を確認した和彦はさっそくスリッパーに履き替え、小脇に抱えていたダウンコートをハンガーにかける。このときポケットの辺りで硬い感触に触れ、図鑑を入れていたことを思い出した。なんとなく、取り出して眺めるのは気が咎め、そのままにしておく。
一旦はベッドに腰掛けたものの、外の様子が気になった。カーテンを開くと、建物裏の路地を見下ろせるようになっていた。窓は開かないため、広く見渡すことはできないが、こちらもまた小さな飲み屋などが建ち並んでいる。斜め向かいの二階には雀荘の看板が出ているものの、窓はカーテンで覆われて中の様子をうかがい知ることはできない。
見知らぬ風景を眺めていて、少し離れた場所に鳥居らしきものが建っていることに気づく。もっとよく見ようと立ち位置を変えたり首を傾けてみたが、これが限界だ。
ふらりと窓から離れ、とりあえずテレビをつける。夕方のニュース番組の画面に妙な新鮮さを感じたが、そもそもテレビを観るのが久しぶりだった。ラジオで最低限の世間の動向は把握していたが、映像で観ると情報量が違う。頭が痛くなりそうで、すぐにテレビを消した和彦はもそもそとベッドに横になる。
「疲れた……」
咄嗟にそんな言葉が口を突いて出た。楽な浴衣に着替えたいが、その前にシャワーを浴びなければならない。面倒だなと考えているうちに眠気が押し寄せ、和彦は抗うことをしなかった。
手足を投げ出して目を閉じると、瞼の裏に浮かぶのは三か月近く過ごしたログハウスで目にした光景だった。寝室の小さな窓から見えたブナ林と、ときおり窓の外にとまっていた小鳥の姿。毎日歩いていた周辺の道に、鷹津と歩いて向かった滝の流れ――。
心が持っていかれるのに任せているうちに、意識を手放していた。
次に和彦が目を開けたときには、薄明りが点滅する天井が視界に入ってきた。ぼんやりと見上げたまま、何事だろうかと考えていたが、どうやらカーテンを通して、外のネオンの明かりが入ってきているようだ。起き上がった和彦は辺りを見回してから、ベッドの枕元の時計に目をやる。軽いうたた寝程度のつもりだったが、しっかり三時間ほど経っていた。
中途半端な時間に目が覚めるぐらいなら、このまま朝まで眠っていたかったが、もうどうしようもない。
和彦は乾燥した室内の空気に軽く咳き込み、慌てて水分をとる。再び窓の外を見てみれば、路地は夕方とは様子が一変している。闇が辺りを包み込んでいる中、飲み屋の看板の明かりがいくつも浮かび上がり、その明かりに誘われたようにちらほらと人通りがある。気になっていた雀荘も、カーテンの隙間から明かりが漏れ出ており、営業しているとわかる。
飲みに行きたいとは思わないが、夜の空気にはそそられる。フロントで近くのコンビニの場所でも聞いて、少し散歩してみようかとソワソワしていると、和彦の企みを察知したかのように内線が鳴った。
『――起きてたか』
心の準備なく賢吾の声を聞くと、うろたえてしまう。受話器を通しても、バリトンの魅力は少しも損なわれないのだ。
「ちょうどよかった。あんたに許可をもらおうと思ってたんだ」
『なんだ』
「少し外を散歩したくて……」
『それこそちょうどよかった。今まさに、お前を散歩に誘おうとしてた』
十分後にロビーにいろと言われて、内線は切れた。
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