血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,214 / 1,268
第46話

(15)

しおりを挟む


 両手に荷物を提げ持った和彦を見るなり、イスに腰掛けた鷹津はふっと笑みをこぼした。
 スーパーの一角にある自販機が置かれた休憩所で、壁際のテーブルについた鷹津の前には、空の紙コップと新聞紙があった。和彦を待っている間、よほど暇だったらしい。ここぞとばかりに本を買い込んできた和彦は、さりげなく書店の紙袋を後ろ手に隠すが、それに気づかない鷹津ではない。
「お前に本を頼まれるたびに、正直頭を痛めてたんだ。――欲しい本は買えたか?」
「……ああ。これでしばらくは大丈夫」
「そりゃよかった」
 ドラッグストアでも必要なものは買えたので、和彦は非常に満足している。鷹津はのっそりと立ち上がると、テーブルの上を片付ける。スーパーで野菜とアルコール類を買っておきたいというので、和彦もつき合う。
 そのあと、待ちかねていた温泉へと向かう。
「昼間から温泉に入るなんて、贅沢だ……」
 山間にあるという温泉に向かうため、ちょっとしたドライブとなる。車にカーナビはついていないのだが、鷹津の運転に迷いはない。やはりこの土地に馴染み深いようだ。登山をしていた頃、この近くの山にもよく登っていたと話してくれたことはあるが、誰と、いつ頃のことなのか、そこまでは聞けなかったのだ。
 鷹津の過去にどこまで踏み込んでいいのか、和彦はいまだ測りかねている。知らなくてもいいことなのだろうが、こちらの家庭事情のほとんどを把握されていることを思うと、なんとなく不公平ではないかと和彦は感じる。
 カーラジオからは天気予報が流れている。明日から天候が荒れ、雪が数日続く見込みだという予報に、鷹津が小さく舌打ちをする。和彦はのんびりとしたもので、日課となったジョギングができない間は、ログハウス周辺の雪かきをして体を動かそうかと、ぼんやりと考えていた。すると唐突に鷹津に問われた。
「――帰りにケーキでも買って帰るか?」
「どうして」
 数瞬、鷹津が言い淀む。
「……やっぱりいい。今の提案は忘れろ」
 そんな言い方をされると、かえって気になる。和彦がじっと視線を向け続けると、渋々、鷹津は口を開いた。
「たぶん、お前の誕生日当日は、雪で身動きが取れないぞ。……何も誕生祝いを用意してやれないから、せめてケーキぐらいはと思っただけだ」
 自分の誕生日が近いことをやっと思い出した和彦は、目を丸くする。気づかせてくれたのが鷹津だというのが意外すぎて、すぐには言葉が出ない。その間にもどんどん顔が熱くなっていくのは、車内の暖房が効きすぎているせいではないはずだ。
「……けっこうロマンティストというか、記念日とか覚えているタイプなんだな。ぼくよりマメかも」
 揶揄ったわけではなく、心底そう思って和彦が呟くと、鷹津は大きな舌打ちをする。
「言うんじゃなかった」
「そう言うなよ。覚えててもらって、嬉しい。……そうか、ぼくの誕生日か……」
 これまでにない感慨を覚えるのは、自らの生い立ちのすべてを知ったからだろう。そして傍らにたった一人いてくれるのが、事情を知っている鷹津だというのは、素直に感謝するしかなかった。
 和彦は小さく笑い声を洩らす。
「思い出した。去年の誕生日も、あんたと一緒だったな。ぼくが誕生日だと言ったときの、あんたの顔っ……」
 一人思い出し笑いをする和彦を、鷹津は忌々しげに横目で一瞥してきたが、すぐに口元を緩めた。
「そうか、二年連続か。だったら、来年も狙うか。――お前の誕生日を」
 和彦は曖昧な返事しかできなかった。今、こうして鷹津と一緒にいるなど、少し前なら想像もできなかったのだ。今後も何が起こっていても不思議ではなく、安易な約束はできない身だ。鷹津も、それは十分わかっている。
「……ケーキはわざわざ買わなくていいよ。子供じゃないんだし」
「そうか」
「その代わり、当日はちょっと手の込んだ料理を作ろう。たまたまだけど、新しい料理本を買っておいたんだ」
 主に動くことになるのは鷹津になるだろうが、それぐらいは甘えさせてもらっても許されるはずだ。鷹津も察するものがあったのか、温泉帰りにスーパーに引き返して、もう少し食材を買い込んでおくかと話す。
 そうしているうちに、狭い脇道へと車が進入する。こんなところに本当に温泉があるのかと、やや和彦は不安になってくる。しかし、それは杞憂に終わった。
 車が数分ほど走ったところで、道が急に広くなり、景色が開ける。収穫を終えたあとの畑を横目になだらかなカーブを曲がると、道が二手に分かれる。片方の道には看板が出ており、ようやく目的地に着いたようだ。
 平日の昼前だが、駐車場のスペースは半分ほど埋まっていた。こぢんまりとした銭湯のようなものを想像していた和彦だが、目の前に建っているのは、高級旅館と見紛うような立派な建物だ。
「町営、って言ってたよな……」
 鷹津にとっても予想外だったのか、あごを一撫でして呟いた。
「ずいぶん立派になったな。俺が通ってた頃は、古い掘っ建て小屋みたいなところだったのに」
「……いつのことだ?」
「俺が純朴な新人警官だった頃」
 へー、と和彦は素っ気ない返事をしたものの、実は好奇心が疼いていた。一度ぐらい、鷹津の制服警官姿を見てみたかったと思うのだが、どうせこの男のことなので、写真すら残していないだろう。
「まあ、きれいなのに越したことはないな。メシも食えるみたいだから、ちょうどいい。風呂に入ってから、昼メシもここで済ませようぜ」
 自動ドアを通ろうとしたとき、中から出てこようする人影が見え、反射的に道を譲る。出てきたスーツ姿の男性二人組にドキリとした。和彦が目を奪われたのは、片方の男性が羽織っているいかにも仕立てのいいコートだった。強い風によって裾がはためき、それを男性がスマートな動作で直しながら、こちらに軽く頭を下げて通り過ぎる。湯に浸かってきたようには見えず、この施設には仕事で出入りしているのかもしれない。
 和彦はちらりと振り返り、風で翻るコートの裾を目で追う。さきほどの男性の一連の動作に、ふっと賢吾の姿が重なっていた。よく外に連れ回され、そのたびに賢吾のコート姿を目にしており、しっかり目に焼き付いているのだ。
 置き去りにしてきた〈あれこれ〉を同時に思い出し、見えない手となって足を掴まれそうになる。
「おい」
 鷹津に呼ばれて手招きされる。踏み出した足を妨げるものはなく、和彦は小さく安堵の息を吐き出した。


しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...