血と束縛と

北川とも

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第46話

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「おばあ様から送られてきたものを見ていたら、経緯はどうあれ、自分は望まれて生まれてきたし、大事に育てられてきたことを思い出した。いろいろな手続きの手順とか詳しく書いてあって、まるで子供に説明しているみたいなんだ。ああ、ずっとこんなふうに、ぼくを気遣ってくれていたんだなって」
 総子からの荷物が、和彦の心を解きほぐす大きなきっかけとなったのは間違いない。
「ぼくに遺したいという財産の目録は、何回目を通しても、すごすぎて現実味がなくて……。本当なら、和泉紗香という女性ひとが受け継ぐはずだったものなんだ。ぼくと彼女の間に起こったことを思えば、これは本当に許されるんだろうかとか、熱でうなされながらプレッシャーで押し潰されそうだった」
 胸の奥に積み重なっていた想いを訥々と語りながら、和彦は意識しないまま鷹津の手を握り返す。
「動揺も混乱もしたけど、呑み込んだ。そのうえで、これから先のことを考えたい。一つずつ」
「その考えた一つが、今日、どこかに電話をかけたことに繋がるのか?」
「ぼくの実の父にかけた。あっ、いや、はっきりはしていないんだ。親子鑑定をしたわけじゃないし。ただ――」
「お前は確信しているんだな」
 和彦は頷きはしたものの、どういった用件でかけたのかまでは告げなかった。自分と賀谷との間で、まだ秘匿にすべき事柄であると判断したからだ。もっとも鷹津の関心は、電話の内容ではなく、和彦の〈父親〉にあるようだった。
「……一度会ってみたいな」
「佐伯家の人間にはいないタイプだよ。見るからに優しげで、仕事柄なのか穏やかな物言いと表情をしてて。おばあ様たちが信頼しているんだから、医者としては優秀なんだと思う。でも、自分のことには不器用そうだ……」
「だとしたら、俺と気が合うかもしれねーな」
 一瞬、返答に詰まったのは、鷹津が冗談で言ったのか、それとも本気でそう思っているのか判断できなかったからだ。
 すっかり印象が変わった、髭に覆われた鷹津の横顔を見つめながら、たまらず和彦は噴き出す。
「あんたでも、そういうこと考えるんだな」
「俺は善良な人間相手には、友好的だぜ?」
「ぼくに対して、最初から態度が悪かった記憶があるんだが……」
 失礼なことに、鷹津は鼻先で笑う。和彦は軽く体をぶつけて抗議したが、当然のように受け流された。
「――帰るか」
 握り合っていた手をスッと引いて、鷹津が立ち上がる。和彦は反射的にすがるような目を向けてしまい、そんな自分に気づいてうろたえる。鷹津は真剣な表情で、和彦の頬に触れてきた。カイロを握っていたせいで、鷹津のてのひらは熱い。凍えそうになっている頬にたっぷりの熱を与えられ、心地よさについ目を細める。
「本当に元気になったみたいだな」
 その言葉に込められた意味を瞬時に読み取った和彦も、慌てて立ち上がる。
 帰り道は、自分たちが残してきた足跡を辿るため、比較的楽ではあった。ただ、和彦の意識は絶えず鷹津に向けられ、足元への注意がおろそかになり、何度か雪に足を取られてしまう。よろめくたびに鷹津に腕を掴まれ、ログハウスに帰り着いたときにはしっかり肩を抱かれていた。
 玄関に入り、暖かな空気に触れて安堵の吐息が洩れる。しっかり防寒対策をしていても、さすがに雪中の移動で体が芯まで冷えていると実感できる。鷹津に追い立てられながらアウトドアブーツを脱いで、和彦は自分の足元に視線を落とす。
「どうした?」
「……足の先の感覚がない……」
 鷹津に強引にソファまで連れて行かれ、座らされる。何をするのかと見ていると、薪ストーブに新たに薪をくべてから、乱雑に上着を脱ぎ捨て、部屋を行き来する。
 和彦は鷹津の行動を目で追いつつ、自らも着込んでいたものを脱いで傍らに置く。ついでに、ポケットに突っ込まれていたカイロもすべて取り出した。もったいないのでベッドに入れておこうかと立ち上がりかけたとき、タオルを小脇に抱え、洗面器を持った鷹津が目の前に立った。
 ヤカンの湯を洗面器に注いでいたのは見ていたので、和彦はちらりと笑みをこぼす。
「もしかして、足湯か?」
 至れり尽くせりだなと、のんきに喜んでいたのはわずかな間で、向かい合って床の上に座り込んだ鷹津に有無を言わさず足を掴まれ、靴下を脱がされた。戸惑う和彦にかまわず、鷹津は湯に浸したタオルを絞った鷹津は、そのタオルで足先を包み込んできた。
「さすがに、やりすぎだ。洗面器に足を突っ込んでおくから、こんなことしなくても――」
「俺がやりたいんだから、好きにさせろ」
「やってることは甲斐甲斐しいのに、偉そうだな」
 冷たくなっていた爪先から、じんわりと温かさが伝わってくる。血流を促すように、鷹津はタオルの上から足の指や甲を揉んでくれ、タオルが少しでも冷めると、すぐにまた湯に浸す。気恥ずかしさと遠慮から、最初は体を強張らせていた和彦だが、心地よさには勝てず、おずおずと力を抜いていた。
 もう片方の足はひときわ丹念に揉まれ、どうしてかと思えば、痛めた部分を気にかけているのだ。真剣な表情の鷹津を見つめていて、ふと誘われるように前屈みとなって手を伸ばしていた。鷹津の短く刈られた髪に触れてから、頬にてのひらを押し当てる。こわい髭の感触に、ゾクゾクするような疼きが背筋を駆け抜けた。
「――さっきの話だが……」
 突然鷹津が切り出す。
「何?」
「これから先のことを考えたい、と言ってただろ」
 タオルを洗面器に放り込んだ鷹津が、足に直に触れてくる。足の指を一本一本撫でられ、和彦の呼吸は弾む。
「お前は一刻も早く〈ここ〉を出ていきたいかもしれないが、もう少し待ってくれ。まだ、早いんだ」
「何か、あるんだな?」
 頻繁に出かけたり、電話をかけている鷹津の普段の様子を見ていれば、それぐらいは察しがつく。和彦は頷いた。
「ぼくもまだ、ここから動きたくない。何か起こって、和泉の家と連絡が取れなくなる可能性もあるし、相談していることもあるし。……よくわかったんだ。波乱に満ちた人生を歩むなら、さっきのあんたの話じゃないけど、相応の覚悟と準備がいるって。そのための時間が必要で、それに――」
 今すぐに目の前の男と離れるなど、考えられなかった。
 鷹津が、食らいつかんばかりに凝視してくる。両目に宿るのは煮え滾る強い欲望で、そのことに気づいた時点で、和彦もまた、自分の何もかもを差し出し、食らい尽くされたい衝動に支配されていた。
 鷹津がにじり寄ってきて、和彦はソファに座ったまま追い詰められる。
「鷹津……」
「違うだろ」
 秀、と呼び直すと、腰を浮かせた鷹津がのしかかってくる。間近に顔を寄せられ、無遠慮な視線に晒されて、和彦は咄嗟に顔を背けていた。耳朶に獣の熱い息遣いが触れる。
「今すぐ抱かせろ。――和彦」
 名を呼ばれただけで胸が疼き、一気に全身が熱くなる。もう一度名を呼ばれたところで、和彦の理性は溶けた。

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