血と束縛と

北川とも

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第46話

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 足を引きずる和彦に合わせて、鷹津はゆっくりとした歩調で歩く。息が切れて立ち止まると、声をかけるまでもなく、鷹津も足を止める。
 和彦を急かすでもなく、頭上を見上げたり、周囲を見回す鷹津の様子は、警戒心が強い獣を思わせる。さながら今の自分は、その獣に庇護されるつがいといったところだろう。大げさではなく、この地に来てから和彦は、何もかも鷹津の世話になっていた。
 あの日駅で、南郷たちから逃れるために必死で駆けていたときのことを思い返す。
 道路に飛び出し、向かってくるバイクを前に動けなくなった和彦を、背後から強く腕を掴んで引き戻したのが鷹津だった。とはいえ、すぐには正体がわからなかった。バランスを崩して足首を捻り、勢いで地面に座り込んだのだが、目深にキャップを被った髭面の男に容赦なく引き上げられ、ほとんど抱えられるようにして歩かされたからだ。
 切迫感と混乱と恐怖、それに足の痛みから、思考が空白になっていたのかもしれない。和彦は抵抗もできないまま、ただ男についていくしかなかった。駅近くに停まっていた車の後部座席に男と一緒に乗り込み、十分ほど移動した。最後まで運転手とは一言もを会話を交わさなかったことから、何もかも打ち合わせ済みだったのだと推察はできた。
 車を降りると、近くのコインパーキングに停まっていた別の車の助手席に押し込まれた。今度は男がハンドルを握り、和彦はひたすら体を強張らせて俯いていたが、次第に右足の痛みが強くなっていくことに気づき、ぎこちなく動かしてみる。意識しないまま呻き声を洩らしていた。
「――足を痛めたか?」
 ここまでずっと沈黙を貫いていた男が初めて発した声を聞き、和彦はハッと顔を上げた。ハンドルを握る男の横顔をまじまじと見つめたところで、やっと、鷹津だと気づいたのだ。
 少しの間我慢しろと言って、鷹津は車を走らせ続ける。和彦は目を見開いたまま、ただ鷹津の横顔を見つめることしかできない。どうしてあの場にいたのか聞きたかったが、落ち着いてくれば、理由は一つしか思い当たらない。俊哉が事前に知らせていたのだ。だから俊哉は、わざわざ在来線を使うよう和彦に指示したのだ。
 行き違いになったらどうするつもりだったのかと、恨み言のように質問をぶつけると、鷹津の口元がふっと緩んだように見えた。嘲笑されたように感じ、和彦は一瞬にして気持ちが昂る。
「……なんだ?」
「最初にツンケンした物言いをしてくるのが、いかにもお前らしいと思ってな。懐かしくなった」
 最後に鷹津と会話を交わしてから、およそ四か月ほど経っている。今日までの間に和彦の身にはずいぶんと様々なことが起こり、なんだかずいぶん長い月日が流れたような気がした。
「行き違いにならないよう、他に人員を配置して、改札を見張らせていた。その一人から、お前が予定通りの改札を出てきたと連絡を受けたから、絶妙なタイミングで拾えたんだ。……さすがに、総和会の人間もうろついている構内に、俺は待機できなかった」
 ああ、と和彦は声を洩らす。鷹津の存在は、総和会に要注意人物として認識されている。さきほどの場で鷹津と南郷が直接顔を合わせていたらと想像して、ゾッとする。
「あんたと接触する前に、ぼくが総和会の人間に連れて行かれていたらどうするんだ。……正直、あの場で走り出せただけでも、自分で奇跡だと思っているぐらいだ。本気で追いかけられたら、とても振り切れなかった」
「あいつらは駅では派手な行動は取れなかったはずだ。総和会の人間が駅でヤクの取引きをやるようだと、所轄に〈匿名〉のタレコミがあったからな。構内で仮にお前が捕まったとしても、警戒していた署員が即座に動く。まあ、お前も取引相手として、一緒に署に連れていかれた可能性もあるが、総和会に連れて行かれるよりはマシな事態だ。――結果として、上手くいった」
 刑事を辞めた人間が、どうしてこんな確信を持った言い方ができるのか。考えられることは一つだ。和彦の頭の中を覗いたように、鷹津は面白味もない口調で続けた。
「元悪徳刑事の面目躍如だ。警察とヤクザがどう動くか、予測がつく。俺はどちらの組織からも蛇蝎の如く嫌われているから、そこをお前の父親に買われたというわけだ」
 俊哉の話題が出て、このまま実家に連れて行かれるのだと思った途端、圧し潰されそうな胸苦しさに襲われた。そもそも和彦は、実家に戻るために移動していたのだ。鷹津が同行することになったところで問題はない。
 心の準備をしたはずなのに――。和彦は無意識のうちにコートの胸元を握り締める。
 そんな和彦の様子を一瞥して、鷹津は小さく舌打ちした。
「さっきから顔色が悪いぞ。死人みたいなツラだ。……これから車で長距離を移動することになるから、多少無理させるぞ」
「えっ……」
「その途中で、いろいろと買い込むものがある。が、まずは、お前の足の状態を確認するのが先だ。痛みがひどいようなら、病院だな」
「待、て……。どこに行くんだ? 病院じゃなくて――」
「お前には当分、実家だけじゃなく、長嶺とも総和会とも離れてもらう。そのために、身を隠す場所を押さえてある」
 なぜ、そうなったのか。鷹津は話してくれなかった。聞けば教えてくれたのかもしれないが、実家に向かうわけではないと知り、まず安堵した自分の気持ちに和彦は従うことにした。
「――……鷹津、あんたも一緒にいてくれるのか?」
「そのつもりで、ずっと準備をしていた」
「だったら、いいんだ……」
 ようやく肩から力を抜いた和彦に、次に鷹津が言ったのは、自分のことは名で呼べということだった。鷹津が姿を消す前、ぎこちないながらも互いに名を呼び合っていたことを、しっかりと覚えていたらしい。切迫したこの状況で念押しされることなのかと戸惑いもあったが、いつまでかはわからない、これから生活を共にするための契約なのだと和彦は認識し、承諾した。
 鷹津は、和彦の予想を遥かに上回って細やかに面倒を見てくれている。出会ったばかりの頃の、傲岸不遜で挑発的、下卑た発言ばかりしていたのは一体なんだったのかと、ときおり考えるぐらいだ。
 本来、こういう性質の男だったのか、自分だけが特別なのか――と、和彦は傍らに立つ鷹津を見遣る。見慣れたつもりでも、短髪に、口元を覆う髭という精悍な姿に、鼓動が大きく跳ねることがある。
「どうした?」
 そう問いかけてきて、さりげなく鷹津が腕を出してくる。和彦は遠慮なく掴まり、再び歩き出す。
「翔太くんが、鹿肉の塊を持ってきてくれたんだ」
「ああ。レシピを調べてきたから、ステーキ以外に、シチューでも作ってみるか」
「……そんな難しそうなもの、本当に作れるのか?」
「薪ストーブで煮込み続ければできるだろ。赤ワインはあるし、調味料も野菜も揃ってる。――安心しろ。お前には期待してない」
 ときどき口の悪さが出てくるなと、和彦は気を悪くするよりも、おかしくて笑ってしまう。
 昼食は、焼き立ての食パンを買ってきたというのでホットサンドを作ることにして、それならと、コンソメスープもつけることにする。小腹が空いたときに手軽に飲めるため、インスタントのカップスープを重宝しており、また頼んでおこうかと考えているうちに、ログハウスに着いた。外には、鷹津が使っている軽ワゴン車が停まっている。どういう経緯で選んだのか、髭面の男には似つかわしくない、明るい黄色の丸みを帯びた可愛い車体で、乗っている鷹津の姿を見るたびに、和彦は表情を緩めるのだ。
 玄関に入ると、暖かさに大きく息を吐き出す。手袋を外し、もごもごと身じろぎながらアウトドアブーツを脱ぐと、毛糸の帽子は鷹津に取られた。
「しっかり汗を拭いておけよ。また熱を出すぞ」
 はいはいと返事をして寝室に入ると、脱いだダウンコートなどをクローゼットに仕舞う。ここで一気に疲労感に襲われ、和彦はベッドに這い上がって転がった。極端に足がだるいのは、普段より少しだけ長く歩いたからだ。
 情けない、と自嘲しながらも、まだしばらくこのままでもいいのではないかと、不安定に気持ちは揺れる。予定に縛られない、少し散歩をしただけで充足感を得られる生活は、案外心地がいい。
「おい、ホットサンドの具は――」
 寝室を覗きにきた鷹津が、ベッドの上の和彦を見て表情を険しくする。
「気分が悪いのか?」
「……知らない鳥が飛んでいたから、横になって見ていただけだ」
 鷹津がほんの一瞬見せたほっとしたような表情に、目を奪われる。我に返った和彦は、ぎこちなくベッドを下りる。
「作るの手伝う」
「焦がすなよ。神経質そうに見えて、お前けっこう、大雑把なところあるぞ。いや、大雑把というか、適当――」
「……足が完全に治ったら、蹴りを覚悟しろよ」
 怖い、怖い、とおどけたように言って、鷹津は肩を竦める。和彦は、今は蹴りを入れられない代わりに、向けられた広い背を軽く拳で殴りつけた。

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