血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,197 / 1,268
第45話

(17)

しおりを挟む
「――……約束を守れ、って、そういう意味だったんだ」
 呻くような和彦の呟きが何を指しているか、すぐに俊哉は解した。
『お前の存在を目立たせるわけにはいかなかった。しかも、紗香と一緒にいるなど、あってはならないことだ。――ただ、わたしなりに、あの結末は後悔している。紗香は、あんな亡くなり方をしていい人間ではなかった。世間知らずだが、普通の優しい女だったんだ。お前が、当時のことを忘れてしまったのは不幸中の幸いだと、ずっと思っていたが……』
 深く息を吐き出して、和彦は抱えた膝に顔を埋める。秘密を封じ込めていた箱の紐は、一度緩んでしまえば、あとは簡単に解けてしまう。開いた箱から溢れ出たものが和彦の中を満たしていき、苦しくて堪らない。
「……ぼくの人生は、生まれる前から決められていた、ということか……」
『それでも、自由にはさせたつもりだ。進学のために一人暮らしをさせて、医者になったあとも、佐伯の家に戻ってこいとは言わなかった。いつか英俊が佐伯の姓を捨てたあと、お前が戻ってくれば、それでよかった。何かを強いるつもりはない。お前は佐伯の人間として生きてさえいればいいんだ』
「兄さんは、佐伯の家を大事にしている。父さんの思い通りにならない可能性があるのに」
『〈あれ〉は、あまりにわたしに似すぎている。わたしの人生をたどろうとして、わたし以上に血に殉じようとして――苦々しかった。英俊は、若い頃のわたしだ』
 佐伯の血が流れている英俊から、あえて姓を奪うという行為は、血の呪いから解放してやりたいという親心なのか、佐伯の家の系譜を歪めてやろうという、俊哉なりの復讐なのか。
 わからない、と和彦は何度も声に出して呟く。俊哉の抱えている闇の深さが、本当にわからなかった。どれほど、佐伯の血を疎んでいるのかも。
「父さんは、ぼくに意思があることを忘れている。もしぼくが、全部知ったうえで、和泉の家に入ると決めたら、どうするつもりなんだ。今みたいな話を聞いて、どんな顔をして家に戻ればいい……」
『和泉の家に入ったところで、お前は紗香と同じ苦しみを味わうだけだ。もともと和泉の家は、憂いの種となっていた紗香の元婚約者の実家が断絶したあと、お前を返してほしいと、こちらに連絡を寄越してきていた。お前の健康な体があれば、後継ぎとなる子はどうとでもなると考えていても不思議ではない。〈和泉〉と〈和彦〉、姓と名に同じ漢字が入っていると短命になると、古い言い伝えを信じている家だ。お前に名も捨てさせるかもな』
「そんな……」
 和泉の家に住む人たちと接してみて、そんな企みがあるとは到底思えなかった。少なくとも総子はもう、家の将来について諦観のような感情を抱いていると感じた。
「血の呪いだと言いながら、父さん自身が、ぼくに呪いをかけようとするんだね……」
『お前がこちらに戻ってきたら、膝を突き合わせて、いくらでも時間をかけて語ろう。――お前が佐伯家を継ぐべき人間だと、何度でも言ってやろう』
 ふいに猫が鳴き声を上げ、体を丸めたままこちらを見る。大きな丸い目を見つめ返しながら和彦は、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしていた。
「母さんは、全部知ってる?」
『……どうだろうな。英俊を婿養子に出す話に前のめりなのは、綾香なりに、わが子を守りたいと思ってのことかもしれない。佐伯や和泉の家から引き離そうと』
 初めて抱く感情だが、和彦は、自分自身を強烈に哀れんでいた。同時に、叫び出したいほど猛烈な怒りに襲われた。そして次の瞬間に襲われたのは、虚無感だった。
「血の繋がらないぼくに託すぐらいなら、父さん自身が、抗うべきだった。父さんの対応次第で、紗香さんはあんな亡くなり方をしなくて済んだかもしれない」
『そのことに気がついたときには、手遅れだった。そもそもわたしも、長嶺と出会っていなければ、考えなかった。……いろんなことを』
 俊哉の声は、暗い澱みのようなものを感じさせた。胸の内にずっと隠し持っていたものを晒しながら、この人はどんな感情に支配されているのだろうと、想像せずにはいられない。一方の和彦自身は、疲れからか声が掠れ気味となっていた。
 まだ聞かなければならないことがあるのではないかと、忙しく頭を働かせるが、思考は緩慢になりつつある。
 昨日までとは、まさに世界が一変したのだ。佐伯という姓に対しても、家族に対しても、自分は異物だという認識はあったが、完全に血が繋がっていないという現実は、あまりに非情だ。
「だったらぼくも、父さんと同じだ。長嶺の男たちと出会って、いろんなことを考えるようになった。その中の一つに、佐伯の姓を失っても、生きていけるんじゃないか、ということもある……」
 和彦のこの発言に対して返事をしなかった俊哉だが、電話を切ろうとしたとき、最後にこんなことを言った。
『――明日は、列車を乗り継いで帰ってこい。新幹線は今からだともう予約が取れないだろ』
 俊哉の指示を怪訝に思ったが、あえて疑問を口にするほどではない。実際、帰省終わりのラッシュが始まっており、和彦が利用する予定の新幹線は全車指定席となっているため、予約は絶望的なはずだ。
 それに、無理をしてでも一刻も早く帰りたいという心境ではない。
「わか、った……」
 電話を終えた和彦はぐったりと壁にもたれかかり、しばらく動けなかった。



しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...