血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,196 / 1,268
第45話

(16)

しおりを挟む
「……友人、だった?」
 バカなことを言うなという意味か、俊哉は短く息を吐いた。鼻で笑ったのかもしれない。
『一時的な用心棒代わりにあの男を使っている間に、わたしたちは互いに毒を注ぎ込んだ。――組をただ次の代に繋いでいくためだけの、能無しの装置なのかと罵ったら、顔色を変えていたな。わたしに対しては、心の中で毒づきながらも、結局家の名から逃げれる気のない怠惰者なまけものだと、あの男は言った』
 理解したくないが、理解できてしまう者同士、言葉で互いの弱い部分を抉ったということだろう。
『それで、二度と会うつもりはなかった。わたしは、わたしの人生を歩むことにしたからな。長嶺にしても、同じだったかもしれない。だが忌々しいことに、和泉家が抱えたトラブルの処理のために、わたしはまた、助けを借りることになった』
「もしかして、母さ……紗香さんの婚約破棄の件で、和泉家と婚約者の家が揉めていたこと……」
『佐伯と和泉と長嶺、血の呪いを受け継ぐ家同士の、共同作業だ。さすがに、和泉の家と長嶺を接触させることはしなかったし、言われたこと以外はするなと釘を刺しておいた。和泉の家に厭われると、土地に厭われる、という忠告も』
 このとき再会した守光は、もう夢見がちな、父親に従うだけのヤクザではなくなっていたという。
『奴の父親は死んでいた。突然死したと新聞の記事には出ていたが、長嶺本人は、追い落としたとわたしに話した。詳しくは聞かなかった。……違うな。聞けなかった』
 熱を帯びることも、抑揚が変わることもない俊哉の話しぶりに、和彦は怖気立つ。脳裏に浮かんだのは、紗香の命が消える瞬間を見ていた自分たち父子の姿だ。
『――紗香も、わたしと同じような人間だった。和泉の血を呪いながら、どう足掻けばいいかもわからない。初めて会ったときに受けた印象は、綾香によく似てはいるが、おとなしい、従順さだけが取り柄の女というものだった。そんな彼女が変わったのは、賀谷という医学生と恋仲になってからだ』
「……賀谷先生に会って、知っていることを全部教えてもらった」
『恋に狂った、というやつだな。まるで脱皮するように、紗香は別の生き物になった。赴任先で一人暮らしをしていたわたしは、紗香をずっと間近で見ていた。正直、あの変化ぶりには感銘を受けた。紗香の婚約破棄のごたごたの処理のため、さっき言ったように、長嶺と再会したのもよくなかった。血の呪いに抗えるのは、長嶺といい、己を構成する〈何か〉を削ぎ落とせる人間なのだと思った』
 ひたすら淡々と俊哉は話し続ける。それを聞き続ける和彦は、携帯電話を持つ手が氷のように冷たくなっていくのを感じた。こんな形で自分の出生にまつわる話を聞かされるのは、拷問に近かった。ただ、さまざまなことを知りすぎて感覚が麻痺している今だから、受け入れられるともいえる。
『自分が妊娠したと知ったとき、紗香は動揺していた。子供は産みたい。しかし、そうなれば確実に自分から引き離される。田舎の名家だ。婚約者以外の男の子を産んだなどと知られるわけにはいかないからな。見も知らない遠戚に養子にやられるぐらいならまだいい。縁も所縁もない人間のもとにいってしまったら――と、それをずっと心配していた』
「……同情したからぼくを引き取った、というわけじゃないんだろう……?」
 俊哉の語りを聞いていれば、嫌でもわかる。紗香との間に甘さや優しさを含んだ感情など介在していなかったのだと。
 電話の向こうから微かに何か軋む音が聞こえてきた。書斎のイスに座り直した音だと見当をつけた和彦は、自らも、膝を抱えるようにして座り直す。
『同情なんてものは、薄っぺらな感情だ。……紗香から妊娠の話を聞かされたとき、これは天啓だと思った。お前は、望まれて生まれた子だ。間違いなく』
「ぼくに、その言葉を信じろと?」
 皮肉っぽく洩らした和彦は、その口調が俊哉に似ていることに気づき、ハッとする。体を形成するものだけが、〈親〉から受け継ぐすべてではないのだと、この状況だからこそ実感していた。
 俊哉の口ぶりで、もうとっくに悟ってはいるのだ。自分は、俊哉の血を引いていないと。それでも、父子として生活してきた時間は、確かにこの体に宿っている。
「わからない……。父さんみたいな人が、どうして必死になってまで、ぼくを手元に置きたがったのか」
『長嶺と出会って、わたしは気づいたんだ。佐伯の血をどうしたいのか。――お前は、わたしが歩めなかった、わたしのもう一つの人生だ』
 わからない、と和彦は絞り出すようにもう一度呟く。それが聞こえなかったのか、あえて無視したのか、俊哉は話を続ける。
『紗香とは約束を交わした。子はわたしが引き取り、佐伯家の人間として育て、和泉の家には渡さないと。わたしの、というより、綾香の手元に置けるということで、紗香はひどく安堵していた。常にわが子の居場所がわかるということが、何より大事だったのだろう。ただしわたしは、お前が幼いうちは接触するのを禁じた。二人の母親の存在など、人格形成に悪影響を及ぼすのは、明白だからな』
「……紗香さんは、父さんに何を望んだんだ」
『お前を、賀谷と同じように医者にしたいということ。それと、その賀谷に迷惑をかけないこと。わたしは約束を守るつもりだった。和泉の家だけでなく、賀谷に危険が及ばないよう、長嶺に手を回したぐらいだ』
 なのに、と俊哉は洩らす。ここで初めて、口調にわずかな苛立ちが混じった。
『お前を佐伯家の人間として引き取り、育て、順調にやっていた中で、あんなことが起こった』
 紗香が精神的に安定しているうちは、俊哉との約束は守られていたのだろう。しかし結局は、和彦の記憶にあるとおりだ。悲劇は起こってしまった。母親が子に寄せる想いの深さを見誤っていたというより、紗香という女性を、俊哉は理解しきれていなかったのかもしれない。
『紗香は、世間知らずなままだった。お前を連れ去っても、二人で遠くに知らない土地に逃げる手段を思いつかず、結局、和泉家の土地に逃げ込んだ。それが彼女の本能だったということだ。わたしとの約束など、頭に残っていなかったのだろうな』
 俊哉が、理性の枠外で動く和彦を、紗香とよく似ていると感じていたとしても、不思議ではなかった。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...