血と束縛と

北川とも

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第45話

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 寺の駐車場は、まだ早い時間帯ということもあってか停まっている車の数は少ない。和彦は反射的に背後を振り返る。男たちはあとをつけてきてはいないようだが、油断はできない。
 山門を潜ると、境内には思っていたよりも人の姿がある。初詣目的の他に、近所の人たちにとっては散歩コースの一つなのかもしれない。
 境内に設置された案内看板と、総子が書いた地図を見比べる。表からはわからなかったが、寺の敷地は広かった。和泉家から寺に向かう道中より、寺の敷地の中のほうがよほど迷いそうだ。
 石畳に沿って移動する前に和彦は、参拝者たちに倣って手水舎で手を清めてから、本堂に目を向ける。実家で過ごしていて新年らしい行事どころではなかったため、せめてこれぐらいはと、賽銭箱に賽銭を入れ、本堂で手を合わせておく。
 山門を出入りする人たちを確認してから、足早に移動する。
 墓地はいくつかの区画に分かれており、古くからの檀家であろう和泉家の墓は、本堂から一番離れた区画にある。かつては旧本堂があった場所だと、案内看板には書かれていた。
 石畳から砂利道に入って数分ほど歩くと、石段へと差し掛かる。両側には地蔵が何体も並んでおり、皆、可愛らしい毛糸の帽子と前掛けをしている。檀家や信者たちによって大事にされている寺なのだと、払い清められた石段や身綺麗にしている地蔵たちの様子から伝わってくる。
 人影はなく、おかげで自分のペースで歩くことができる。霜で濡れた石段は意外によく滑り、これが革靴だったらと思うと、緩やかな勾配とはいえ上がるのに難儀したかもしれない。
 手すりを掴もうとして、あまりに冷たくて飛び上がりそうになる。やむなくまた手袋をするしかなかった。
 黙々と石段を上がり続けていた和彦だが、足元に伸びた影に気づいて顔を上げる。石台の上に据えられた観音像が、穏やかな表情を浮かべていた。長い石段の途中ということで休憩所を兼ねているのか、整備されたスペースにはベンチも置かれている。石台の高さもあってまるで観音像に見下ろされているようだが、どこに向けているとも知れない眼差しの柔らかさに、和彦は惚けたように見入ってしまう。
 そのまま立ち去るのも忍びなくて、観音像の足元に置かれた小さな賽銭箱に小銭を入れた。
 石段を上がりきると、墓地はすぐ目に入った。日当たりのいい場所で、暮石は古いものが多いが、放置されている印象はまったくなく、それどころかよく手入れされていると一目見てわかる状態だ。微かに線香の匂いが漂っているのは、和彦と入れ違いで墓参りを済ませた人がいるのかもしれない。
 墓地の入り口で備え付けの手桶と柄杓を借りると、水桶に溜めている水を分けてもらう。
 探すまでもなく、和泉家の墓はすぐにわかった。墓地の一番奥まった場所に一際立派な墓石があり、まだ新しい花が供えられている。紗香の墓は、その隣にあった。墓石は一回り小さいが、それでも十分立派なもので、亡くなって三十年近く経っていることを感じさせない、きれいな墓だった。
 たくさんの花が供えられ、しかもその花はどれも生き生きとしている。頻繁に誰かがここを訪れては、花を供え、掃除をしているのだろう。
 愛されて、大事にされていた人なのだ。和彦は、墓誌に刻まれた紗香の名をじっと見つめながら、心の中で呟く。
 買ってきた小菊も供えると、総子たちが持たせてくれた袋から線香や数珠を取り出す。
 墓参り自体は淡々としたものだった。語り掛けるだけの思い出があるわけでもなく、そもそも紗香という人物に対する想いは、和彦の中でいまだに輪郭の掴めないものだ。総子から話を聞かされ、ようやく思慕や憐憫めいたものが胸に湧き起こっているが、それが自分自身の感情なのか、感化されたものなのか、判然としない。
「……また来ます」
 ようやく、そう声をかけてから立ち上がった和彦は、最後に片方の手袋を外して墓石を撫でる。これが、今生きている自分の温もりだと伝えるために。
 手桶と柄杓を返し、帰ろうとしたところで、この場所が見晴らしがいいことに気づいた。石段を上がるときはずっと足元に意識が向いていたため、周囲の景色など見る余裕がなかったのだ。
 吹き付けてくる寒風に首を竦めながら、鉄柵の際まで近づく。山を切り開いたような場所にある墓地のため、鉄柵の先は収穫を終えたあとの段々畑となっていた。視線を先に向ければ、この土地の様子がよく見渡せる。田畑だけではなく流れる川。民家に、小学校らしい建物もある。可愛らしい形をした屋根の建物は、幼稚園か保育所のようだ。
 改めて、自分がここで育っていたらと想像していた和彦だが、ふと、和泉家の屋敷も見えることに気づいた。広い敷地を取り囲む土塀がよく目立っている。
 古く立派な先祖の墓と屋敷は、和泉家がこの土地で生きてきた歴史の長さを物語っていた。代々の当主たちは、別の生き方をしたいと願ったことはないのだろうかと考えてしまうのは、〈家〉や〈血〉に囚われている人々を間近で見ているからだ。和彦自身は、その人々に囚われている。
 囚われるということは、決して忌まわしいことばかりではない。今は、そう思えるのだ。
 このとき強い風が吹き、髪が乱れる。顔をしかめつつ髪を掻き上げた和彦は、視界の端に映ったものにドキリとした。
 和泉家の敷地の裏手にある山の木々は、寒さが厳しい時期となり全体に茶褐色か、暗緑色に落ち着いている。そこに、一瞬だけ赤色が見えたのだ。時期外れの紅葉だとは思わなかった。その赤は、あまりに人工的な色合いだったからだ。
 一体なんなのか気になった和彦は、鉄柵からわずかに身を乗り出す。もう一度強い風が吹いて木々の枝がしなり、さきほどよりしっかりと赤色が――物体が見えた。
 さほど高くはない山の頂上付近に屋根らしきものが。
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