血と束縛と

北川とも

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第45話

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 こぢんまりとした駅を出た和彦は、白い息を吐き出しながら、その場に立ち尽くしていた。
 見慣れない風景に、澄み切った空気と吹き付けてくる風の冷たさ。それら一つ一つを丹念に確認してから、和彦はゆっくりと辺りを見回す。
 コンビニと喫茶店、ビジネスホテルにガソリンスタンド。目についた建物を心の中で羅列してみたが、すぐに後が続かなくなる。新幹線から在来線に乗り換えて、窓の外を流れる景色がどんどん変化していく様子を眺めてはいたが、和彦の感想としては、長閑な地方都市にやってきたのだなという一言だった。
 列車から降りたのは和彦以外には三人で、あっという間に駅から立ち去ってしまう。尾行がついていないのは確実だ。
 和彦はボストンバッグを肩にかけ、すでに冷たくなりかけている手を擦り合わせる。俊哉の指示通り、泊まりに必要な最低限のものは、新幹線に乗る前に慌ただしく買い揃えた。せめて、事前に教えてくれていればと、今になって苛立ちを覚える。
 おかげで、お守り代わりとしていた、千尋と三田村からのクリスマスプレゼントを持ってこられなかった。賢吾の香水だけは、実家を出る前につけてきたが、時間とともに香りは淡くなり、もうすぐ消えてしまうだろう。
 唯一、南郷から贈られた手袋は、コートのポケットに突っ込んだままだったというのは、皮肉というしかない。
 物に罪はないからと、和彦は言い訳のように胸の中で呟きながら、手袋をする。
 俊哉からのメモを取り出し、目的地までの道程をもう一度確認する。簡潔さを極めたような内容で、和泉家の住所と降りる駅しか記されていないのだ。一応、和泉家の電話番号も書いてはあるが、まさか、迎えに来てほしいと連絡できるはずもない。
 雪もちらついており、立ち尽くしているわけにはいかない。和彦は駅に戻ると、案内所で移動方法などを聞いてから、バスの時間も確認し、コンビニで買い物をして小銭を作ってくる。
 バスがやってくるまでしばらく待つことになり、いっそのことタクシーを使おうかと考えなくもなかったが、あまり急いで着きたくないという思いもあり、和彦の心中は複雑だ。
 熱い缶コーヒーがすっかり冷めた頃にバスがやってきて、急いで飲み干して乗り込む。
 車内は暖房がよく効いており、ほっとして手袋を外す。乗客は和彦以外に中年の女性二人連れと、小学生らしき少年が乗っていたが、五つ目の停留所に停まったときには全員降りてしまい、和彦だけが取り残された。
 バスは町を通り過ぎ、山間に通る道を走り始める。カーブに差し掛かるたびに和彦は体を前後に揺らし、慣れていないと車酔いしそうだと、心配になってくる。
 ただそれも長い時間ではなかった。木々に覆われた変わり映えしなかった景色が一変したのだ。満々と水を湛えた湖が視界に飛び込んできて、身を乗り出す。湖にかかった橋を渡り切ったところでバスが停まり、たまたま近くにかかった案内板から、貯水湖なのだと知る。
 本当に記憶にない景色ばかりだと、和彦は座席に座り直した。


 案内所で教えてもらった停留所がアナウンスされたとき、和彦はバスの振動と暖かさのせいで、ぼんやりとしていた。我に返り、慌てて降車ボタンを押す。いつの間にかバスには、和彦以外の乗客がちらほらと乗っていた。
 降り立った場所の周囲は広大な田畑となっており、遠くに人家が見えている。
「……今日中にたどり着けるかな……」
 不安から、ぽつりとこぼした和彦だが、運よく畑仕事をしている人を見つけて声をかける。
 あからさまに胡乱げな表情を浮かべられたが、和泉家の名を出すと態度は豹変する。ある方向を指さし、この道の突き当たりにある〈屋敷〉が和泉家だと、愛想よく教えてくれた。
「屋敷……」
 きれいに区分された土地のうえ、道はまっすぐに整備されているため、見通しはいい。確かに突き当たりに何か建物がある。
 和彦は礼を言って立ち去る。
 歩きながら、寒さが麻痺するほど緊張していた。万が一にも面罵されるような事態になれば、これ幸いと逃げ帰るかもしれない。和泉家での自分がどんな存在なのか、あえて最悪な想像をしておくほうが、何があっても精神的に楽だ。
 ようやく道の突き当たりまで来たとき、和彦の額にはうっすらと汗ばんでいた。
 古めかしくも手の込んだ工法で造られているとわかる土塀がずっと続いており、たどり着いた門は、家の格を感じさせる立派な数寄屋門だ。石階段を上がって表札を見ると、〈和泉〉と彫られている。
 和泉は元は豪農の家で、山林やそれ以外の土地も多く所有しており、その関係から企業人との交流も盛んだったという。一時期は投資でも成功を収めており、地元での権威は絶大だと、ずいぶん前に俊哉が話していた。
 そんな家で誕生し、違法な形で養子に出された自分に、いまさらどんな話が――。
 門の前に立ったまま、なかなかインターホンを押せないでいた和彦だが、閉じた門の向こうから人の話し声と足音が聞こえてきて、動揺する。一瞬、どこかに隠れようかと思ったが、そんな場所はどこにもない。
 そうしているうちに門が開く。
「先生っ、上着を着ないと風邪引きますよ」
「いいよ、いいよ。車はすぐそこなんだから」
 気安い調子で会話を交わしながら、二人の男女が門から出てくる。
「あっ」
 思わず声が洩れたのは、風で煽られた白衣の裾に目を奪われたからだ。
 和彦の声が聞こえたのか、白衣を羽織っている人物がこちらに視線を向けた。優しげな整った顔立ちに、温和な雰囲気を漂わせた五十代半ばぐらいの男性だ。そのすぐ後ろについているのは、ナース服の上からダウンジャケットを着込んだ四十歳前後の女性で、往診カバンを抱えている。
 一目見て、この家に往診に訪れたのだとわかった。
 まだ三が日なのに大変だなと思いながら、和彦は会釈して見送ろうとしたが、男性のほうは何かに気づいたのか、驚いたように目を見開く。
 そして、すぐ側までやってくると、食い入るように和彦の顔を見つめてきた。

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