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第44話
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「……いえ、そんなことは……」
まさか今の和彦の生活ぶりについてまで、光希に報告しているとは思えないが、受け答えは慎重になる。
「でも、経営者には向いてそう。この人のために尽くしたいと思わせるタイプ。うちのおじいちゃんがそれよ。物腰が柔らかくて、偉ぶってな
くて。そのせいで、どこか頼りないと陰口を叩かれることもあったそうだけど、大半の人は、盛り立ててあげないと、って気持ちになるみ
たい。もう昔のようにバリバリと仕事をする立場じゃないけど、でも、人たらしぶりは健在。いまだに〈お友達〉が多いみたい」
わたしね、と光希が続ける。
「おじいちゃんと同じ種類の人と、最近出会ったの。誰だかわかる?」
話を聞いていて、ある人物の顔が脳裏に浮かんでいた和彦は、光希の反応を探りながら答えた。
「――もしかして、ぼくたちの父、ですか」
「素敵なおじさま。官僚として優秀なのににこやかで優しくて、しかもあんなに眉目秀麗。いろいろな方面から話を聞いたけど、あなたのお
父様を悪く言うものは一つもなかった。若い頃から、たくさんの人から好意や尊敬の念を向けられてきたんでしょうね」
「ええ、まあ……。自慢の父で――」
「でもきっと、家族に見せる面は違う」
きれいなネイルが施された自分の指先を眺めながら、光希が言う。
「おじいちゃん、他人からの評判のよさとは違って、家庭だと暴君だったの。今はずいぶん丸くなったけど、それでも、うちの親は
逆らえない。おじいちゃんが、わたしに婿を取らせろと言うなら、そうするしかない。あなたのお父様とずいぶん気が合うようだから、縁続
きになるのが楽しみなんでしょうね」
「……嫌じゃ、ないんですか」
「嫌どころか、結婚の話が出てからずっと、ワクワクしてる」
示し合ったように二人は、ガーデンルームで観葉植物を眺めている英俊へと目を向けていた。
「あなたとお兄さん、どちらがお父様と似ているの? わたしは、楽しい人と結婚したいなあ」
暗に、結婚相手は和彦でもかまわないと仄めかされる。正式に結納を交わしてはいないうえ、婚約の話はまだ内々でしか進めていない。つまり、
取り換えは可能だという光希なりの冗談なのかもしれないが、和彦は何も答えることができなかった。
ちょうどそこにコーヒーが運ばれてきて、ほっとする。光希から逃れるように、英俊を呼んでくると言い訳して和彦は立ち上がった。
「――兄さん、コーヒーを淹れてもらったから、一旦中に入ろう」
窓を開けて声をかけたが、英俊は観葉植物に視線を落としたまま動こうとしない。和彦は光希の様子をうかがってから、自分もガーデンルーム
に入る。なんとなく窓を閉めると、いきなり英俊が言った。
「お前がこの家に入ったらどうだ」
さきほどの光希との会話が聞こえていたのだろうかと、ドキリとする。しかし、そうではないようだ。
「彼女と話してみてわかっただろう。わたしとでは、水と油ぐらい、気質が合わない」
「そんなこと、今言わなくても……」
「経済的に余裕がある家だ。お前一人飼うぐらいできるだろう。結局のところ、わたしとお前、どちらでもいいんだ。結果として、佐伯家と西宮家が
姻戚になればいいんだし、わたしが政治家を目指すことに変わりもない」
言葉自体は辛辣なのだが、英俊の口調に刺々しさはない。どこか投げ遣りで、諦観のようなものが滲んでいる。和彦だけでなく、英俊もまた、悩
みすぎて疲れているのかもしれない。
「……それはぼくじゃなく、父さんに話すべきだ。兄さんならわかってると思うけど、決断しないと、引き返せないことになるよ」
ようやく視線を上げた英俊に睨みつけられた。
「楽なほうに流れているだけのお前に、そんな偉そうなことを言われるとはな」
「兄さんも同じだろ。父さんのあとを追いかけるだけだったんじゃないか。……そうできるだけの優秀さも勤勉さもあったから、できたんだ
ろうけど。ぼくには無理だった」
昨夜のやり取りを繰り返しているようだなと思ったが、互いに激することはない。ここが訪問先の家だということもあるが、感情をぶつ
け合って一晩経って、物怖じすることなく〈兄〉に向かい合えた。
頑なであるはずの英俊の中にも、何かしら思うところはあったのだろうか――。
さすがにそんな無遠慮な質問はできないなと、和彦が微苦笑を浮かべる。
一緒に部屋に戻ると、先にコーヒーに口をつけていた光希がにっこりと笑いかけてきた。
「ご兄弟、仲がよろしいのね」
発言に悪意は感じられない。和彦が動揺して口ごもる隣で、英俊は苦虫を噛み潰したような顔となっていた。
まさか今の和彦の生活ぶりについてまで、光希に報告しているとは思えないが、受け答えは慎重になる。
「でも、経営者には向いてそう。この人のために尽くしたいと思わせるタイプ。うちのおじいちゃんがそれよ。物腰が柔らかくて、偉ぶってな
くて。そのせいで、どこか頼りないと陰口を叩かれることもあったそうだけど、大半の人は、盛り立ててあげないと、って気持ちになるみ
たい。もう昔のようにバリバリと仕事をする立場じゃないけど、でも、人たらしぶりは健在。いまだに〈お友達〉が多いみたい」
わたしね、と光希が続ける。
「おじいちゃんと同じ種類の人と、最近出会ったの。誰だかわかる?」
話を聞いていて、ある人物の顔が脳裏に浮かんでいた和彦は、光希の反応を探りながら答えた。
「――もしかして、ぼくたちの父、ですか」
「素敵なおじさま。官僚として優秀なのににこやかで優しくて、しかもあんなに眉目秀麗。いろいろな方面から話を聞いたけど、あなたのお
父様を悪く言うものは一つもなかった。若い頃から、たくさんの人から好意や尊敬の念を向けられてきたんでしょうね」
「ええ、まあ……。自慢の父で――」
「でもきっと、家族に見せる面は違う」
きれいなネイルが施された自分の指先を眺めながら、光希が言う。
「おじいちゃん、他人からの評判のよさとは違って、家庭だと暴君だったの。今はずいぶん丸くなったけど、それでも、うちの親は
逆らえない。おじいちゃんが、わたしに婿を取らせろと言うなら、そうするしかない。あなたのお父様とずいぶん気が合うようだから、縁続
きになるのが楽しみなんでしょうね」
「……嫌じゃ、ないんですか」
「嫌どころか、結婚の話が出てからずっと、ワクワクしてる」
示し合ったように二人は、ガーデンルームで観葉植物を眺めている英俊へと目を向けていた。
「あなたとお兄さん、どちらがお父様と似ているの? わたしは、楽しい人と結婚したいなあ」
暗に、結婚相手は和彦でもかまわないと仄めかされる。正式に結納を交わしてはいないうえ、婚約の話はまだ内々でしか進めていない。つまり、
取り換えは可能だという光希なりの冗談なのかもしれないが、和彦は何も答えることができなかった。
ちょうどそこにコーヒーが運ばれてきて、ほっとする。光希から逃れるように、英俊を呼んでくると言い訳して和彦は立ち上がった。
「――兄さん、コーヒーを淹れてもらったから、一旦中に入ろう」
窓を開けて声をかけたが、英俊は観葉植物に視線を落としたまま動こうとしない。和彦は光希の様子をうかがってから、自分もガーデンルーム
に入る。なんとなく窓を閉めると、いきなり英俊が言った。
「お前がこの家に入ったらどうだ」
さきほどの光希との会話が聞こえていたのだろうかと、ドキリとする。しかし、そうではないようだ。
「彼女と話してみてわかっただろう。わたしとでは、水と油ぐらい、気質が合わない」
「そんなこと、今言わなくても……」
「経済的に余裕がある家だ。お前一人飼うぐらいできるだろう。結局のところ、わたしとお前、どちらでもいいんだ。結果として、佐伯家と西宮家が
姻戚になればいいんだし、わたしが政治家を目指すことに変わりもない」
言葉自体は辛辣なのだが、英俊の口調に刺々しさはない。どこか投げ遣りで、諦観のようなものが滲んでいる。和彦だけでなく、英俊もまた、悩
みすぎて疲れているのかもしれない。
「……それはぼくじゃなく、父さんに話すべきだ。兄さんならわかってると思うけど、決断しないと、引き返せないことになるよ」
ようやく視線を上げた英俊に睨みつけられた。
「楽なほうに流れているだけのお前に、そんな偉そうなことを言われるとはな」
「兄さんも同じだろ。父さんのあとを追いかけるだけだったんじゃないか。……そうできるだけの優秀さも勤勉さもあったから、できたんだ
ろうけど。ぼくには無理だった」
昨夜のやり取りを繰り返しているようだなと思ったが、互いに激することはない。ここが訪問先の家だということもあるが、感情をぶつ
け合って一晩経って、物怖じすることなく〈兄〉に向かい合えた。
頑なであるはずの英俊の中にも、何かしら思うところはあったのだろうか――。
さすがにそんな無遠慮な質問はできないなと、和彦が微苦笑を浮かべる。
一緒に部屋に戻ると、先にコーヒーに口をつけていた光希がにっこりと笑いかけてきた。
「ご兄弟、仲がよろしいのね」
発言に悪意は感じられない。和彦が動揺して口ごもる隣で、英俊は苦虫を噛み潰したような顔となっていた。
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