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第44話
(37)
しおりを挟む「――両手に花です」
隣を歩いている〈彼女〉の言葉に、和彦は軽く首を傾げてから、斜め後ろを歩いている英俊にちらりと目を向ける。不機嫌そうに唇を歪めたまま反応しないため、仕方なく和彦が問いかけた。
「何が……ですか?」
「今のわたしが、両手に花ということです。よく似た素敵なご兄弟に囲まれて」
なんとも答えようがなくて、和彦は視線をさまよわせる。
英俊の婚約者は楽しそうだが、和彦はずっと困惑し続けている。前日に俊哉から、家族で出かけるとは言われていたが、場所については何も教えられなかった。そのことについては、もう仕方ないと受け入れている。和彦は従うだけだ。
しかし、困惑するぐらいは許されてもいいだろう。
英俊の婚約者と、その両親を交えての昼食会だと告げられたのは、移動中の車内でだった。向かう先は、婚約者両親が暮らす邸宅。
ハンドルを握る俊哉の横顔を一瞥して、和彦は心の中で呟いた。三日前に会ったばかりではないか、と。
和彦の言わんとしたことを表情から読み取ったらしく、俊哉は、お前はお嬢様の眼鏡に適ったようだと、シニカルな口調で応じた。
和彦は、前を走る英俊が運転する車にぼんやりと目を向けていた。その助手席には綾香が座っている。わざわざ二台の車に分乗したのは、和彦に言い含めておくことがあったからのようだ。
つまり面談で、和彦の存在が不穏当だと判断されていれば、婚約の話は流れていたかもしれないのだ。そんな場に、大した説明もなく連れて行かれたのかと、ゾッとするしかなかった。俊哉にも、兄の婚約者にも。
そして現在、一同に会して和やかな雰囲気の中で昼食をとったあと、親同士で大事な話があるということで、英俊と婚約者、そこに和彦も加わって、部屋を移動していた。
大企業の創業者一族という、華やかな家柄に相応しい邸宅だった。建物だけではなく、さりげなく置かれた調度品や美術品には手間も金もかかっているのだろうと、容易に想像できる。
佐伯家の場合、俊哉も綾香も家の中が片付いていればいいという考え方で、だからこそ飾り立てることに興味がない。他人を招いたときの体裁を整えるために購入された品はいくつかあるが、二人の好みが反映されているとは思えなかった。
自分は一体誰に似たのだろうかと、買い物好きであることや、細々としたものを集めてしまう癖を思い返し、ついほろ苦い気持ちになってしまう。
長い廊下を歩きながら和彦は、飾られた絵画に目を向ける。名のある画家のものなのだろうが、あいにく立ち止まってじっくりと鑑賞できる状況ではない。なんとなくだが、英俊と婚約者を並んで歩かせてはいけないと、妙な危機感が働いている。婚約者がいくら話しかけても、英俊が短い相槌しかしないため、間を取り持つために和彦が応じるハメになっているのだ。
俊哉との約束で、今日が彼女との初体面ということになっている。英俊に勘繰られまいと、あまり親しげな雰囲気を醸さないよう、和彦はずっと気を張っている。彼女のほうも心得ているようだが、こちらの苦労も知らず、英俊はいつも通りだ。
一階の客間に入ると、勧められるまま和彦はソファに腰掛けたが、英俊のほうは窓に近づいた。
制止する間もなく窓を開け、そのまま外に出てしまう。
「ガーデンルームよ。うちに何回か来ているけど、英俊さんはあそこがお気に入りみたい」
客間に隣接したガラス張りの広々としたスペースには、たくさんの観葉植物が並んでいる。英俊が何に興味を示しているのかわかり、和彦は呼び戻すのはやめた。
ソファに座り直して、わずかに顔をしかめる。英俊の婚約者からの無遠慮な視線に気づいたからだ。
「――あなたは、政治家にはなれないわね」
「えっ」
反射的に彼女と視線が交わった。和彦に向けられる眼差しは楽しげで、興味深げでもある。三日前は、義弟になりうる和彦をあからさまに値踏みしていたが、どうやら様子が変わったようだ。
「感情が表に出すぎ」
「似たようなことを、よく言われます……」
「でも人たらしの才能はありそう。モテるでしょう? お兄さんよりずっと」
〈英俊の婚約者〉というフィルターを通してしか見ていなかった存在から、急に打ち解けたように話しかけられて、面食らう。
和彦はようやくまともに相手を見つめ返し、同時に、名を胸の奥で呟いた。
西宮光希。和彦より年下なのに、まるで物怖じしない、勝ち気な女性だ。
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