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第44話
(33)
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「……なんだ」
さすがに虚をつかれたのか、英俊から声をかけてくる。だがすぐに、忌々しげに唇を歪めて煙草を揉み消そうとしたので、和彦は慌てて庭に出る。
「話がしたいんだっ」
「わたしはない」
「ぼくを避けたって、何も解決しないよ。兄さん」
うるさい、と鋭い声を発した英俊が部屋に戻ろうとし、それを引き留めようとする和彦と軽く揉み合いになる。このとき、まだ消えてなかった煙草の火が、和彦の指の付け根を掠めた。反射的に声を上げると、ようやく英俊が動きを止めた。
火傷の痛みよりも、今は、英俊を逃がさないことのほうが大事だ。和彦は自覚もないまま、英俊の手首をしっかりと掴んでいた。
「――……放せ。火が消せない」
手の力を抜くと、英俊が灰皿で煙草の火を消す。ずいぶん使い込んでいる灰皿だった。
「兄さん、煙草を吸うんだ」
「昔から吸ってた。たまに。どうしようもなく、イライラしているときしか……」
自分も同じだとは言えなかった。
フラワースタンドの隅に灰皿と煙草を置いた英俊が庭の奥へと向かい、和彦もあとに続いた。
閑静な住宅街のため、夜更けともなると通りを歩く人も姿もなく、ひっそりとしている。鉄柵の向こう側に広がる夜の景色を、兄弟で並んで眺める。
英俊とこんなに近い距離にいて、話ができる雰囲気になるなど滅多にないことで、和彦はいまさら緊張していた。
冷静に、と自分に言い聞かせたところで、前触れもなく英俊が言葉を発した。
「因果応報だと思っているだろう」
「えっ?」
和彦が困惑すると、英俊はいきなり感情を露わにする。
「わたしの今の状況すべてに対してだっ。お前がヤクザどもにちやほやされて生活している間に、わたしはっ……、この様だ」
「……兄さんほどの人が『この様』って言うなら、ぼくはどうなるんだろう」
恵まれすぎているが故の傲慢かと、ほんのわずかに英俊に苛立った和彦だが、そうではないなとすぐに思い直す。
いつでも、兄であるこの人は努力をしてきた。そのうえで、両親からの期待に応え続け、周囲から評価されながら、若くして現在の地位を得たのだ。恵まれすぎているというのは、英俊が積み上げてきたものの結果だ。
だからこそ、書斎での俊哉の発言を聞いてしまった和彦は、不安を覚えるのだ。
佐伯家の人間として相応しくあろうと必死に努力してきた英俊が、その佐伯家から『切り離された』とき、壊れないでいられるのか。さらに、里見との関係の軋みまで抱えて。
「お前は自分で選んだ結果だろう」
「それを言うなら、兄さんだって同じじゃないか。今が、選んだ結果、だろう?」
「……昔のお前は口答えなんてしなかった。気味が悪いほどな。そんな憎まれ口を叩かれるぐらいなら、昔のままのほうがよかった」
「家の中で求められるものが違いすぎた者同士、もっと話し合う――ううん、言い争いでもすればよかったのかもしれない。ぼくはそう思うよ。昔は、ただ申し訳なく感じてたから。兄さんに対して……」
英俊のまとう空気が一変したのは、肌で感じた。和彦がハッとしたときには、カーディガンの襟元を乱暴に掴まれていた。炎を孕んだような目で、英俊が睨みつけてくる。
「どうしてお前が申し訳なさを感じるっ?」
「ここが、ぼくの居場所じゃないと思ってたからだ。自分の生い立ちを知ってて、何も感じないわけないだろうっ……」
「だが父さんは、お前を迎え入れた。お前は〈特別〉なんだ。父さんにとっては、たぶん生まれたときから」
「兄さん、そんなことを――……」
ますます襟元を強く引き寄せられ、英俊の顔が迫る。眼差しで射殺されそうだと、和彦は息を詰めていた。
英俊は激高していた。その理由はいくつも思い当たる。逡巡しながらも和彦は切り出さずにはいられなかった。あまりにも、英俊が苦しそうだったからだ。
「……里見さんの仕事部屋で、初めて、兄さんがどんなものに興味があるのか知った気がした。なんていうか、そういうものを持ち込んで置いておけるほど、里見さんに心を許してるんだとも思った。あそこが、兄さんにとって安らげる場所なんだ」
「やめろっ」
乱暴に肩を突かれ、よろめいた和彦は鉄柵に背をぶつけた。英俊は肩を上下させ、相変わらず睨みつけてくる。
「――兄さんは、里見さんのことが好きなんだね」
さすがに虚をつかれたのか、英俊から声をかけてくる。だがすぐに、忌々しげに唇を歪めて煙草を揉み消そうとしたので、和彦は慌てて庭に出る。
「話がしたいんだっ」
「わたしはない」
「ぼくを避けたって、何も解決しないよ。兄さん」
うるさい、と鋭い声を発した英俊が部屋に戻ろうとし、それを引き留めようとする和彦と軽く揉み合いになる。このとき、まだ消えてなかった煙草の火が、和彦の指の付け根を掠めた。反射的に声を上げると、ようやく英俊が動きを止めた。
火傷の痛みよりも、今は、英俊を逃がさないことのほうが大事だ。和彦は自覚もないまま、英俊の手首をしっかりと掴んでいた。
「――……放せ。火が消せない」
手の力を抜くと、英俊が灰皿で煙草の火を消す。ずいぶん使い込んでいる灰皿だった。
「兄さん、煙草を吸うんだ」
「昔から吸ってた。たまに。どうしようもなく、イライラしているときしか……」
自分も同じだとは言えなかった。
フラワースタンドの隅に灰皿と煙草を置いた英俊が庭の奥へと向かい、和彦もあとに続いた。
閑静な住宅街のため、夜更けともなると通りを歩く人も姿もなく、ひっそりとしている。鉄柵の向こう側に広がる夜の景色を、兄弟で並んで眺める。
英俊とこんなに近い距離にいて、話ができる雰囲気になるなど滅多にないことで、和彦はいまさら緊張していた。
冷静に、と自分に言い聞かせたところで、前触れもなく英俊が言葉を発した。
「因果応報だと思っているだろう」
「えっ?」
和彦が困惑すると、英俊はいきなり感情を露わにする。
「わたしの今の状況すべてに対してだっ。お前がヤクザどもにちやほやされて生活している間に、わたしはっ……、この様だ」
「……兄さんほどの人が『この様』って言うなら、ぼくはどうなるんだろう」
恵まれすぎているが故の傲慢かと、ほんのわずかに英俊に苛立った和彦だが、そうではないなとすぐに思い直す。
いつでも、兄であるこの人は努力をしてきた。そのうえで、両親からの期待に応え続け、周囲から評価されながら、若くして現在の地位を得たのだ。恵まれすぎているというのは、英俊が積み上げてきたものの結果だ。
だからこそ、書斎での俊哉の発言を聞いてしまった和彦は、不安を覚えるのだ。
佐伯家の人間として相応しくあろうと必死に努力してきた英俊が、その佐伯家から『切り離された』とき、壊れないでいられるのか。さらに、里見との関係の軋みまで抱えて。
「お前は自分で選んだ結果だろう」
「それを言うなら、兄さんだって同じじゃないか。今が、選んだ結果、だろう?」
「……昔のお前は口答えなんてしなかった。気味が悪いほどな。そんな憎まれ口を叩かれるぐらいなら、昔のままのほうがよかった」
「家の中で求められるものが違いすぎた者同士、もっと話し合う――ううん、言い争いでもすればよかったのかもしれない。ぼくはそう思うよ。昔は、ただ申し訳なく感じてたから。兄さんに対して……」
英俊のまとう空気が一変したのは、肌で感じた。和彦がハッとしたときには、カーディガンの襟元を乱暴に掴まれていた。炎を孕んだような目で、英俊が睨みつけてくる。
「どうしてお前が申し訳なさを感じるっ?」
「ここが、ぼくの居場所じゃないと思ってたからだ。自分の生い立ちを知ってて、何も感じないわけないだろうっ……」
「だが父さんは、お前を迎え入れた。お前は〈特別〉なんだ。父さんにとっては、たぶん生まれたときから」
「兄さん、そんなことを――……」
ますます襟元を強く引き寄せられ、英俊の顔が迫る。眼差しで射殺されそうだと、和彦は息を詰めていた。
英俊は激高していた。その理由はいくつも思い当たる。逡巡しながらも和彦は切り出さずにはいられなかった。あまりにも、英俊が苦しそうだったからだ。
「……里見さんの仕事部屋で、初めて、兄さんがどんなものに興味があるのか知った気がした。なんていうか、そういうものを持ち込んで置いておけるほど、里見さんに心を許してるんだとも思った。あそこが、兄さんにとって安らげる場所なんだ」
「やめろっ」
乱暴に肩を突かれ、よろめいた和彦は鉄柵に背をぶつけた。英俊は肩を上下させ、相変わらず睨みつけてくる。
「――兄さんは、里見さんのことが好きなんだね」
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