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第44話
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「何がしたいんだ、里見さん……」
「君が気にしていることを、知ってもらいたくて。おれと英俊くんの関係がどういったものなのか、気になっているだろう?」
「そんなことっ――」
「君はずいぶん、感情が表に出るようになった。……今日会ってから、おれに対してずっと、物言いたげな顔をしてたよ。それに、おれを責めるような目も」
していないとは言い切れなかった。和彦が目を伏せると、里見も部屋に入ってきてベッドに腰掛ける。
「前に君が電話をくれたとき、おれはこの部屋にいた。……もう察してるんだろう? あのとき訪問者がいて、それが英俊くんだったということは」
「それなのに、連れてきたんだ」
「……君と別れてからのおれは、本当に何もない人間だった。仕事だけだ。うわべだけの人間関係を上手く構築して、なんとなくいい人だと思われて、それなりに満足しているつもりだった。だけど、ときどきふと考えるんだ。君が側にいてくれたら、この店で美味しいものを食べさせてあげたいとか、あそこに旅行に連れて行ってあげたいとか。時間が経てば記憶が薄れて、いつかは思い出すこともなくなるだろうと考えていた」
知的な顔に浮かぶ苦悩の翳りは、里見が本心を語っていると思うには十分だ。だからこそ和彦は、焦りにも似た気持ちから息が苦しくなってくる。
いまさらそんなことを聞かさないでほしいと、叫びたかった。
「情けないが、君が通う大学の近くを車で走ったこともある。偶然という形で、君の姿を見たかった。見るだけだ。顔を合わせて話そうなんて考えなかった」
「勝手だよ、里見さん……」
発した声は震えを帯びていた。
「もう会うのはやめようと言ったのは里見さんだ。ぼくには新しい生活と出会いがあるから、その妨げになりたくないって、立派な大人らしいことを言った。ぼくはしっかりと覚えてる」
「そう思ったんだ。あのときは。どんなに苦しくても、君と会うつもりはなかった。実際おれたちは、十年以上もそうしてきた。きっかけさえなければ、この先何年も――。いや、一生会わなかったかもしれない」
「……それは、兄さんが、里見さんの側にいたから?」
里見がわずかに身じろぎ、ベッドが軋む音がした。
「彼に、未来の君の姿を見ていた。君たちは顔立ちが似ている」
「でも兄さんは、ぼくじゃない」
「わかっている。だけど、君がいなかった間、おれの側にいたのは彼だ」
里見が淡く笑み、和彦は視線を逸らす。
「里見さんは……、子供の頃のぼくが好きなんだ。里見さんにしか懐いてない、里見さんしか知らないぼくが」
「――大人になった今の君を知りたいと言ったら、教えてくれるのかい?」
熱を帯びた眼差しを向けられた和彦は、一瞬、自分の足で立っているという感覚がなくなる。それが眩暈のせいだとわかったときには、背後の本棚にぶつかる。
「和彦くんっ」
素早く里見が駆け寄ってきて、崩れ込みそうになる和彦の体を支える。体に回された腕の力強さを認識したとき、和彦は激しくうろたえていた。里見の顔を、目を見開いて凝視する。里見も、じっと和彦の顔を覗き込んでくる。
我に返って身を捩ろうとしたが、動きを封じるように両腕でしっかりと抱き締められる。耳元で里見に名を呼ばれ、ゾクリとした。
「里見さん、ダメだっ」
「なぜ、おれ〈だけ〉がダメなんだ」
「それは――」
和彦にこれ以上言わせまいとするかのように、里見に唇を塞がれる。
「君が気にしていることを、知ってもらいたくて。おれと英俊くんの関係がどういったものなのか、気になっているだろう?」
「そんなことっ――」
「君はずいぶん、感情が表に出るようになった。……今日会ってから、おれに対してずっと、物言いたげな顔をしてたよ。それに、おれを責めるような目も」
していないとは言い切れなかった。和彦が目を伏せると、里見も部屋に入ってきてベッドに腰掛ける。
「前に君が電話をくれたとき、おれはこの部屋にいた。……もう察してるんだろう? あのとき訪問者がいて、それが英俊くんだったということは」
「それなのに、連れてきたんだ」
「……君と別れてからのおれは、本当に何もない人間だった。仕事だけだ。うわべだけの人間関係を上手く構築して、なんとなくいい人だと思われて、それなりに満足しているつもりだった。だけど、ときどきふと考えるんだ。君が側にいてくれたら、この店で美味しいものを食べさせてあげたいとか、あそこに旅行に連れて行ってあげたいとか。時間が経てば記憶が薄れて、いつかは思い出すこともなくなるだろうと考えていた」
知的な顔に浮かぶ苦悩の翳りは、里見が本心を語っていると思うには十分だ。だからこそ和彦は、焦りにも似た気持ちから息が苦しくなってくる。
いまさらそんなことを聞かさないでほしいと、叫びたかった。
「情けないが、君が通う大学の近くを車で走ったこともある。偶然という形で、君の姿を見たかった。見るだけだ。顔を合わせて話そうなんて考えなかった」
「勝手だよ、里見さん……」
発した声は震えを帯びていた。
「もう会うのはやめようと言ったのは里見さんだ。ぼくには新しい生活と出会いがあるから、その妨げになりたくないって、立派な大人らしいことを言った。ぼくはしっかりと覚えてる」
「そう思ったんだ。あのときは。どんなに苦しくても、君と会うつもりはなかった。実際おれたちは、十年以上もそうしてきた。きっかけさえなければ、この先何年も――。いや、一生会わなかったかもしれない」
「……それは、兄さんが、里見さんの側にいたから?」
里見がわずかに身じろぎ、ベッドが軋む音がした。
「彼に、未来の君の姿を見ていた。君たちは顔立ちが似ている」
「でも兄さんは、ぼくじゃない」
「わかっている。だけど、君がいなかった間、おれの側にいたのは彼だ」
里見が淡く笑み、和彦は視線を逸らす。
「里見さんは……、子供の頃のぼくが好きなんだ。里見さんにしか懐いてない、里見さんしか知らないぼくが」
「――大人になった今の君を知りたいと言ったら、教えてくれるのかい?」
熱を帯びた眼差しを向けられた和彦は、一瞬、自分の足で立っているという感覚がなくなる。それが眩暈のせいだとわかったときには、背後の本棚にぶつかる。
「和彦くんっ」
素早く里見が駆け寄ってきて、崩れ込みそうになる和彦の体を支える。体に回された腕の力強さを認識したとき、和彦は激しくうろたえていた。里見の顔を、目を見開いて凝視する。里見も、じっと和彦の顔を覗き込んでくる。
我に返って身を捩ろうとしたが、動きを封じるように両腕でしっかりと抱き締められる。耳元で里見に名を呼ばれ、ゾクリとした。
「里見さん、ダメだっ」
「なぜ、おれ〈だけ〉がダメなんだ」
「それは――」
和彦にこれ以上言わせまいとするかのように、里見に唇を塞がれる。
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