1,168 / 1,268
第44話
(28)
しおりを挟む自分の車に千尋を乗せて和彦が向かったのは、繁華街の中にある、飲食店ばかりが入った雑居ビルだった。とにかく人目を避け、なおかつ人に紛れ込みたかったのだ。これだけ飲食店があれば、仮に尾行がついていたとしても、二人の姿を容易に見つけ出せないはずだ。
もっとも、千尋と二人きりになった時点でアウトな気もするが、肝心の千尋が和彦から離れないのだから仕方ない。
混み合うエレベーターを途中で降り、階段を使って上がる。入ったのは、個室が使える居酒屋だった。すでに盛り上がっているグループやカップルを横目に、二人は黙り込んだまま個室に案内してもらう。
和彦は車の運転があるためもちろんアルコールは飲めないが、千尋もそんな気分ではないらしく、ソフトドリンクといくつかの料理を頼んだ。
「それで、何があったんだよ」
飲み物が先に運ばれてくると、さっそく千尋が声をひそめて詰問してくる。和彦はグラスの縁を指先で撫でながら、まっすぐ見つめてくる千尋から目を逸らす。
「何もない……。ただ、終わらせたくなっただけだ」
「理由になってねーよ、それ」
「理由は必要ないだろ。もともとぼくとお前は、気が向いたときに寝るだけのわかりやすい関係だ」
「… …先生は、そう思ってたのか?」
千尋の目を見るつもりはなかったのに、切実な言葉の響きに、つい視線を向けてしまう。顔立ちとは裏腹に、強い輝きを放つ子供っぽさを宿した目が、今はきちんと大人の男の目をしていた。雄弁な想いを、目で語っていた。
ズキリと和彦の胸は痛む。その痛みで、遊びのつもりだと自分に言い聞かせながら、実は自分が、千尋との関係をいとおしんでいたことを痛感させられた。できるなら、最後まで気づきたくはなかったことだ。
「お前は、十も年の離れた男のぼく相手に、本気で恋人だとでも思っていたのか?」
「悪いかよ」
きっぱりと言い切られ、さすがに和彦もすぐには言葉が出なかった。知らず知らずのうちに頬が熱くなってきて、うろたえる。ちょうどいいタイミングで料理も運ばれてきて、テーブルに並べられる。
その間に和彦は落ち着こうとしたが、千尋はお構いなしだ。
「――俺が、普通の家に生まれて、普通の親に育てられたんだったら、先生にこうして振られても、悔しくても納得はしたと思う」
和彦はハッとして千尋を凝視する。テーブルの上で千尋は固く手を握り締めていた。
「千尋……」
「こういうことは、初めてじゃない。俺がどういう家の人間か知ると、みんな怖がって逃げていく。だけど、俺もバカなりに観察しているんだ。……オヤジは、俺がつき合う人間を選定している。厄介な人間を、力をちらつかせて俺から遠ざけているんだ。もしくは、直接脅しをかけている」
急に鋭い視線を向けられると同時に、千尋に手を掴まれた。
「組の人間に、何か言われたんだろ、先生」
「……なんのことだ」
「その答えは、いままで俺から離れていった人間と同じだ。誤魔化してるようで、全然誤魔化してないぜ」
和彦は唇を引き結び、答える気はないと態度で示したが、千尋はさすがに、あの父親の息子だった。
「――答えないなら、オヤジに直接聞くからな。先生に何をしたか、何を言ったか、全部聞いてやる。それに、俺が先生と別れる気がないことも言ってやる」
「やめろっ」
そう叫んだ和彦は、自分でも顔から血の気が引くのがわかった。あの男に、和彦が千尋を唆して行動を起こさせたと思われたら、そこで和彦のすべてが終わる。今度こそ、殺されるかもしれない。
千尋の父親からすれば、息子のおもちゃを取り上げるような感覚だろう。
恐怖で震える和彦の手を、痛いほど千尋は握り締めてくる。
「何、された……? こんなに怖がってる」
「何も……、何もされてない。ただ、お前とは会わないよう、言われただけだ。それよりもぼくは、お前の家がああいう感じだとは思ってもいなかったから、それが怖い」
まさか、辱められて、その光景をビデオカメラで録画されたなどと言ったら、千尋は怒り狂い、何をしでかすかわからない。和彦は千尋の父親も怖いが、千尋の暴走も恐れているのだ。
「……先生、隣に行っていい?」
目が据わった千尋に言われ、嫌とは言えない。和彦が頷くと、千尋は隣に移動してきて、すぐに肩を抱いてきた。さすがに個室とはいえ、両隣の客の声や、薄い障子に隔てられただけの通路で行き来する人の気配が気になる。離すよう言いたかったが、肩にかかった千尋の手は、頑是ない子供のように力強い。
「うちの組のことは聞いた?」
耳元に唇を寄せて千尋が尋ねてくる。足を崩して座布団の上に座り直した和彦は軽くため息をついた。
「少しだけ。… …すごいところらしいな」
「すごいと言っても、所詮はヤクザだ。嫌われて、怖がられるだけの存在だよ」
「でもお前、跡継ぎなんだろ。将来、跡を継ぐんじゃ……」
「継ぐよ」
あまりにあっさりと千尋が答えたため、和彦はひどく驚いた。千尋が家を出ていることや、父親に対する微妙な発言から、ヤクザというものを忌避しているのかと思い込んでいた。だが――。
「オヤジになんでも強いられるのが嫌なんだ。だけど、自分の道は自分で選ぶ。俺は、長嶺を継ぐ。嫌われようが、怖がられようが、長嶺の名前は魅力的だ。その名前が持つ力も。俺はガキの頃から、総和会の会長――俺のじいちゃんが、長嶺組の組長として組を引っ張っているのを見てきた。豪放なんだよ。だけどオヤジは……俺の憧れとは違う」
「嫌いなのか?」
「好きとか嫌いじゃない。オヤジは、俺の目指すものじゃない。だから、オヤジに組のことで命令されるとムカつくんだ。俺はまだ、組のことには関わらない。それに、どうせ関わるなら、総和会の本部で動きたい」
その辺りの組織の構成がどうなっているのか、和彦にはよくわからないし、知りたいとも思わない。
ただ、和彦が知らないことを熱のこもった口調で話す千尋を見ていると、強く実感できることがあった。やはり、あの男の息子だと。
暴力団組織を継ぐということに、一切のためらいがない、それどころか抗いがたい魅力を感じている節すらあり、和彦の理解を超えていた。千尋もまた、和彦が関わっていい相手ではないのだ。
「だけど今は自由でいたい。組とは関係なく、いろんなことをしたいし、好きな人と一緒にいたい……」
手が頬にかかり、千尋のほうを向かされる。
「俺のせいで先生が嫌な目に遭ったんなら、俺はオヤジを許さない。例え、俺のためだとしても」
34
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


朝起きたら幼なじみと番になってた。
オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。
隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた
思いつきの書き殴り
オメガバースの設定をお借りしてます
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる