血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,165 / 1,268
第44話

(25)

しおりを挟む




 ベッドに横たわった和彦は、天井を見上げたまま大きくため息をつく。本当は寝返りを打ちたいが、それすら億劫だ。とにかく、疲れ果てていた。
 午後二時頃に俊哉とともに実家に戻ったあと、和彦は何もする気力も体力も起こらず、すぐに自分の部屋に引きこもった。その後、綾香の戻ってきた気配がしたが、わざわざ一階に下りて顔を見せる気にもならなかった。英俊は、いまだ戻ってきていない。
 それでよかったかもしれない。とてもではないが、英俊の顔をまともに見られなかった。
 ようやくもぞりと身じろいで、和彦は体の向きを変える。昔から使っている本棚が視界に入り、わずかに胸が痛んだ。かつては、兄が選んでくれた本がずらりと並んでいたのだ。
 他人が放つ毒にあてられたと、和彦は苦々しく心の中で呟く。
 おかげで帰りの車の中では、俊哉とは会話を交わすどころではなかった。せめて、〈彼女〉との対面の意図について問い質すべきではあったが。
 今からでも――と、なんとか気力を振り絞って起き上がろうとしたとき、携帯電話が鳴り始める。里見との連絡用で使っているものだ。
 どうしても、自分の兄と寝ている人だという事実が、和彦の脳裏をちらつく。嫉妬とも嫌悪ともつかない感情に、胸苦しくなる。
 ためらっているうちに着信音は途切れたが、一分の間も置かず、再び鳴り始めた。里見からの電話を避けることは、実質的には不可能だ。いざとなれば実家の固定電話にかけてくることもできる。
 無駄な足掻きをやめて、ベッドを下りた和彦は電話に出ていた。
『今、大丈夫かな』
 何日ぶりかに聞いた里見の声は、不思議なほど耳に馴染んだ。前回、クリニックを訪ねてきた里見との再会は最悪に近く、もしかするともう二度と、顔を合わせることはないのではないかと、密かに覚悟すらしていたのだ。
 しかし現金なもので、何事もなかったように里見に話しかけられると、和彦はあっという間に昔の感覚へと引き戻されそうになる。一心に里見を慕っていた頃に。
「……うん。自分の部屋にいるから」
 正直に答えたあと、自分が一度は電話に出なかったことを思い出し、慌てて和彦は付け加える。
「ちょっとベランダに出てたんだ。電話に気づくの遅れて……」
 ふっと里見が笑った気配がする。それだけで、わずかに身構えを解いていた。今は、里見と話すのに人の耳を気にしなくていいのだ。
「どうかした、里見さん?」
『夕方から会えないかと思って』
 電話で話すのはいい。しかし、直接会うのは抵抗があった。
 なかなか返事をしない和彦に、里見は柔らかな口調で続ける。
『君に会って謝りたいことがある。それに、きちんと話しておきたいことも』
「……それは、兄さんのこと?」
『そうだ』
「ぼくには聞く権利はないよ。里見さんの口から、兄さんのことを。もう里見さんとは……」
 恋人同士ではないし、想いを残しているわけでもない。
『聞き苦しい言い訳なんていらない、ということかな』
「……里見さん、昔より意地が悪くなったみたいだ」
 和彦は苦い口調で洩らす。一方の里見は引くつもりはないようだ。
『君のほうは、おれに話したいことはない?』
「ない……とは、言えない。偉そうなこと言ったばかりだけど、本当はいろんなことを聞きたいよ。自分に関係あることも。ないことも。知らないことばかりで、不安になる」
『何かあった?』
 言いかけて、口を噤む。すると里見がこう提案してきた。
『せっかくだから、外で夕飯を食べよう。待ち合わせ場所を指定してくれたら、迎えに行くよ』
 里見からの電話に出た時点で、こうなることは決まっていたようなものだ。
 待ち合わせ場所と時間を決めてから、和彦は一階に下りる。今晩の夕飯は外で食べてくるというメモを、ダイニングテーブルの上に残しておく。
 里見との待ち合わせ時間までまだ余裕はあったが、部屋で鬱々としているより、一刻も早く外の空気を吸いたかった。
 再びスーツに着替えて慌ただしく家を出ると、通りでタクシーに乗り込む。一息ついて背もたれに体を預けようとして和彦は、ふと後ろを振り返る。尾行を気にするのは習性だ。
 注意深く後ろを走る車を観察してから、ひとまず尾行はついていないと判断した。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...