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第44話
(25)
しおりを挟むベッドに横たわった和彦は、天井を見上げたまま大きくため息をつく。本当は寝返りを打ちたいが、それすら億劫だ。とにかく、疲れ果てていた。
午後二時頃に俊哉とともに実家に戻ったあと、和彦は何もする気力も体力も起こらず、すぐに自分の部屋に引きこもった。その後、綾香の戻ってきた気配がしたが、わざわざ一階に下りて顔を見せる気にもならなかった。英俊は、いまだ戻ってきていない。
それでよかったかもしれない。とてもではないが、英俊の顔をまともに見られなかった。
ようやくもぞりと身じろいで、和彦は体の向きを変える。昔から使っている本棚が視界に入り、わずかに胸が痛んだ。かつては、兄が選んでくれた本がずらりと並んでいたのだ。
他人が放つ毒にあてられたと、和彦は苦々しく心の中で呟く。
おかげで帰りの車の中では、俊哉とは会話を交わすどころではなかった。せめて、〈彼女〉との対面の意図について問い質すべきではあったが。
今からでも――と、なんとか気力を振り絞って起き上がろうとしたとき、携帯電話が鳴り始める。里見との連絡用で使っているものだ。
どうしても、自分の兄と寝ている人だという事実が、和彦の脳裏をちらつく。嫉妬とも嫌悪ともつかない感情に、胸苦しくなる。
ためらっているうちに着信音は途切れたが、一分の間も置かず、再び鳴り始めた。里見からの電話を避けることは、実質的には不可能だ。いざとなれば実家の固定電話にかけてくることもできる。
無駄な足掻きをやめて、ベッドを下りた和彦は電話に出ていた。
『今、大丈夫かな』
何日ぶりかに聞いた里見の声は、不思議なほど耳に馴染んだ。前回、クリニックを訪ねてきた里見との再会は最悪に近く、もしかするともう二度と、顔を合わせることはないのではないかと、密かに覚悟すらしていたのだ。
しかし現金なもので、何事もなかったように里見に話しかけられると、和彦はあっという間に昔の感覚へと引き戻されそうになる。一心に里見を慕っていた頃に。
「……うん。自分の部屋にいるから」
正直に答えたあと、自分が一度は電話に出なかったことを思い出し、慌てて和彦は付け加える。
「ちょっとベランダに出てたんだ。電話に気づくの遅れて……」
ふっと里見が笑った気配がする。それだけで、わずかに身構えを解いていた。今は、里見と話すのに人の耳を気にしなくていいのだ。
「どうかした、里見さん?」
『夕方から会えないかと思って』
電話で話すのはいい。しかし、直接会うのは抵抗があった。
なかなか返事をしない和彦に、里見は柔らかな口調で続ける。
『君に会って謝りたいことがある。それに、きちんと話しておきたいことも』
「……それは、兄さんのこと?」
『そうだ』
「ぼくには聞く権利はないよ。里見さんの口から、兄さんのことを。もう里見さんとは……」
恋人同士ではないし、想いを残しているわけでもない。
『聞き苦しい言い訳なんていらない、ということかな』
「……里見さん、昔より意地が悪くなったみたいだ」
和彦は苦い口調で洩らす。一方の里見は引くつもりはないようだ。
『君のほうは、おれに話したいことはない?』
「ない……とは、言えない。偉そうなこと言ったばかりだけど、本当はいろんなことを聞きたいよ。自分に関係あることも。ないことも。知らないことばかりで、不安になる」
『何かあった?』
言いかけて、口を噤む。すると里見がこう提案してきた。
『せっかくだから、外で夕飯を食べよう。待ち合わせ場所を指定してくれたら、迎えに行くよ』
里見からの電話に出た時点で、こうなることは決まっていたようなものだ。
待ち合わせ場所と時間を決めてから、和彦は一階に下りる。今晩の夕飯は外で食べてくるというメモを、ダイニングテーブルの上に残しておく。
里見との待ち合わせ時間までまだ余裕はあったが、部屋で鬱々としているより、一刻も早く外の空気を吸いたかった。
再びスーツに着替えて慌ただしく家を出ると、通りでタクシーに乗り込む。一息ついて背もたれに体を預けようとして和彦は、ふと後ろを振り返る。尾行を気にするのは習性だ。
注意深く後ろを走る車を観察してから、ひとまず尾行はついていないと判断した。
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