血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,164 / 1,267
第44話

(24)

しおりを挟む
 和彦は、絶句するしかなかった。そんな大事なことをどうしていままで教えてくれなかったのかと、膝の上で硬く手を握り締める。いままで話す機会はいくらでもあったはずだ。それが、車中での世間話のついでのように語られたのだ。
 和彦の実母である紗香さやかは、奔放で、火のように激しい気性の持ち主だったという。奔放ゆえに、姉の夫である俊哉と関係を持ち、そして和彦を身ごもった。両家でどのような話し合いが持たれたのか、結果、和彦は綾香から誕生したことになっており、戸籍には養子だという記載はされていない。
 母親は、〈火遊び〉の末にできた子供を手放したのだと、断片的に俊哉から聞かされた話と、佐伯家内での自分の扱いから推測していた和彦だが、今この瞬間、疑念を抱く。
 名しか知らない母親の実像に、ようやく触れられるかもしれないのだ。
「ぼくの将来のことを、話してたんだ、母さん。もっと早くに、そのことを知りたかった……」
「だとしても、何も変わらなかっただろう。あえて記憶に残さなくてよかったんだ。もう、この世にいない人間だ」
「そんな冷たい言い方しないでくれっ。〈あの人〉は、少なくともぼくに笑いかけてくれた。それに手も繋いで――」
 感情的になって溢れた言葉に、口にした和彦自身よりも、俊哉のほうが過敏に反応した。針で刺すような一瞥を向けてきたのだ。
「覚えているのか?」
「……わからない。でも、頭に浮かんだんだ。今」
 うそではなかった。覚えていると言えるほど明瞭な記憶ではない。しかし、忘れていると言えるほど明確な欠落があるわけでもない。まるで幻のようなものだ。はっきりとした輪郭を掴もうとしても、まるでもやのように手からすり抜けていく。
 昔からふとした瞬間に、誰かに優しく微笑みかけられた光景や、手を握られたり、抱き締められた感触などが蘇ることがあった。家族よりも面倒を見てくれていた親戚の女性との思い出かと、さほど気に留めていなかったが、俊哉の様子で腑に落ちた。
 胸の辺りがズシリと重くなる。急に気分が悪くなってきて、額にじっとり冷や汗が浮かぶ。和彦の顔色の変化に気づいたらしく、俊哉はわずかにウィンドーを下ろして冷たい空気を車内に取り込んだ。
「――お前は一度だけ、短い間だが実の母親と暮らしている。ただその頃に事故に遭ったショックで、心身に異変が起きた。事故に遭った前後の記憶がなくなっていると、お前を診察した医者は言っていた。そして――」
 しばらく口がきけなくなった。
 当時の自分がどのような状態だったか、和彦は覚えていない。すべて人からの伝聞で、そうだったのかと他人事のように受け止めていただけだ。今も、俊哉から聞かされて、どう反応をすればいいのか戸惑っている。
「ぼくは……、ずっと昔に、大事なものを置き去りにしてきたような感覚なんだ。今になってそんなことを父さんから聞かされて、どう反応すればいいんだ」
「何も。……ただ、心の準備はしておけ」
「それは、何に対して?」
 答えるつもりはないということか、俊哉が唇を引き結ぶ。
 和彦は、そっと俊哉をうかがい見る。いまだに十分人目を惹きつける端整な横顔に、ふとした瞬間に英俊の面影を見出す。兄弟揃って和泉家の血が濃く出ていると言われてきたが、年齢を重ねるうちに、英俊は少しずつ面差しが俊哉に似てきたように感じる。それとも、置かれた環境や自己研鑽けんさんの結果、俊哉に近づけているのだろうか。
 では、他人からは、自分と俊哉はどんなふうに見えているのか――。
 寒気を感じて身を震わせると、俊哉はウィンドーを上げる。
 当然のように俊哉が無言で自分を気遣ってくれる様子に、正直和彦は、警戒していた。これまで、必要最低限の会話すらまともに交わしてこなかった父子だ。それが、和彦が尋ねれば、圧倒的に説明が足りないなりに、答えてくれるのだ。
 水面に浮かぶ木の葉のように、和彦の気持ちは不安定に揺れる。何かとてつもない事実が、自分を呑み込もうとして大きく口を開けているのではないかと。俊哉は、無慈悲にそこに自分を突き落とそうとしているのではないかと。
「……気分が悪いから、ぼくだけ車で待っている」
 つい弱音を洩らしたが、当然のように却下された。
 車がホテルの地下駐車場へと入り、エンジンが切られると、仕方なく和彦はコートを抱えて降りた。
 エレベーターで二十階へと上がると、おとなしく俊哉のあとをついて歩く。アフタヌーンティーを楽しむ客たちでにぎわっているラウンジに入ると、軽く辺りを見回した俊哉が軽く片手を挙げた。
 窓際のテーブルに着いた女性が呼応するように立ち上がり、こちらに向かって丁寧に頭を下げた。

しおりを挟む
感想 79

あなたにおすすめの小説

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

泣くなといい聞かせて

mahiro
BL
付き合っている人と今日別れようと思っている。 それがきっとお前のためだと信じて。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

処理中です...