血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,156 / 1,268
第44話

(16)

しおりを挟む
 家の様子に大きな変化はなかった。そういえばこんな感じだったなと、ぼんやりと思い出をたぐり寄せながら、二階へと上がる。自分の部屋は物置きになっているのではないかと、多少危惧していなくもなかったが、ドアを開けて安堵した。最低限の家具類しか置いてはないものの、子供の頃から使っていた和彦の部屋が、確かに目の前にあったからだ。
 コートを脱いで、ベッドに腰掛ける。部屋の空気は澱んでおらず、定期的に換気が行われていたのだとわかる。触れたシーツはしっかりと糊が効いており、デスクの上などには埃が見当たらない。通いの家政婦がやってくれているのだろうが、少なくともこの部屋の存在を忘れられてはいなかったということだ。
 一息つく間もなく、和彦はガーメントバッグを開けてスーツを取り出すと、クローゼットにコートと一緒に掛ける。他の着替えはデスクの上に出しておいた。
 ここで手持ち無沙汰となり、なんとなく携帯電話を手にしていた。必要ないとは言われているが、無事に到着したと連絡だけはしておこうかと考えていると、階下から微かな気配がした。
 慌てて一階に下りると、帰宅した様子の俊哉と廊下で顔を合わせた。
 咄嗟に声が出ず、顔を強張らせる和彦に対して、俊哉は驚いた様子もなく言った。
「――久しぶりの実家はどうだ。和彦」
 開口一番に面罵されることを覚悟していた。そうされて当然だとも思っていた。しかし、予想に反した俊哉からの言葉に、形容しがたい感情が込み上げてくる。緊張や畏怖もあるが、それ以上の何かが。
「変わってないと、思う。ぼくの部屋は全然……」
「母さんは手を入れたがっていたがな。わたしが、そのままにしておくよう言った。いつお前が戻ってきてもいいように」
 和彦はようやく、正面からしっかりと俊哉の顔を見つめ返すことができた。体面を繕うための穏やかな笑みはなかった。これが俊哉の素顔だ。
 一人の人間として、自分を見てくれているのだろうかと、和彦は考えてしまう。
「ぼくは父さんにとって……、ううん、この家にとって、本当に必要なんだろうか」
「不必要だと答えたら、すぐに出ていくか?」
 あまりな言いように、つい失笑が漏れる。すると俊哉が間近にやってきて、和彦のあごに手をかけた。顔を覗き込まれて息が止まりそうになる。
「父さん……」
「いつの間にか、英俊より腹の据わった顔をするようになったな。案外お前のほうが、人前に出る仕事に向いているかもしれんな」
 俊哉に限って、こんな冗談を言うはずがなかった。意図を問おうとしたが、声が出ない。間近から父親の顔を見て、正直圧倒されていた。
 官僚として頂点を極めたと言ってもいい地位に就きながら、両目にあるのは鋭気だ。この人はまだ何かを目指しているのだろうかと、ふいに知りたくなった。
 あごから手が退いたことよりも、俊哉の視線が逸れたことにほっとする。
「今日はもうスーツでいる必要はないだろう。着替えたら、書斎に来い。話がある」
 和彦はぎこちなく頷き、急いで二階に上がる。
 着替えを済ませて書斎に向かうと、俊哉の姿はまだなかった。入っていいものだろうかと戸惑っていると、和彦同様、着替えた俊哉がやってくる。
 書斎に足を踏み入れると、あっという間に過去の自分へと引き戻される。実家を離れていた時間の長さなど関係ないのだと、痛感せずにはいられなかった。
 書斎の様子は、和彦が高校生の頃に見たときから、ほとんど変わっていないようだった。天井に届くほど高い書棚には、俊哉の専門分野だけではなく、政治や科学、宗教といった幅広い分野の専門書が並んでいる。資料の広げられたデスクの傍らにはパソコンが。仕事から帰っても、寝るときと食事以外はほぼ書斎にこもりきりだった俊哉だったが、今もその生活は変わっていないようだ。
 俊哉がデスクについたため、和彦は部屋の隅に置いてあるイスを持ってくる。まるで面接でも始めるように、デスクを挟んで俊哉と向き合って座った。
「……ぼくに行ってもらう場所というのは――」
 ずっと気になっていた疑問をまっさきにぶつけようとしたが、俊哉に片手をあげて制された。
「絶対に外の連中に漏らさないと約束できるか?」
「そんなに気を使う場所……相手ということ、だよね」
「そうだ。本当ならお前を行かせたくはないが、そろそろ圧力に逆らえなくなった」
「父さんが……」
「わたしも人間だ。弱みも急所もある。今回は、その両方を押さえられた」
 ざわっと肌が粟立った。書斎という場所で俊哉と向き合い、こうして話している状況に、強く記憶が刺激される。覚えていないのではなく、懸命に思い出すまいとしていた事柄が、まるで水面に浮かび上がるように蘇る。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...