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第44話
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エレベーターに乗り込んでから、ああ、と声を洩らした。さきほどの南郷の発言は、勝手に部屋には入っていないとアピールする意図があったと察したのだ。多分。いや、絶対に。
自分が疑り深くなり、穿った見方しかできない人間になるのではないかと、薄ら寒い気分になる。人からクリスマスプレゼントを贈られるなど、本来は嬉しい出来事であるはずなのに。
和彦はもう一度、手首をそっと鼻先に近づけた。
どれだけ嫌だと思おうが、時間を停めることはできない。
とうとう、実家に向けて出発する日がやってきた。
朝から和彦はひどく緊張していた。前夜は安定剤を飲んでベッドに入ったが、気が高ぶっていたせいで、短くまどろんでは目が覚めるということを繰り返していた。おかげで頭が重い。
部屋で一人で朝食をとったあと、ベッドに腰掛けた和彦は、スーツケースに詰め込んだ荷物を改めて確認する。里帰りは、一応一週間を予定している。クリニックの仕事始めは年明け六日からとなっており、その日までにはなんとしても戻ってこなければならない。
「どこに――……」
無意識に言葉が口を突いて出る。そして、肩を落としていた。
和彦としては長嶺の本宅に戻るつもりだが、周囲は、この総和会本部こそが戻ってくるべき場所だと認識しているはずだ。自分が知らないところで、総和会と長嶺組の駆け引きが始まっているのだろうかと考えると、それだけで胸が締め付けられる。
ため息をついてから、忘れ物はないだろうかと室内を見回して、テーブルの上に置いたものが目に留まった。南郷からのクリスマスプレゼントだ。羊革を使った滑らかな手触りの手袋で、かさばらず実用的なものをと、考慮したのかもしれない。
和彦はテーブルに歩み寄り、複雑な気持ちで手袋を眺める。物に罪はないと頭ではわかっていても、使うには抵抗がある。そこに、控えめなノックの音が響いた。
「――先生、そろそろお時間です」
返事をした和彦は、反射的に手袋をジャケットのポケットに突っ込む。慌ててロングコートを羽織ってからドアを開けると、吾川が立っていた。
「荷物をお持ちします」
「あっ、いえ、一人で持って行けますから……」
微笑みながらも拒絶を許さない吾川の物腰に圧され、渋々和彦は荷物を引っ張ってくる。スーツケースとガーメントバッグが一つずつなのは、一週間ほどの里帰りの荷物としては多いのか少ないのか、判断できない。ただ、どこに引っ張り出されるかわからないため、スーツだけは欠かせない。他の着替えは、実家に着いてから買えばいいだろうが、万が一の事態に備えることにした。
たとえば、必要な用事以外では、実家に軟禁状態となるかもしれないのだ。
和彦から荷物を受け取り、吾川は先に立って歩き出す。あとをついていくと、エレベーターの前で守光が待っていた。
今のところ守光から――というより総和会からは、里帰りの間の指示は特に受けていない。実家に入ってしまえば監視の目も届かず、和彦に何を命じたところで無駄だと考えているのだろう。
それとも、守光と俊哉との間に成り立つ信頼ゆえかもしれない。互いを〈信用〉していないのは、和彦も知るところではあるが。
「実家に帰るのは、久しぶりだったかな?」
開口一番の守光の問いかけに、和彦はぎこちなく頷く。
「数年ぶり、です」
「だったら、彼も楽しみにしているだろう。君が帰ってくるのを」
一瞬、これは皮肉なのだろうかと思ったが、守光の表情は穏やかだ。
「あちらでの生活について、逐一報告してほしいとは言わない。ただ、気になることがあれば、いつでも連絡してくればいい。相談に乗ろう」
「……ありがとうございます」
「心配しなくても、あちらとことを構えようとは毛頭考えていない。むしろ、友好的な関係を築きたい。佐伯家も同じ気持ちであってほしいと願っているが……」
吾川が先に一人でエレベーターで降りようとしたが、守光が呼び止める。促されて和彦も乗り込んだが、内心面食らっていた。もっと忠告めいたことを言われるかと思っていたのだ。
「君の父親によろしくと伝えてくれ」
扉が閉まる直前に守光がそう言い、返事をする間もなかった。
裏口を出ると、すでに車が待機しており、吾川がてきぱきとトランクに荷物を積み込んだ。
ここからの行程は前夜のうちに説明を受けている。総和会の車で実家に帰るわけにはいかず、和彦は本部の最寄り駅から電車に乗ることになっている。そこから適当な駅で降り、タクシーに乗り換えるのだ。しかも、不測の事態に備えて、途中で別のタクシーに移るよう言われている。
自分が疑り深くなり、穿った見方しかできない人間になるのではないかと、薄ら寒い気分になる。人からクリスマスプレゼントを贈られるなど、本来は嬉しい出来事であるはずなのに。
和彦はもう一度、手首をそっと鼻先に近づけた。
どれだけ嫌だと思おうが、時間を停めることはできない。
とうとう、実家に向けて出発する日がやってきた。
朝から和彦はひどく緊張していた。前夜は安定剤を飲んでベッドに入ったが、気が高ぶっていたせいで、短くまどろんでは目が覚めるということを繰り返していた。おかげで頭が重い。
部屋で一人で朝食をとったあと、ベッドに腰掛けた和彦は、スーツケースに詰め込んだ荷物を改めて確認する。里帰りは、一応一週間を予定している。クリニックの仕事始めは年明け六日からとなっており、その日までにはなんとしても戻ってこなければならない。
「どこに――……」
無意識に言葉が口を突いて出る。そして、肩を落としていた。
和彦としては長嶺の本宅に戻るつもりだが、周囲は、この総和会本部こそが戻ってくるべき場所だと認識しているはずだ。自分が知らないところで、総和会と長嶺組の駆け引きが始まっているのだろうかと考えると、それだけで胸が締め付けられる。
ため息をついてから、忘れ物はないだろうかと室内を見回して、テーブルの上に置いたものが目に留まった。南郷からのクリスマスプレゼントだ。羊革を使った滑らかな手触りの手袋で、かさばらず実用的なものをと、考慮したのかもしれない。
和彦はテーブルに歩み寄り、複雑な気持ちで手袋を眺める。物に罪はないと頭ではわかっていても、使うには抵抗がある。そこに、控えめなノックの音が響いた。
「――先生、そろそろお時間です」
返事をした和彦は、反射的に手袋をジャケットのポケットに突っ込む。慌ててロングコートを羽織ってからドアを開けると、吾川が立っていた。
「荷物をお持ちします」
「あっ、いえ、一人で持って行けますから……」
微笑みながらも拒絶を許さない吾川の物腰に圧され、渋々和彦は荷物を引っ張ってくる。スーツケースとガーメントバッグが一つずつなのは、一週間ほどの里帰りの荷物としては多いのか少ないのか、判断できない。ただ、どこに引っ張り出されるかわからないため、スーツだけは欠かせない。他の着替えは、実家に着いてから買えばいいだろうが、万が一の事態に備えることにした。
たとえば、必要な用事以外では、実家に軟禁状態となるかもしれないのだ。
和彦から荷物を受け取り、吾川は先に立って歩き出す。あとをついていくと、エレベーターの前で守光が待っていた。
今のところ守光から――というより総和会からは、里帰りの間の指示は特に受けていない。実家に入ってしまえば監視の目も届かず、和彦に何を命じたところで無駄だと考えているのだろう。
それとも、守光と俊哉との間に成り立つ信頼ゆえかもしれない。互いを〈信用〉していないのは、和彦も知るところではあるが。
「実家に帰るのは、久しぶりだったかな?」
開口一番の守光の問いかけに、和彦はぎこちなく頷く。
「数年ぶり、です」
「だったら、彼も楽しみにしているだろう。君が帰ってくるのを」
一瞬、これは皮肉なのだろうかと思ったが、守光の表情は穏やかだ。
「あちらでの生活について、逐一報告してほしいとは言わない。ただ、気になることがあれば、いつでも連絡してくればいい。相談に乗ろう」
「……ありがとうございます」
「心配しなくても、あちらとことを構えようとは毛頭考えていない。むしろ、友好的な関係を築きたい。佐伯家も同じ気持ちであってほしいと願っているが……」
吾川が先に一人でエレベーターで降りようとしたが、守光が呼び止める。促されて和彦も乗り込んだが、内心面食らっていた。もっと忠告めいたことを言われるかと思っていたのだ。
「君の父親によろしくと伝えてくれ」
扉が閉まる直前に守光がそう言い、返事をする間もなかった。
裏口を出ると、すでに車が待機しており、吾川がてきぱきとトランクに荷物を積み込んだ。
ここからの行程は前夜のうちに説明を受けている。総和会の車で実家に帰るわけにはいかず、和彦は本部の最寄り駅から電車に乗ることになっている。そこから適当な駅で降り、タクシーに乗り換えるのだ。しかも、不測の事態に備えて、途中で別のタクシーに移るよう言われている。
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