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第44話
(13)
しおりを挟む中途半端な疲労感に浸りながら和彦は、シートに体を預けてウィンドーの向こうに目をむける。昨日まではクリスマス一色だった街並みは景色を一変させ、駆け足で年越しへと向かい始めたようだ。それでなくても慌ただしかった日常の空気に、一層の気忙しさが加わったと感じる。
土曜日である今日、本来であればクリニックは休みなのだが、実はさきほどまで和彦は、そのクリニックにいた。組関係の者を診ていたというのっぴきならない理由からではなく、一人、大掃除をしていたのだ。
「いや、それは言い過ぎか……」
つい独りごちてしまうと、ハンドルを握る護衛の男が一瞬、背後をうかがう素振りを見せる。和彦は軽く咳払いをして誤魔化した。
クリニックは、月曜日が年内最後の診察日となっている。
連休に入る前にということか、予約がほぼ隙間なく入っており、スタッフたちと年末の大掃除をやる余裕はない。年明けに業者が清掃に入る予定のため、あえてやる必要もないのだが、プライバシーに関わるものを置いてある空間ぐらいは自分たちの手で、ということになった。
そこで、クリニックの管理者である和彦としては、一人で心行くまで作業をしたくて、休日出勤をしたわけだ。
手が必要ならうちの若い者を遣わせると、朝方、出かける準備をしていると吾川が申し出てくれたが、もたもたと言い訳をしながら断った。主目的は、息が詰まる本部を出たかったからだ。そんな和彦の思惑など、おそらく吾川はお見通しのはずだ。わかりましたと、あっさり引き下がってくれた。
一応クリニックでは、出したままとなっていたクリスマスツリーや、飾り付けを片付けたあと、約一年の間に溜め込んだ資料を整理したり、自分のデスク周辺も掃除したのだ。
それが終わったあとは、のんびりとコーヒーを飲んだりしていたが――。
外で遅めの昼食をとったあと、ついでに買い物も済ませて、こうして帰途についている。
和彦が何げなく髪を掻き上げた拍子に、鼻先を柔らかな香りが掠めた。自身がつけているものなので、香ったところで不思議ではないのだが、反射的に背筋を伸ばしたのには理由がある。クリスマスイブに、賢吾が贈ってくれた香水だった。
おそらく、当分賢吾と顔を合わせることはできない。そう思うと急に胸苦しさを覚え、紛らわせるように、さりげなく自分の手首を鼻先に近づける。この香りは、お守りだ。
なんとも切ない気持ちを抱えたまま総和会本部に到着する。
アプローチ前を車で通りすぎるとき、エントランスホールで人影が動くのが見えたため、何事かと気になる。そういえば、と思い出したのは、場違いなクリスマスツリーだ。
車を降りた和彦は裏口から建物に入ると、エレベーターの前を通り過ぎた。
物陰からそっとエントランスホールの様子をうかがおうとして、自動ドアが反応する。ドアが開いた途端、その場にいた男たちが一斉にこちらを見た。最悪なことに、その中に南郷の姿がある。
和彦は慌てて立ち去ろうとして、即座に南郷に呼び止められる。反射的に身が竦み、動けなかった。
「土曜日だというのに、クリニックに行ってたらしいな。先生」
見覚えのあるマウンテンパーカーを小脇に抱えた南郷が、側にやってくる。
「ええ、まあ……。週明けは忙しいので、今のうちに片づけをしておこうと思って。――門松、ですか?」
床の上に新聞紙を何枚も広げ、竹を切ったものや、何種類もの花、さらには土の入ったバケツなどが置いてあるのだ。
「これから作って、夕方には外に置きたいと思ってな。クリスマスが終わったら、年末年始まで大忙しだ」
それは本部に限った話ではない。今ごろ長嶺の本宅も、大わらわだろう。昨年は、自分も一員として準備を手伝っていた。
意識しないままため息をついた和彦は、すぐに我に返り、南郷をうかがい見る。目が合うと、皮肉っぽく笑いかけられた。
「長嶺組長が恋しくなったか、先生?」
「……いえ」
南郷は当然、クリスマスイブの和彦と賢吾の逢瀬を把握しているだろう。何を言われるだろうかと身構えていると、ふいに南郷が顔を寄せてきた。
「いい香りだな。新しいコロンか?」
和彦は、飛び退く勢いで南郷と距離を取り、おざなりに頭を下げて立ち去ろうとする。すると背後から声をかけられた。
「部屋の前に、遅くなったが俺からのクリスマスプレゼントを置いてある。ああ、お返しは気にしないでくれ」
無視したかったが、それはあまりに大人気ないし、この場にいる他の男たちの目も気になる。立ち止まった和彦は頭を下げ、ぼそぼそと礼を言っておく。南郷の耳に届いたかどうかは知らないが。
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