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第44話
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「オヤジは将来、俺に、その総和会のトップに立てと言う。もちろん、俺にその気は毛頭ない。ただオヤジのほうは、総和会を守ることが、長嶺組の将来に役立つと信じているようだ。頑固な息子にどうやって言うことを聞かせようかと、ずっと考えていたんだろうな……」
賢吾がゆっくりとこちらに歩み寄ってくるので、和彦もじりじりと移動し、なんとか距離を取ろうとする。本気で追い詰められたら、当然、逃げられない。
「オヤジは、お前の存在が俺に火をつけると確信している。――残酷なことをしていると思わねーか? ガキの大事なオモチャを取り上げて、目の前で別のガキに与えようとしている。オヤジがやってるのは、つまりはそういうことだ。取り上げられたほうは、怒り狂うか、泣き暮れるしかないだろ」
「ぼくは……、オモチャじゃない」
「単なる例えだ。とにかくお前は、あまりに価値がある。オヤジと縁のある佐伯俊哉の息子で、医者で、淫奔で情が深い。そのうえ順応性が高くて、精神的にタフだ。オヤジにとっては使い勝手がよすぎる人間なんだ」
ふいに賢吾が素早く動き、あっという間に腕を掴まれた。引き寄せられて足がよろめき、気がついたときには賢吾の両腕の中に閉じ込められる。慣れ親しんだ体温と匂いを感じた途端、和彦は一切の抵抗を放棄していた。
込み上げてくる感情に、両目がじわりと湿っていく。今の自分に泣く権利はないと、必死に奥歯を噛み締める。
賢吾の唇が半乾きの髪に触れた。
「……許してくれ、和彦」
「何を、だ……」
「俺は、南郷という男を見誤っていたらしい。あいつのことは昔から知っている――いや、視界に入っていただけだな。オヤジに上手く取り入って、気に入られて、総和会の中で好き勝手やっていることで満足している男だと思っていた」
バカな男だと、賢吾が低く毒づく。しかしその声には嘲弄めいた響きはなく、どこかほろ苦さが入り混じっていた。
「オヤジの野心に踊らされて、あいつは何を夢見ているんだか」
「賢吾……」
「――年明けに、南郷に大層な肩書きが増えるらしいな。忠義に対する褒美にしても、大盤振る舞いすぎる」
賢吾の声音が一変して、和彦の肌がざっと粟立つ。
「いや、肩書きのほうがオマケか。本命は、総和会の中で、堂々とお前の後ろ盾になることだ」
抱き締めてくる賢吾の腕の力が強くなり、和彦は身を固くする。表面上は落ち着いて見える賢吾だが、滾り、高ぶるものが胸の内にあると伝わってくる。それは、怒りなのだろうか、屈辱感なのだろうかと、推し量らずにはいられない。
和彦が控えめにうかがうと、それに気づいた賢吾がこめかみに唇を寄せてくる。熱い息遣いが肌に触れただけで、吐息がこぼれた。
「オヤジと南郷は、お前を人質に取るつもりだ。本格的にお前を軟禁する前に、まずは、名分という形で外堀を埋める。そうやって俺を動かす腹づもりだろう」
「名分?」
「お前が仲介する形で、総和会と、長嶺組……というより俺との深い友好関係が築かれて、お前の後見人となった南郷とも関係は良好。表向きはそう宣伝するだろう。そのうち、俺と南郷の間で、盃を交わせと言い出すんじゃねーか。オヤジの隠し子だという噂がつきまとう男と、〈義兄弟〉になるかもな」
賢吾の推測に、静かに衝撃を受ける。もちろん戸籍上のものではないことぐらい、和彦にもわかる。しかし、この世界で重んじられる盃事が執り行われれば、賢吾と南郷の結びつきが固いものとなるのは確かだ。
あの男が、賢吾と近い存在になりうる可能性に、形容しがたい感情が湧き起こる。和彦はもう、南郷が賢吾に向ける執着を知っている。そもそも和彦と体を繋いだのも、賢吾のオンナであるからだ。
和彦はまだ、南郷が賢吾に成り代わりたがっているという考えは捨てていない。一方で、賢吾を害したがっているとも思えない。それというのも、守光の発言が頭にあるからだ。
『人生を賭けた献身』
守光はあえて名を出さなかったが、それが南郷を指しているとしか思えなかったし、確信めいたものがあった。
「……珍しく、お前が怖い顔をしている」
賢吾の魅力的な声に気を取られ、囁かれた言葉がすぐには理解できなかった。
「ぼく、が……?」
「さっきまで、小動物みたいに怯えていたのにな。今は、目が爛々として、気性の激しい女のような――」
和彦はうろたえ、身を捩って賢吾の腕の中から逃れようとする。
「何か気になることがあるのか? あるなら全部言え。さっきは精神的にタフだと言ったが、だからこそ、塞ぎ込んだときのお前は怖い。衰弱するまで黙り込んじまうからな」
「何、も……。今は、あの人のことは話したくないし、聞きたくない」
賢吾が手荒く後ろ髪を掻き乱してくる。
賢吾がゆっくりとこちらに歩み寄ってくるので、和彦もじりじりと移動し、なんとか距離を取ろうとする。本気で追い詰められたら、当然、逃げられない。
「オヤジは、お前の存在が俺に火をつけると確信している。――残酷なことをしていると思わねーか? ガキの大事なオモチャを取り上げて、目の前で別のガキに与えようとしている。オヤジがやってるのは、つまりはそういうことだ。取り上げられたほうは、怒り狂うか、泣き暮れるしかないだろ」
「ぼくは……、オモチャじゃない」
「単なる例えだ。とにかくお前は、あまりに価値がある。オヤジと縁のある佐伯俊哉の息子で、医者で、淫奔で情が深い。そのうえ順応性が高くて、精神的にタフだ。オヤジにとっては使い勝手がよすぎる人間なんだ」
ふいに賢吾が素早く動き、あっという間に腕を掴まれた。引き寄せられて足がよろめき、気がついたときには賢吾の両腕の中に閉じ込められる。慣れ親しんだ体温と匂いを感じた途端、和彦は一切の抵抗を放棄していた。
込み上げてくる感情に、両目がじわりと湿っていく。今の自分に泣く権利はないと、必死に奥歯を噛み締める。
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「……許してくれ、和彦」
「何を、だ……」
「俺は、南郷という男を見誤っていたらしい。あいつのことは昔から知っている――いや、視界に入っていただけだな。オヤジに上手く取り入って、気に入られて、総和会の中で好き勝手やっていることで満足している男だと思っていた」
バカな男だと、賢吾が低く毒づく。しかしその声には嘲弄めいた響きはなく、どこかほろ苦さが入り混じっていた。
「オヤジの野心に踊らされて、あいつは何を夢見ているんだか」
「賢吾……」
「――年明けに、南郷に大層な肩書きが増えるらしいな。忠義に対する褒美にしても、大盤振る舞いすぎる」
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「いや、肩書きのほうがオマケか。本命は、総和会の中で、堂々とお前の後ろ盾になることだ」
抱き締めてくる賢吾の腕の力が強くなり、和彦は身を固くする。表面上は落ち着いて見える賢吾だが、滾り、高ぶるものが胸の内にあると伝わってくる。それは、怒りなのだろうか、屈辱感なのだろうかと、推し量らずにはいられない。
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「オヤジと南郷は、お前を人質に取るつもりだ。本格的にお前を軟禁する前に、まずは、名分という形で外堀を埋める。そうやって俺を動かす腹づもりだろう」
「名分?」
「お前が仲介する形で、総和会と、長嶺組……というより俺との深い友好関係が築かれて、お前の後見人となった南郷とも関係は良好。表向きはそう宣伝するだろう。そのうち、俺と南郷の間で、盃を交わせと言い出すんじゃねーか。オヤジの隠し子だという噂がつきまとう男と、〈義兄弟〉になるかもな」
賢吾の推測に、静かに衝撃を受ける。もちろん戸籍上のものではないことぐらい、和彦にもわかる。しかし、この世界で重んじられる盃事が執り行われれば、賢吾と南郷の結びつきが固いものとなるのは確かだ。
あの男が、賢吾と近い存在になりうる可能性に、形容しがたい感情が湧き起こる。和彦はもう、南郷が賢吾に向ける執着を知っている。そもそも和彦と体を繋いだのも、賢吾のオンナであるからだ。
和彦はまだ、南郷が賢吾に成り代わりたがっているという考えは捨てていない。一方で、賢吾を害したがっているとも思えない。それというのも、守光の発言が頭にあるからだ。
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「……珍しく、お前が怖い顔をしている」
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「ぼく、が……?」
「さっきまで、小動物みたいに怯えていたのにな。今は、目が爛々として、気性の激しい女のような――」
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