血と束縛と

北川とも

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第43話

(42)

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「お前の手を煩わせる必要はない。俺が連れて行く」
 南郷がこちらに向けて手を差し伸べてきたが、皮肉交じりの冷たい声で御堂が応じる。
「オンナの扱いを一番わかっているのは、わたしだ。お前に、今の彼を傷つけずに側にいることができるのか?」
「……今日はもう、敷地から出ないでくれ、先生。明日からは、うちの車でクリニックに送迎する。本当は休んでもらうのが一番いいんだがな」
 和彦は俯いたまま返事をしないでいると、御堂に促されて建物に向かう。
 南郷がどんな顔をしているか、振り返って確認する気にはなれなかった。


 ベッドに腰掛けた和彦は、ふうっと息を吐き出す。守光がオンナである自分のために用意した部屋ではあるが、それでもなんとかひと心地はつける。
 一緒に部屋に入った御堂は、軽く室内を見回したあと、冷蔵庫を指さした。
「何か飲むかい?」
「えっ、ああ、すみませんっ……。御堂さんはそこのソファに座ってください。お茶ぐらい入れますから――」
「いいよ。押し掛けてきたのはこちらだから」
 二神とは二階で別れて、御堂だけで和彦を部屋に連れてきてくれたのだ。正直、この部屋を他人に見られるのは抵抗があったため、この配慮はありがたかった。御堂も他人ではあるが、和彦と感覚を共有できる唯一の人物でもあるのだ。
 勝手に使わせてもらうよと言いながら、御堂は冷蔵庫からオレンジジュースの瓶を取り出し、グラスに注ぐ。さらにエアコンをつけてくれた。
 グラスを手渡された和彦は、一気にオレンジジュースを飲み干す。やけに甘みが強く感じられ、こんな味だったかなとぼんやりしていると、手からグラスが滑り落ちそうになる。すかさず御堂が受け止めた。
「心底疲れ切ってるね」
 御堂の言葉に曖昧に微笑み返す。隣に腰掛けた御堂が、改めて室内を見回し、苦々しい口調で洩らした。
「業者が入っていたのは把握していたけど、四階の一角がこんなふうになっていたとはね。まさに破格の扱いだ。本格的に君を囲い込む気なんだな。長嶺会長は」
「……ぼくの把握していないところで、どんどん物事が決まっていて、怖いです。さっきの南郷さんの話は――」
 胸を押し潰されるような圧迫感は、心理的なものからきているとわかっている。それでも苦しいことに変わりはなく、和彦は胸に手を当てていた。
「賢吾さんの様子はどうでしたか……?」
 ようやく思い切って尋ねると、御堂は目に滲むような柔らかな笑みを浮かべた。
「かまわないから、今から電話してみたらどうだい」
 和彦は、チノパンツのポケットに入れた携帯電話を取り出しはしたものの、かけることはできなかった。気をつかった御堂が立ち上がろうとしたが、和彦は腕に手をかけ引き止める。
「――……自分の口から、あんなこと言えません……。ぼくが嫌だと言ったところで、もう無駄なんです。会長と南郷さんは――」
 しゃくり上げるように息を吸い込むと、御堂に肩を優しくさすられる。情けない姿を見てほしかったわけではないし、慰めを期待していたわけでもない。しかしもう和彦には、意地を張る理由が見当たらなかった。
 ここにいるのは、オンナと、元オンナだ。
「御堂さんは、ぼくみたいな立場にいたとき、理不尽だと思うことはなかったんですか?」
 こんなときだからこそ、繊細な部分に踏み込む質問をしてしまう。御堂は、そんな和彦を拒絶しなかった。
「理不尽だらけだったよ。ぼくをオンナにした男二人は、それぞれ組での地位があったし、おかげでわたしは十分に庇護してもらえたと思う。だけど……、だからこそ、理不尽なことはつきまとう。惨めさに潰されそうになったわたしが選んだのは、伊勢崎さんや綾瀬さんと同じ世界に入ることだった。開き直った部分もあるけど、純粋にわたしは、力が欲しかった」
「力、ですか……」
「ご覧のとおり、わたしは荒事には向かない。それでも、この世界では生きていけるし、南郷みたいな男と渡り合える。まあ、体調を崩したのは想定外だったが。それでも、わたしはまだ負けていないし、押し潰されてはいない。何より、賢吾が、わたしをまだ利用できると考えて、復帰を唆したんだ。それはわたしの自信になっている。選んだことに間違いはなかったってね」
「オンナに、なったことも、ですか?」
 秀麗な顔に優しげな表情を浮かべながら、御堂の両目に一瞬駆け抜けたのは覇気だ。
 この人は、賢吾たちと同じ次元を見ている人なのだと、和彦は痛感していた。感嘆するのと同じぐらい、嫉妬もする。

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