血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,131 / 1,268
第43話

(34)

しおりを挟む
 粗野で暴力的な空気をまとっている南郷だが、ときには人を煙に巻くような、皮肉めいていたり、迂遠な物言いには知性が感じられるということを。
 和彦がつい聞き入ってしまうのは、そのせいだ。〈言葉〉をよく知っている男なのだ。
 南郷が読書家だというのは、世間話程度に賢吾から聞かされてはいるし、総和会の中でも口の端に上ることがあった。書厨しょちゅうと言われるような、ただ本を読むだけでなんの知識も得ない人間ではないのだと、南郷の話を聞いていれば察することができる。
 いかにも筋者らしい見た目は他人を威圧する武器になるだろうが、南郷は身の内に、狂暴性とは別の、切れ味鋭い武器を持っているのかもしれない。
「……会長と、何を企んでいるんですか」
 坂道の勾配は大したことはないが、水たまりを避け、泥に足を取られまいと踏ん張るうちに、息が上がる。それでも和彦は問いかけずにはいられなかった。
「ひどい言いようだ。この世界、何も企んでいない奴なんていないだろう。長嶺組長だって例外じゃない」
「答える気はないということですか……」
「まだ、な。別の質問なら、答えられるかもしれない」
 ここでようやく道が開け、見覚えのある景色が目の前に広がる。千尋と訪れたとき同様、湖に氷が張っており、岸にはうっすらと雪が残っている。人が歩いた痕跡はなく、さすがにこの寒さでは、水辺で散歩をしようなどという酔狂な人間は、和彦たち以外にいなかったようだ。
 湖を渡ってくる風は突き刺さるように冷たく、和彦は首を竦める。すると、肩に南郷の腕が回された。反射的に体を硬くし、睨みつける。
「触らないでください」
「誰も見てやしない。恥ずかしがらなくてもいいだろ、先生」
 とぼける南郷は腕を離すどころか力を入れたため、やや強引に歩かされる。
 突然のことに動揺していた和彦だが、寸前まで自分たちが何を話していたか思い出した。
「――……ぼくの役目は、なんですか」
「従順なオンナであること。俺たちの求めに逆らわず、協力してくれればいい」
「長嶺組長――賢吾さんへの嫌がらせのためですか?」
 南郷は低く笑い声を洩らした。
「可愛らしい言い方だな、先生。『嫌がらせ』か……」
 カッとした和彦は、南郷の腕をなんとか振り払い、数歩分距離を取る。その瞬間、ひときわ強い風が吹き、目も開けていられなかった。次に目を開けたとき、南郷が目の前に立ちはだかり、無感情な目で見下ろされていた。
 無意識に後退ろうとして、腕を掴まれる。
「あんたは昨夜、俺のオンナになった」
「ぼくはっ……、そんなこと絶対に――」
「これからは、俺にも懐いてくれ」
 嫌だと繰り返したところで、南郷は痛痒を感じないだろう。むしろ、ムキになる和彦の反応を楽しんでいるのだ。
 和彦はギリッと奥歯を噛み締めたあと、ゆっくりと深呼吸をする。南郷に何か一撃を与えたいなどと、大それたことを考えたわけではない。ただ、わずかながらでも南郷に不愉快さを味わわせてやりたかった。
「――さっきからずっと、ぼくを口説いているつもりなんですか?」
 さすがの南郷も虚をつかれたのか、驚いたように目を丸くしたあと、破顔した。
 これは素の表情だなと、和彦は思った。
「あんたも大概、おもしろい人間だな。俺に対して怯えて、露骨に警戒して見せながら、そんなことを思ってたのか」
「ありえないからこそ……、聞いてみただけです。あなたが執着しているのは、賢吾さんですよね。だからぼくが気に食わない」
 口にして、素手で百足に触れたようなおぞましさが全身を駆け巡る。次の瞬間には、肉食だという強靭なあごに噛まれる想像すらしていた。
 和彦の肩に回していた腕を離し、南郷はマウンテンパーカーのポケットに両手を突っ込む。
「――……執着にもいろいろある。憎んでいるのか、妬んでいるのか、思慕しているのか。それとも、ただ相手に、自分の存在を認めてほしいだけなのか。先生、あんたの目からは、俺はどれに見える?」
 湖を見つめる南郷の横顔は、静かな表情を湛えながらも、気圧されるほどの鋭さがあった。ここで和彦は直感する。
 賢吾の存在は、南郷の精神の柔らかな部分に入り込んでいる。その柔らかな部分にあるのは、底なしの闇だ。触れてみろと示しながら、触れた途端に呑み込み、引きずり込んでくる。
 南郷は今、和彦を試しているのだ。
「何も……。ぼくには、南郷さんのことは何もわかりません。知りたくも、ないですし」
「つれないな。俺のオンナになったというのに。――俺の機嫌を取っておいて損はない。総和会の中で、確かに長嶺組は発言力も存在感もあるが、個人では、長嶺組長より、俺のほうが上だ」
 今のところは、と慎重に南郷は付け加える。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...