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第43話
(31)
しおりを挟む寝起きの気分は最悪だった。
和彦は布団の中で、体の節々が痛んでいることを確かめると、慎重に体を起こす。部屋の暖房が効きすぎており、額や首筋がじっとりと汗ばんでいた。
頭はぼうっとしており、すぐには思考が働かない。そもそも昨夜、自分はどうやって部屋のベッドに入ったのかすら、記憶は曖昧だ。
和彦は、カーテンの隙間から差し込む弱々しい陽射しを漫然と眺める。そうしているうちにやっと、自分の身に起こった出来事が蘇ってきた。
慌ててベッドから出ると、はっきりと筋肉痛を自覚する。もちろん、それだけではなく――。
和彦は唇を噛むと、落ち着きなく室内を歩き回る。そうしているうちに、ようやく思考が正常さを取り戻す。大きく息を吐き出したあと、ひとまずカーテンを開けた。
厚い雲の合間から、陽が差している。どこか神秘的ですらある光の帯がうっすらと伸びていたが、雲が流れたことによってあっという間に消えてしまう。そこで和彦も我に返った。
時計を見れば、午前九時を少し過ぎている。いつもより遅めの起床となったが、あまり眠った気はしない。
また横になりたい誘惑に駆られた和彦だが、ゆっくりしている場合ではないとすぐに思い直す。とにかくここを出たかった。こんなところに閉じ込められたままでは何もできないことは、昨夜痛感した。
ため息をついて再び窓の外を見ようとしたとき、突然、ドアをノックされる。和彦はビクリと体を震わせ、声も出せずにその場に立ち尽くす。
再びのノックはなく、いきなりドアが開いた。
「――起きてたか、先生」
のっそりと部屋に入ってきた南郷が、和彦の姿を認めるなりニッと笑いかけてくる。その表情に馴れ馴れしさを感じたのは、ある種の被害妄想かもしれない。和彦は直視できず、反射的に顔を背ける。
「下りてきて、朝メシを食ってくれ」
昨夜のことなど一切匂わせない南郷の言葉に、一瞬激高しかける。しかし、怯えが上回ってしまう。
「食欲はないです……」
「まあそう言わず、一口、二口でいいから、口をつけてくれ」
「いりませんっ。放っておいてくださいっ――」
急に肩を掴まれて和彦はハッとする。思わず南郷を見上げていた。南郷はもう笑っておらず、無感情な目で見つめてくる。
「言い直したほうがいいか? メシを食え。あんたに弱られると困る」
返事もしないうちに南郷に腕を掴まれ、半ば引きずられるようにして部屋を連れ出される。腕に食い込む指の力の強さに、抵抗する気力も芽生えなかった。
一階に下りると、人の姿はなかった。早々に守光と顔を合わせても困るため、和彦は内心ほっとする。すると南郷が言った。
「オヤジさんなら、今朝早くにここを発った。……用はもう済んだからな」
どういう意味なのか、数秒の間を置いて理解する。次の瞬間、和彦は屈辱から、全身の血が沸騰しそうになった。
すぐにでも部屋に引き返したくなったが、南郷がそれを許すはずもなく、ひとまず顔を洗いたいと言って、なんとか一人で洗面所に駆け込む。
わかってはいたが、鏡に映った和彦の顔はひどいものだった。血の気が失せているうえに、くっきりとした隈ができている。当然か、と呟いて、勢いよく顔を洗ってからダイニングに向かう。
テーブルには一人分の朝食だけが準備されていた。皿に盛られたサンドイッチをじっと見下ろしていた和彦は、ふと視線を感じて顔を上げる。キッチンから、南郷がこちらを見ていた。
仕方なくイスに腰掛けると、皿にかかったラップを外す。
「先生、コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
モソモソと食べ始めた和彦に、南郷が尋ねてくる。紅茶を、と答えると、南郷はカップにさっとティーバッグを放り込み、湯を注いだ。
予想はついていたが、食事はひどく味気なく、何より緊張した。もともと和彦は、南郷に対してずっと恐れを抱き、警戒もしていたが、昨夜の出来事は決定的だった。側にいられると、まるで首筋に刃を当てられているような危機感を覚える。結果、鼓動が不自然に早打ち、指先が痺れるほど冷たくなってくる。
ふいにカタッと物音がして、身を竦める。見ると、南郷がカウンターの上にグラスを置いたところだった。グラスに牛乳を注ごうとしていた南郷が視線を上げた。
「先生も飲むか?」
この男はなぜ、何もなかったような顔をして、平然と話してくるのだろうか。和彦の中でふっとそんな疑問が湧き起こる。
昨夜、あんなことをしておいて――。
ここで和彦は突然吐き気に襲われ、ダイニングを飛び出す。背後から南郷に声をかけられたが、答える余裕もなく、急いでトイレに駆け込んだ。
食べたばかりのものを吐き出し、逆流してきた胃液に刺激され、激しく咳き込む。
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