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第43話
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そうだ、と守光が大きく頷く。
「賢吾の将来を見据えるとき、同時に千尋の将来も考えなければならない。あれにはもっと経験を積ませ、知恵をつけさせ、自分の力で人望も得なければならない。賢吾がやってきたように。権力の移譲とは驕った言い方かもしれんが、わしからうまく賢吾に引き継げられれば、あとは千尋へと続くはずだ。そうやってあれこれ考えると、どうしても突きつけられる現実がある。何かわかるかね?」
口に出すのははばかられ、和彦は控えめに守光を見つめ返す。守光は、笑みを深くした。
「優しいな、先生。今、わしに気をつかってくれたんだろう」
「優しいなんて……」
「――時間が足りない。正確には、わしの時間が。息子や孫のことを思い、総和会会長の地位に恋々とした感情を抱くが、一方で、耄碌したわしは、かつてわしがそうしたように、誰かに追い落とされるだろうとも思う。そういう惨めな姿は、身内の者に見せたくはない。自分の引き際は自分で決める」
一度唇を引き結んだ守光は、思い出したようにお茶を啜る。
「そういうことをずっと考えていたわしにとって、あんたとの出会いは僥倖としか言いようがない。あんたもまた、わしの〈運命〉となるんだと確信している」
「……ぼくを、どうしたいのですか?」
「ただ、長嶺の男の側にいて、よく尽くし、よく支え、よく愛してほしい。あんたは喜んで、わしらの血を受け入れてくれるだろう。そうやって互いに生かし合う」
この言葉を聞くのは二度目だった。最初に守光から言われたとき、和彦は惑乱の中にあって真意を問うことはできなかったが、ただその重みだけは感じることができた。
「不安がらずともいい。あんたならできる。これまでわしらから逃れる機会は幾度もあった。きつい選択もさせた。それでもあんたはここにいる。ただ強い力に身を委ねてきただけだと言うかもしれんが、そうできるのもまた、あんたの強さだ」
底知れぬ力を持った化け物に、拒否権のない選択を迫られていると思った。守光が和彦に突き付けてくるのは常にそういったものであったが、今は、秘密を共有し合っているような後ろ暗さも伴っている。
守光は、慈愛に満ちた微笑を向けてきた。
「あんたは賢吾が大事。わしも息子が大事。将来に何を見ているかはともかく、そこは一致しているだろう。わしらは」
「将来……」
「かつてわしは、賢吾から鬼だと言われたことがある。権力に血迷った鬼だと。理解も納得も得られずとも、その鬼が、これがお前に用意した道だと示せば、賢吾も歩まざるを得なくなる。組を背負って立つ者の、逃れることのできない責任だ。そのために、すでに総和会という組織は改編されつつある。――そして賢吾は知るだろう。ある男の、人生を賭けた献身をな」
「……ある男?」
守光がスッと目を細める。酷薄で、青白い炎のような苛烈な熱を感じさせる表情に、無意識に和彦は体を強張らせる。仄めかされた『男』とは一体誰を指しているのかと考え、ふと、ある人物の顔が脳裏を過る。
献身という言葉とは程遠い、傲岸不遜な存在。だが、隠し子ではないかと噂されるほど守光が側に置き、目をかけている存在。
「それは――」
和彦が名を口にしようとした瞬間、部屋の外から吾川が呼びかけてきた。守光宛てに仕事の電話がかかってきたようだ。やれやれと守光がぼやく。
「居場所をくらませても、連絡だけは断つことはできん。総和会会長と連絡がつかんというだけで、どこで何を企む奴が出るかわからんからな」
それは、話はここで終わりだという合図でもあった。
和彦は夢から覚めたような感覚に戸惑いながら、熱くなったままの自分の頬を撫でる。立ち上がろうとしたところで、さりげなく守光に言われた。
「――今夜また、この部屋に来なさい。誰にも邪魔されず、じっくりと話をしよう」
ドクンと鼓動が大きく跳ねる。言外に含まれた意味を汲み取り、和彦は小さく頷いた。
夕食と入浴を済ませてから部屋で少し休んだ和彦は、スウェット姿で一階に下りて、異変に気づいて動揺する。まだ宵の口ともいえる時間だが、人の気配がなかった。
浴場に向かうときにはまだ一階では男たちが行き来しており、夕食の後片付けなどをしていたのだ。ハッとして窓の外を見てみると、やはり人の姿はないが、車は複数台停まっている。
皆、一斉に別館に引き揚げたのだと知り、次の瞬間には全身が熱くなった。これから何が行われるか、当然のように伝達されているのだと思うと、激しい羞恥から逃げ出したくなる。
いまさらではないかと皮肉っぽく自分に言い聞かせ、なんとか気持ちを奮い立たせた和彦は、一階の奥の部屋へと向かう。
「賢吾の将来を見据えるとき、同時に千尋の将来も考えなければならない。あれにはもっと経験を積ませ、知恵をつけさせ、自分の力で人望も得なければならない。賢吾がやってきたように。権力の移譲とは驕った言い方かもしれんが、わしからうまく賢吾に引き継げられれば、あとは千尋へと続くはずだ。そうやってあれこれ考えると、どうしても突きつけられる現実がある。何かわかるかね?」
口に出すのははばかられ、和彦は控えめに守光を見つめ返す。守光は、笑みを深くした。
「優しいな、先生。今、わしに気をつかってくれたんだろう」
「優しいなんて……」
「――時間が足りない。正確には、わしの時間が。息子や孫のことを思い、総和会会長の地位に恋々とした感情を抱くが、一方で、耄碌したわしは、かつてわしがそうしたように、誰かに追い落とされるだろうとも思う。そういう惨めな姿は、身内の者に見せたくはない。自分の引き際は自分で決める」
一度唇を引き結んだ守光は、思い出したようにお茶を啜る。
「そういうことをずっと考えていたわしにとって、あんたとの出会いは僥倖としか言いようがない。あんたもまた、わしの〈運命〉となるんだと確信している」
「……ぼくを、どうしたいのですか?」
「ただ、長嶺の男の側にいて、よく尽くし、よく支え、よく愛してほしい。あんたは喜んで、わしらの血を受け入れてくれるだろう。そうやって互いに生かし合う」
この言葉を聞くのは二度目だった。最初に守光から言われたとき、和彦は惑乱の中にあって真意を問うことはできなかったが、ただその重みだけは感じることができた。
「不安がらずともいい。あんたならできる。これまでわしらから逃れる機会は幾度もあった。きつい選択もさせた。それでもあんたはここにいる。ただ強い力に身を委ねてきただけだと言うかもしれんが、そうできるのもまた、あんたの強さだ」
底知れぬ力を持った化け物に、拒否権のない選択を迫られていると思った。守光が和彦に突き付けてくるのは常にそういったものであったが、今は、秘密を共有し合っているような後ろ暗さも伴っている。
守光は、慈愛に満ちた微笑を向けてきた。
「あんたは賢吾が大事。わしも息子が大事。将来に何を見ているかはともかく、そこは一致しているだろう。わしらは」
「将来……」
「かつてわしは、賢吾から鬼だと言われたことがある。権力に血迷った鬼だと。理解も納得も得られずとも、その鬼が、これがお前に用意した道だと示せば、賢吾も歩まざるを得なくなる。組を背負って立つ者の、逃れることのできない責任だ。そのために、すでに総和会という組織は改編されつつある。――そして賢吾は知るだろう。ある男の、人生を賭けた献身をな」
「……ある男?」
守光がスッと目を細める。酷薄で、青白い炎のような苛烈な熱を感じさせる表情に、無意識に和彦は体を強張らせる。仄めかされた『男』とは一体誰を指しているのかと考え、ふと、ある人物の顔が脳裏を過る。
献身という言葉とは程遠い、傲岸不遜な存在。だが、隠し子ではないかと噂されるほど守光が側に置き、目をかけている存在。
「それは――」
和彦が名を口にしようとした瞬間、部屋の外から吾川が呼びかけてきた。守光宛てに仕事の電話がかかってきたようだ。やれやれと守光がぼやく。
「居場所をくらませても、連絡だけは断つことはできん。総和会会長と連絡がつかんというだけで、どこで何を企む奴が出るかわからんからな」
それは、話はここで終わりだという合図でもあった。
和彦は夢から覚めたような感覚に戸惑いながら、熱くなったままの自分の頬を撫でる。立ち上がろうとしたところで、さりげなく守光に言われた。
「――今夜また、この部屋に来なさい。誰にも邪魔されず、じっくりと話をしよう」
ドクンと鼓動が大きく跳ねる。言外に含まれた意味を汲み取り、和彦は小さく頷いた。
夕食と入浴を済ませてから部屋で少し休んだ和彦は、スウェット姿で一階に下りて、異変に気づいて動揺する。まだ宵の口ともいえる時間だが、人の気配がなかった。
浴場に向かうときにはまだ一階では男たちが行き来しており、夕食の後片付けなどをしていたのだ。ハッとして窓の外を見てみると、やはり人の姿はないが、車は複数台停まっている。
皆、一斉に別館に引き揚げたのだと知り、次の瞬間には全身が熱くなった。これから何が行われるか、当然のように伝達されているのだと思うと、激しい羞恥から逃げ出したくなる。
いまさらではないかと皮肉っぽく自分に言い聞かせ、なんとか気持ちを奮い立たせた和彦は、一階の奥の部屋へと向かう。
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