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第43話
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粗野で暴力的な空気をまき散らす南郷の存在は、明らかに浮いている――はずなのだが、数人のグループと話している南郷を見て、和彦は困惑する。大柄で強面ではあるが、人のよさそうな笑みを浮かべた男が、そこにいたからだ。
見た目は南郷なのだが、中身は別人と入れ替わったかのように雰囲気が違っている。
誰よりも大きな笑い声を立てた南郷は、今度は別のグループに声をかける。自分が後ろ暗い存在であることをおくびにも出さない、朗らかな声と表情で。
擬態だ、と咄嗟にそんな単語が頭に浮かんだ。演じているという表現より、相応しい。
結局、イノシシの解体を最後まで見たうえに、振る舞われたイノシシ汁まで味わうことになり、和彦は倉庫の外に置かれたベンチに腰掛けて、椀に口をつける。
「美味しい……」
ぽつりと一人感想を洩らしたところに、椀を手にした南郷がのっそりとやってくる。やはり、と言うべきか、他に空いているスペースはあるのに、和彦の隣に腰掛けた。
「さすが医者だな、先生。イノシシが解体されるところなんて初めて見ただろ。それで、平気な顔して肉が食えるんだ。やっぱり連れてきてよかった」
「……イノシシの肉って、もっとクセが強いのかと思ってました」
「獲ったらすぐに血抜きする。それが臭みのない肉にする秘訣だ。猟について行ったことがあるが、ここの主人の手際は見事なものだった。――参考にしたくなるほど」
最後の言葉は、南郷なりの性質の悪い冗談だろうと判断して、和彦は無視した。すると南郷が短く笑って汁を啜った。
「イノシシ肉は、体が温まる」
独り言のように南郷が洩らし、さすがにそれについては異論はなく、和彦は小さく頷く。
沈黙したまま、ただイノシシ汁を味わっていても間が持たず、なんとなく息苦しさを覚える。いまさら席を立つ度胸が和彦にあるはずもなく、とうとう南郷に話しかけていた。
「――……南郷さんも、猟をするんですか?」
「俺は、しないというより、できない。わかるだろ。ヤクザが猟銃を持てないって理屈が。何より俺には〈前〉がある。ただし、ここの主人たちには、目が悪くて試験を受けられないと言ってある。俺はあくまで、猟に興味がある一般人だ。オヤジさんについて別荘に来るたびに、暇を見つけては顔を出しているうちに、猟の現場を見せてもらえるようになった。おかげで、獣肉が手に入る」
南郷に前科があるのは知っている。暴力団組織に所属しているとはいえ、逮捕されたことがある者ばかりではないだろうが、やはり多いのは確かだ。だからこそ和彦は、よほど気心が知れない限り詮索したりはしない。知ってしまえば、意識せざるをえないし、自分が平然とした顔をしていられるとも思えないからだ。
一方で、知らないでいることは、無防備であるともいえるのだ。例えば、南郷に前科があると知ってはいても、一体どんな犯罪を犯したのかまでは把握していない。もしかすると、他人を傷つけた男の隣に、自分は今座っているかもしれないのだ。
和彦はほんのわずかだけ、座った位置をずらす。途端に南郷から、ゾッとするような眼差しを向けられた。
「先生は、猟のことより、俺の〈前〉のことが気になるか?」
「……いえ。そんなことは……」
「そう、長い勤めはしていない。少年院にも刑務所にも入ったことはあるが、今の時代、それで箔がつくもんでもないから、自慢にはならない。もっとも、田舎の山奥から出てきた俺なんて、手を汚すしか術はなかったんだがな。目端の利く者は、荒事抜きで組織の上に行ける。もしくは、強力な後ろ盾を持つ者か……」
「それは――」
この瞬間、和彦の脳裏にある男の顔が浮かぶ。すると南郷から、皮肉に満ちた鋭い笑みを向けられた。
「考えてみれば俺は、長嶺組長がしていない経験をして、ここにいる。あちらは大学まで出て、経歴になんら傷のないピカピカのお坊ちゃんで、対する俺は、薄汚い野良犬のようなものだった。それが今では、同じような高さの場所にいるんだ。人生ってのはおもしろいと思わないか」
自虐ではなく、本当にそう感じているような口調で語る南郷に、一瞬和彦は、共感めいた気持ちを抱いていた。なぜと自問したあと、賢吾と南郷の境遇と立場が、自分たち兄弟に当てはまるのではないかと気づいた。
長嶺組の跡目として若い頃から自覚を求められ、自らの夢を諦めてまで研鑽を積み、今は組長という務めを完璧に果たしている賢吾の姿は、佐伯家に生まれた長男として、当然のように官僚の道に進むことを定められ、家族と親族たちの期待に応えた英俊に重なる。
見た目は南郷なのだが、中身は別人と入れ替わったかのように雰囲気が違っている。
誰よりも大きな笑い声を立てた南郷は、今度は別のグループに声をかける。自分が後ろ暗い存在であることをおくびにも出さない、朗らかな声と表情で。
擬態だ、と咄嗟にそんな単語が頭に浮かんだ。演じているという表現より、相応しい。
結局、イノシシの解体を最後まで見たうえに、振る舞われたイノシシ汁まで味わうことになり、和彦は倉庫の外に置かれたベンチに腰掛けて、椀に口をつける。
「美味しい……」
ぽつりと一人感想を洩らしたところに、椀を手にした南郷がのっそりとやってくる。やはり、と言うべきか、他に空いているスペースはあるのに、和彦の隣に腰掛けた。
「さすが医者だな、先生。イノシシが解体されるところなんて初めて見ただろ。それで、平気な顔して肉が食えるんだ。やっぱり連れてきてよかった」
「……イノシシの肉って、もっとクセが強いのかと思ってました」
「獲ったらすぐに血抜きする。それが臭みのない肉にする秘訣だ。猟について行ったことがあるが、ここの主人の手際は見事なものだった。――参考にしたくなるほど」
最後の言葉は、南郷なりの性質の悪い冗談だろうと判断して、和彦は無視した。すると南郷が短く笑って汁を啜った。
「イノシシ肉は、体が温まる」
独り言のように南郷が洩らし、さすがにそれについては異論はなく、和彦は小さく頷く。
沈黙したまま、ただイノシシ汁を味わっていても間が持たず、なんとなく息苦しさを覚える。いまさら席を立つ度胸が和彦にあるはずもなく、とうとう南郷に話しかけていた。
「――……南郷さんも、猟をするんですか?」
「俺は、しないというより、できない。わかるだろ。ヤクザが猟銃を持てないって理屈が。何より俺には〈前〉がある。ただし、ここの主人たちには、目が悪くて試験を受けられないと言ってある。俺はあくまで、猟に興味がある一般人だ。オヤジさんについて別荘に来るたびに、暇を見つけては顔を出しているうちに、猟の現場を見せてもらえるようになった。おかげで、獣肉が手に入る」
南郷に前科があるのは知っている。暴力団組織に所属しているとはいえ、逮捕されたことがある者ばかりではないだろうが、やはり多いのは確かだ。だからこそ和彦は、よほど気心が知れない限り詮索したりはしない。知ってしまえば、意識せざるをえないし、自分が平然とした顔をしていられるとも思えないからだ。
一方で、知らないでいることは、無防備であるともいえるのだ。例えば、南郷に前科があると知ってはいても、一体どんな犯罪を犯したのかまでは把握していない。もしかすると、他人を傷つけた男の隣に、自分は今座っているかもしれないのだ。
和彦はほんのわずかだけ、座った位置をずらす。途端に南郷から、ゾッとするような眼差しを向けられた。
「先生は、猟のことより、俺の〈前〉のことが気になるか?」
「……いえ。そんなことは……」
「そう、長い勤めはしていない。少年院にも刑務所にも入ったことはあるが、今の時代、それで箔がつくもんでもないから、自慢にはならない。もっとも、田舎の山奥から出てきた俺なんて、手を汚すしか術はなかったんだがな。目端の利く者は、荒事抜きで組織の上に行ける。もしくは、強力な後ろ盾を持つ者か……」
「それは――」
この瞬間、和彦の脳裏にある男の顔が浮かぶ。すると南郷から、皮肉に満ちた鋭い笑みを向けられた。
「考えてみれば俺は、長嶺組長がしていない経験をして、ここにいる。あちらは大学まで出て、経歴になんら傷のないピカピカのお坊ちゃんで、対する俺は、薄汚い野良犬のようなものだった。それが今では、同じような高さの場所にいるんだ。人生ってのはおもしろいと思わないか」
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