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第43話
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外で何をしていたのか、南郷が履いたブーツは泥だらけのうえに、マウンテンパーカーも肩の辺りが濡れているように見える。和彦の視線に気づいて、南郷は軽く自分の肩を払った。
「別荘の周りを散歩してたら、枝から落ちた雪を被った」
はあ、と気のない返事をして、和彦はさっさと立ち去ろうとしたが、南郷に呼び止められた。
「先生、すぐに暖かい格好をしてきてくれ。手袋は……、俺のでいいか。これから出かける」
「これからって――」
和彦の言葉を遮り、急かすように南郷が手を打つ。何事かと、吾川がダイニングから出てきたが、南郷の姿を認めるなり、すぐに引っ込んでしまう。
仕方なく二階の部屋に戻った和彦は、ダウンジャケットを掴んで引き返す。玄関には、新しい長靴が置いてあった。その傍らで南郷がニヤニヤと笑っている。
「これを履いてくれ。通勤用の靴じゃ、滑って危ない」
一体なんなんだと怒鳴りたい気分だったが、南郷が先に外に出てしまったため、あとを追いかけるしかない。
履いた長靴は、防寒用で暖かくはあるのだが、爪先の部分が余っている。おかげで歩くたびに、間の抜けた音がする。用意してもらった手前、文句を言うつもりはないが。
南郷が、見たこともない4WDに乗り込み、手招きをしてくる。すかさず和彦は背を向け、建物の中に戻ろうとしたが、クラクションを鳴らされて諦めた。
「……どこに行くんですか」
4WDの窓から見る風景は、車高が高いこともあって少しだけ新鮮だ。だからといって、ハンドルを握る南郷との間に和やかな空気が流れるはずもなく、和彦だけがピリピリとしている。
「晩メシの材料を仕入れに」
つまり少なくとも夕方までは、あの別荘に滞在するということだ。あからさまに失望するわけにもいかず、かろうじて無表情は保ったが、そんな和彦を横目で見て、南郷は唇の端に笑みを刻む。
「先生、ジビエは食ったことあるか?」
「……ジビエ肉とか言われるものですよね」
「夜、あんたに昔話をしていて、ふと思いついたんだ。今朝、知り合いに連絡を取ったら、肉を譲ってやると言われた。俺はガキの頃、じいさんが獲ってきた獣の肉をよく食っていたが、全然太れなかった。食わせ甲斐がないとよく詰られたもんだ。ただまあ、今はこうして人並み以上にでかくなったんだから、何かしら恩恵はあったんだろうな」
恵まれた子供時代ではなかったらしい南郷だが、なんの抵抗もないようにその頃の話をする。吹っ切れたというのもあるのだろうが、口ぶりからして、完全に今の自分と切り離して捉えているのかもしれない。とてもではないが、和彦にはできないことだ。
「ぼくがついて行く必要はないと思うのですが……」
「どうせ何もやることがなくて暇だろ。オヤジさんは午前中いっぱいは、仕事の電話で忙しいしな」
勝手に暇だと決めつけないでくれと、ぼそぼそと抗議した和彦だが、聞いていないのか南郷はラジオをつけてしまう。
電波状況がよくないのか、よく聴き取れないニュース番組が流れ始めたが、和彦は必死に意識を傾ける。南郷がさらに話しかけてきたが、聞こえなかったふりをして返事をしなかった。
夜の間に降った雪がしっかりと残る山道を、車は走り続けた。それでもさほど心細さを覚えなくて済んだのは、外が明るく、人家もちらほらと建っているからだ。
ようやくある一軒家の敷地内に入ったのだが、家人だけのものとも思えない複数の車がすでに停まっていた。
ぬかるんだ地面に足を取られそうになりながら、南郷について倉庫らしき建物に入ると、やはり何人もの人の姿があった。その中心にあるのは作業台で、そこに横たわっているのは――。
何かの塊だと思い、和彦は人の合間から顔を覗かせ、目を凝らす。危うく素っ頓狂な声を上げそうになり、寸前のところで口元を手で覆う。イノシシだった。すでに絶命しているのは明らかで、内臓が取り除かれている。
ここで、車中で南郷に言われた言葉を思い返す。『晩メシの材料』と『ジビエ』に、目の前の光景がしっかりと合致した。
和彦は倉庫内を見回す。業務用らしき大きな冷蔵庫が設置されており、さらに、壁に掛けられたノコギリなどの道具に目をとめる。用途は一目瞭然だ。
作業台の周囲には、さまざまな年齢層の男女が集まり、談笑している。その中に、当然のような顔をして南郷も加わっていた。
漏れ聞こえてくる会話から察するに、これからこのイノシシの皮を剥いで、肉を解体していくようだ。そしてその肉を、今集まっている人たちに分配するらしい。
その仕組みはわかるのだが、そこになぜ南郷も加わっているのか。この場に集まっているのはどう見ても、イノシシ肉を楽しみにしている一般人ばかりだ。
「別荘の周りを散歩してたら、枝から落ちた雪を被った」
はあ、と気のない返事をして、和彦はさっさと立ち去ろうとしたが、南郷に呼び止められた。
「先生、すぐに暖かい格好をしてきてくれ。手袋は……、俺のでいいか。これから出かける」
「これからって――」
和彦の言葉を遮り、急かすように南郷が手を打つ。何事かと、吾川がダイニングから出てきたが、南郷の姿を認めるなり、すぐに引っ込んでしまう。
仕方なく二階の部屋に戻った和彦は、ダウンジャケットを掴んで引き返す。玄関には、新しい長靴が置いてあった。その傍らで南郷がニヤニヤと笑っている。
「これを履いてくれ。通勤用の靴じゃ、滑って危ない」
一体なんなんだと怒鳴りたい気分だったが、南郷が先に外に出てしまったため、あとを追いかけるしかない。
履いた長靴は、防寒用で暖かくはあるのだが、爪先の部分が余っている。おかげで歩くたびに、間の抜けた音がする。用意してもらった手前、文句を言うつもりはないが。
南郷が、見たこともない4WDに乗り込み、手招きをしてくる。すかさず和彦は背を向け、建物の中に戻ろうとしたが、クラクションを鳴らされて諦めた。
「……どこに行くんですか」
4WDの窓から見る風景は、車高が高いこともあって少しだけ新鮮だ。だからといって、ハンドルを握る南郷との間に和やかな空気が流れるはずもなく、和彦だけがピリピリとしている。
「晩メシの材料を仕入れに」
つまり少なくとも夕方までは、あの別荘に滞在するということだ。あからさまに失望するわけにもいかず、かろうじて無表情は保ったが、そんな和彦を横目で見て、南郷は唇の端に笑みを刻む。
「先生、ジビエは食ったことあるか?」
「……ジビエ肉とか言われるものですよね」
「夜、あんたに昔話をしていて、ふと思いついたんだ。今朝、知り合いに連絡を取ったら、肉を譲ってやると言われた。俺はガキの頃、じいさんが獲ってきた獣の肉をよく食っていたが、全然太れなかった。食わせ甲斐がないとよく詰られたもんだ。ただまあ、今はこうして人並み以上にでかくなったんだから、何かしら恩恵はあったんだろうな」
恵まれた子供時代ではなかったらしい南郷だが、なんの抵抗もないようにその頃の話をする。吹っ切れたというのもあるのだろうが、口ぶりからして、完全に今の自分と切り離して捉えているのかもしれない。とてもではないが、和彦にはできないことだ。
「ぼくがついて行く必要はないと思うのですが……」
「どうせ何もやることがなくて暇だろ。オヤジさんは午前中いっぱいは、仕事の電話で忙しいしな」
勝手に暇だと決めつけないでくれと、ぼそぼそと抗議した和彦だが、聞いていないのか南郷はラジオをつけてしまう。
電波状況がよくないのか、よく聴き取れないニュース番組が流れ始めたが、和彦は必死に意識を傾ける。南郷がさらに話しかけてきたが、聞こえなかったふりをして返事をしなかった。
夜の間に降った雪がしっかりと残る山道を、車は走り続けた。それでもさほど心細さを覚えなくて済んだのは、外が明るく、人家もちらほらと建っているからだ。
ようやくある一軒家の敷地内に入ったのだが、家人だけのものとも思えない複数の車がすでに停まっていた。
ぬかるんだ地面に足を取られそうになりながら、南郷について倉庫らしき建物に入ると、やはり何人もの人の姿があった。その中心にあるのは作業台で、そこに横たわっているのは――。
何かの塊だと思い、和彦は人の合間から顔を覗かせ、目を凝らす。危うく素っ頓狂な声を上げそうになり、寸前のところで口元を手で覆う。イノシシだった。すでに絶命しているのは明らかで、内臓が取り除かれている。
ここで、車中で南郷に言われた言葉を思い返す。『晩メシの材料』と『ジビエ』に、目の前の光景がしっかりと合致した。
和彦は倉庫内を見回す。業務用らしき大きな冷蔵庫が設置されており、さらに、壁に掛けられたノコギリなどの道具に目をとめる。用途は一目瞭然だ。
作業台の周囲には、さまざまな年齢層の男女が集まり、談笑している。その中に、当然のような顔をして南郷も加わっていた。
漏れ聞こえてくる会話から察するに、これからこのイノシシの皮を剥いで、肉を解体していくようだ。そしてその肉を、今集まっている人たちに分配するらしい。
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