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第43話
(6)
しおりを挟む午前中の患者の施術がすべて終わり、手を洗って仮眠室に入った和彦は、窓から外を眺める。灰色の雲で覆われた空は、今にも何かが降ってきそうで、どうせなら雪がいいなと、子供じみたことを考えた。
和彦はダッフルコートを羽織り、財布をポケットに突っ込むと、待合室へと向かう。電話番のスタッフがにこにこしながらメモ用紙を出してきた。寒いとどうしても、昼食をとりに外へ出るのが億劫になるもので、それは和彦も例外ではない。ただ今日はジャンケンで負けてしまい、買い出し担当となったのだ。
メモ用紙にざっと目を通していると、どこからかスタッフの咳き込む声が聞こえてくる。
「風邪かな……」
思わず和彦は呟いていた。美容外科クリニックであるため、風邪を引いて駆け込んでくる患者はまずいないのだが、和彦やスタッフから風邪が移ってしまっては大変だ。全員、インフルエンザの予防接種を打ってはいるものの、だからといって完全に防げるものではない。
職業柄、あれこれ心配して眉をひそめていると、スタッフが苦笑しながら教えてくれた。
「風邪じゃないんですよ。最近、乾燥がひどいから、喉を痛めたらしくて」
「なるほど……」
「でも、明日の〈あれ〉は絶対行くって、はりきってましたよ。多少の喉の痛みぐらい平気だって」
クリニックのスタッフたちとの、ささやかな忘年会を兼ねた食事会のことを言っているのだ。
「でも確かに、乾燥は気になるな。日に何度も静電気の直撃を受けてるから……」
待合室や診察室、施術室には加湿器を置いてあるのだが、効果は限定的だ。クリニックは部屋数も多いうえに、ドアや扉で仕切っており、空気の流れは期待できない。ときどき換気はしているのだが、肝心の外気が乾燥しきっているのだ。
今年、年が明けてからクリニックを開業したときはどうだっただろうと、和彦は記憶を辿る。慣れない立場にあって、日々の仕事をこなすのに精一杯で、患者には気を配っても、スタッフの労働環境に対しては意識がおざなりだったかもしれないと、今になって反省する。
和彦が深刻な顔で考え込んでいると、慌ててスタッフが付け加える。
「わたしたち、風邪気味だと思ったら、すぐ病院に行くようにしてますよ。患者さんや先生に移したりしないよう、十分注意して――」
「加湿器増やそうか」
自ら提案して、それがいいと和彦は頷く。
「大きいのだけじゃなくて、カウンターのワークスペースに置ける、卓上用のも。これからの時期、あって困るものじゃないし」
ここで和彦は自分の役目を思い出し、急いで昼食を買いに出る。途中、携帯電話で組員と連絡を取り、帰りに電器店に寄りたいと伝えておく。
通販で頼み、クリニックに届けてもらえばいいのだが、和彦には加湿器以外に見ておきたいものがあった。できれば、一人でゆっくりと。
幸いにもというべきか、この日、夕方近くに入っていた予約にキャンセルが出ていたため、終業時間前には日常業務を終わらせることができた。
時間ぴったりにスタッフを帰らせ、十分ほど遅れて和彦もクリニックをあとにする。
いつもの手順で迎えの車に乗り込むと、さっそく組員から、電器店で何を買うつもりなのか問われた。昼間のスタッフとのやり取りを手短に伝えると、感心したようにこう言われた。女性が多い職場は気を使いますね、と。
性別は関係ないだろうと思ったが、あえて訂正するほどのことでもないので、和彦は素直に頷いておいた。
大型の電器店に到着すると、当然のように組員もついてくる。大きい商品については店からクリニックへの配達を頼むので、荷物持ちは必要ないと言ってはみたが、混雑する店内の様子を一瞥して、ダメだと首を横に振られた。予想はしていたことなので、仕方ないかと肩を竦める。
エスカレーターで目的の売り場に着くと、まっすぐ加湿器のコーナーに向かう。実は店内に足を一歩踏み入れ、明るい照明と、最新の家電類を目にしたときから、仕事を終えたあとの疲労感がどこかに消えていた。
ここ最近、何かと理由をつけては買い物ばかりしている気がすると、和彦は我が身を振り返る。ストレスも関係あるのだろうかと、そんなことを考えながら、加湿器を選ぶ。
早々に支払いと配達の手続きを済ませてから、他の家電も見てまわる。必要なものはすべて賢吾によって揃えられ、差し迫ってどうしても欲しいものがあるわけではないが、見ていると、物欲が疼いてくるから始末が悪い。
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