血と束縛と

北川とも

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第43話

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 初めて、宮森の声音に感情が混じる。
「本宅にうかがうつもりだったが、堅苦しいことはやめておけと長嶺組長に言われて、こうしてお膳立てをしてもらうことになった」
 賢吾に対してずいぶん砕けた物言いをしているなと思っていると、宮森が手短に説明してくれた。
 年齢が近いこともあり、昔から側で仕事をさせてもらっていたこと。かつては賢吾の護衛も務めていたこと。宮森本人は口にしなかったが、つまり賢吾と親しい間柄なのだろう。
「昨日も、わたしの甥――優也を診てくれたと聞いた。ひどかった咳も完全に治まって、もう大丈夫だと……」
「ええ。一時はどうなるかと思いましたが、ぼくも安心しました。城東会の組員の方が、よくお世話をされていたようですね。初日以外は、部屋がきれいで、冷蔵庫の中にはいろいろ入ってて」
「うちの者が部屋に入っても、優也は何も言わなくなったんだ。格段の進歩だ。前は、怒鳴りまくって、部屋にも入れてもらえなかったから」
 玄関のドアのチェーンも、そろそろ直して大丈夫ではないかと、和彦は控えめに進言しておく。優也の部屋を訪ねるたびに、恨み節を聞かされていたのだ。
 宮森が口元を緩め、感心したように洩らした。
「長嶺組長から聞かされていた通りだ。人間嫌いの相手に、うちの先生はちょうどいいだろうと言っていた」
「そんな、ことを……」
「冷めている部分と、どうしようもなく甘い部分を持ち合わせているから、お前の甥っ子に何かしら刺さるはずだと」
 宮森は人さし指で、自分の心臓の真上辺りを指し示す。
「三田村にも刺さったんだろう。〈あれ〉は元は、執着というものを持たない男だった。ひどい言い方だが、だからこそ使い勝手がよかった」
 ヒヤリとするようなことを言った宮森が、ようやくチョコレートケーキを口に運ぶ。一方の和彦は急に口中の渇きを意識して、紅茶を一口飲んだ。
「正直、いままでの優也の扱いが正しいのかどうか、わたしはずっと悩んでいた。部屋に閉じ込めておくのは簡単だが、さて、こんな仕事をしている身で、わたしは一生、優也の面倒を見てやれるのか。いっそのこと、無理やりでも外に引きずり出すべきではないか。そうやって悩みながら、決断を先送りしていた。そこに、今回の大風邪だ。病院に放り込むこともできたが――」
「やっぱり……、そうですよね。人手はあるんだから、病院に連れて行くことはできましたよね」
「だが、そんなことをしたら、わたしは唯一の血縁からの信頼を失っていたかもしれない。……こう見えても、姉の忘れ形見は可愛いんだ。ひどい目に遭ってきた子だから、なおさらだ」
 和彦は、苦しげな息の下で優也が言っていたことを思い出す。宮森は、賢吾への義理立てのために、自分を病院に連れて行くことなく、和彦に診察を頼んだのだと。
 どうやら優也の叔父は、そこまで打算的ではなかったようだ。
 そう和彦が結論を出そうとしたとき、当の叔父がニヤリと笑った。凡庸な容貌の男は、たったそれだけで、鳥肌が立つほど物騒な空気をまとう。無意識に和彦は背筋を伸ばしていた。
「優也はずいぶんと、捻くれたことを言っていただろう?」
「……えっ、あの、まあ……」
「頭の回転は悪くない子だ。何より、数字に強い。今はまだ、積極的に外に出るというわけにはいかないが、リハビリがてら、部屋に人を招いたり、在宅仕事をしてみるのはどうかと、あれこれと考えている」
「そうなんですか」
「実は、そのことを長嶺組長に相談してみた」
 意味ありげに見つめられ、和彦は急にソワソワとしてくる。漠然とながら、これが今日の本題なのではないかと思った。
「甘えついでに、うちの先生に頼んでみたらどうだと言われた」
「何を、ですか……?」
「優也の話し相手になってもらうことを。その代わりといってはなんだが、あの子を、面倒な帳簿付けでもなんでも使ってもらってかまわない」
「あっ、いえ、そういう仕事は全部、ぼくも人にやってもらっているので――……」
 そうか、と残念そうに宮森が呟く。芝居がかっていると見えなくもなかったが、賢吾と長いつき合いがあり、信頼も得ている人物の頼みを断るのは良心が咎める。何より和彦自身、いくら優也の風邪が完治したとはいえ、それで縁が切れてしまうのも寂しいという思いが多少はあるのだ。
 勝手にこちらの気持ちを見透かさないでほしいと、心の中で控えめに賢吾を詰ってから、和彦はおずおずと切り出す。
「……今月は忙しいので、部屋を訪ねるのは難しいですが、電話やメールでやり取りをするぐらいなら、大丈夫です。その、優也くんさえよければ」
「それは大丈夫。優也も、楽しみにしていると言っていた」
 その優也から、昨日もさんざん憎まれ口を叩かれたのだが――。
 和彦は苦笑を洩らしつつ頷く。宮森としては、とにかく優也が他人と関わることに前向きだと捉えているのだろう。
 気を取り直してチョコレートケーキをまた一口食べて、ようやく和彦はこう呟くことができた。
 美味しい、と。

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