血と束縛と

北川とも

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第43話

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「してないよ。さすがに呼び捨ては……。総和会の領分に入ったら、悔しいけど南郷とは天と地ほども立場が違う。俺は後ろ盾があるから、総和会の中でも堂々歩けて、南郷も恭しく接してくるけどさ」
 ここまで話したところで、組員が廊下を渡ってくる。どうやら和彦を探していたらしく、こちらの姿を認めると、ススッと側にやってきた。
「申し訳ありません。お話し中。――先生、お風呂の用意ができてますが」
 客間に着替えを取りに行く途中だったことを思い出し、すぐに向かうと応じる。
「じゃあ、千尋、あとでな」
 和彦が行こうとすると、背後から千尋がどこか投げ遣りな口調で言った。
「第二遊撃隊の若い奴から聞いたけど、南郷、ここ何日か隊員の前に姿を見せてないらしいよ。じいちゃんは何か知ってるかもね。電話で話してたから。……何企んでるんだか」
 最後の一言はどちらに向けてのものか、なんとなく聞けなかった。和彦が頷いて返すと、千尋はまた表情を一変させ、人懐こい笑顔を向けてきた。
「一人で風呂入るの寂しかったら、二階の風呂使ってもいいよ。俺がすぐにあとから飛び込んでいくから」
「……安心して、『ボス』とじっくり話してこい」
 千尋は大げさに肩を落とすと、賢吾の部屋へと向かった。




 守光が『会いたい』と言うのなら、何を差し置いても本部に顔を出すべきなのだろうが、賢吾がやや積極的に引き止めるせいもあり、それを言い訳にして和彦は行動に移せていない。
 一応、日曜日の午前中は出かける用があり、さらに午後からは、一息つく間もなく賢吾によって連れ出されてしまったため、多忙ではあったのだ。和彦は忙しい身なのだと、罪悪感を抱かなくて済むよう、賢吾は既成事実を作ってくれたのかもしれない。
 週が明けてしまえば、和彦にはクリニックの仕事があり、少なくとも日中から呼び出されることはない。もっとも、仕事終わりに有無を言わせず総和会本部に連れて行かれることは、これまで何度もあったが――。
 いつも通り、仕事終わりに迎えに来てくれた長嶺組の車の後部座席で、和彦は携帯電話の画面を眺める。
「うちのスタッフに聞いたら、人気のケーキ屋らしい。雑誌にも取り上げられてたって」
 和彦が話しかけると、助手席の組員が生まじめな口調で応じる。
「チョコレートケーキが人気らしいです。手土産用にと焼き菓子も評判がいいそうで」
「……それは組長情報か?」
 返事は、密やかな笑い声だった。和彦も小さく笑みをこぼすと、改めて携帯電話に視線を落とす。
 クリニックを出る間際に賢吾からメールが届き、お使いを頼まれたのだ。指定したケーキ屋で、まさに今話題に出たチョコレートケーキと焼き菓子を買ってきてほしいと。
 組長のためにと使い走りを買って出る組員はいくらでもいるはずなのに、なぜ自分なのかと思わなくもなかったが、何しろ賢吾からの珍しい頼まれ事だ。警戒よりも、好奇心が勝ってしまった。
 もちろんお前の分も買ってこい、というメールの一文に、現金なほど和彦の機嫌をよくしていた。
 夕食後のデザートが楽しみだと、のんびり考えているうちに、目的地に到着する。車は少し離れた場所に停めなければならないということで、ケーキ屋近くの車道脇で和彦は車を降りる。当然、護衛の組員もついてくるかと思ったが、そのまま車は行ってしまった。
 なんだか今日は変だなと首を傾げつつ、和彦はケーキ屋に足を踏み入れる。数人の女性たちが楽しそうにショーケース越しにケーキを選んでおり、その後ろに並ぶ。
 さりげなく周囲を見渡して、ゆったりとした広さのイートインコーナーが目に留まった。女性客がいるのは当然として、かっちりとしたスーツ姿の男性二人が、やけに背筋を伸ばした同じテーブルについている。
 独特の空気を放っており、特別なものを感じ取った和彦は目が離せなくなっていた。
 そのとき、ふいに背後から肩を叩かれる。護衛の組員だろうかと、特に警戒もせずに振り返った和彦は、次の瞬間、大きく目を見開いた。
「えっ、あっ……」
 よく見知っているとは言わない。ただ、会ったことのある人物が、目の前に立っていた。
「――久しぶりだ。佐伯先生」
 そう言って、長嶺組若頭の一人であり、城東会組長の肩書きを持つ男は頭を下げた。
 予想もしなかった人物の登場に和彦は軽く混乱し、動揺する。なんといっても、三田村が現在補佐として仕えている人物なのだ。自分に対する印象がどのようなものか、それをまっさきに心配せずにはいられなかった。

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