1,099 / 1,268
第43話
(2)
しおりを挟む
「長嶺の男は、土曜日でも忙しいな。悪かったな。今日は連れ回して」
「ううん。ついて回ったのは、俺だし。それに楽しかった」
帰宅したのなら、千尋もこれから入浴か夕食をとるのだろうかと思ったが、まだ仕事は終わりではないようだ。賢吾の部屋がある方向を指さして、肩を竦めた。
「ボスに、報告がある」
この呼び方は新鮮だ。和彦がくすっと笑い声を洩らすと、千尋が何かに驚いたように、顔を近づけてきた。
「千尋?」
「なんか、昼間別れたときと、和彦の雰囲気が違う。いや、顔つき、かな。キリッとしてるというか、ちょっとキツイ感じというか……」
何かあったのかと、眼差しで問われる。和彦は視線を泳がせながら、つい自分の顔に触れる。〈雄〉になった影響だと、すぐにわかった。千尋に勘づかれるということは、賢吾に至っては確信すら持っているだろう。
「まあ、ちょっと……。何か嫌なことがあったとかじゃないから、気にしないでくれ」
納得したのか、そうでないのか、ふうんと声を洩らした千尋は深く追及してはこなかった。あとで晩メシを一緒に食べようと言い置いて行こうとしたので、咄嗟に和彦は呼び止める。
自分でもどうしてそうしたのかわからなかったが、首を傾けて待つ千尋に、この際だからと切り出してみた。
「お前、昨日は総和会の本部に顔を出したんだよな?」
「うん。年末に総本部である締会の打ち合わせ。今年は俺も顔を出せと言われてるから、ちょっと勉強をしてたんだ。実は今日も」
それがどうかしたのかと返される。和彦は口ごもりかけたが、誤魔化したところで、千尋が余計に勘繰るだけだ。
「――……最近、総和会の様子はどうだ」
「どうって、ずいぶん抽象的な質問だね。何か気になることあるの?」
「えっと……、ちょこちょこと小耳に挟んだことがあるから、どうかなって」
千尋は頭を掻いて考える素振りを見せたが、すぐに大きなため息をつくと、さりげなく窓の側へと寄る。和彦も倣い、庭園灯がぼんやりと灯る中庭に、二人揃って目を向けた。
「少し、ピリピリしてるかな。オヤジも、総和会の中も。じいちゃんは何も言わないけど、オヤジが何かやったか、言ったかしたんだろうなとは思う。総本部の中でやたら、オヤジの機嫌はどうだって声かけられるしさ」
「そうか……」
「でも、オヤジと総和会の間は、いつだって緊張感みたいなものがあるから、大げさに騒ぐほどのことでもないんだよね。見慣れた人間からしたら。もしかすると、上手く誤魔化されてるだけかもしれないけど。俺が」
ガラスに反射した千尋の笑みは自嘲気味に見えたが、凝視するのははばかられた。若い千尋のプライドを、それとなく慮る。
「和彦が気にしてるのは、そういうこと?」
「う、ん。まあ……」
「おっ、まだ何か気になることあるんだ」
やっぱりいいと、その場を立ち去りたかったが、いつの間にか千尋の手が肩にかかっている。さらに、強い光を放つ目で見据えられると、見えない力に押さえ込まれたように体が動かない。眼差しで人を従わせようとするところは、他の長嶺の男たちと同じだ。
「……あの人には、会ったか?」
あの人、と小声で反芻した千尋は、言いにくそうな和彦の様子から、該当する人物に素早く見当をつけたらしい。キリッとまなじりを吊り上げ、両目が炎を孕んだ。
「それって、南郷のことだよね」
和彦が一晩、南郷と過ごしたあと、千尋は事態を把握していながら、そのことを一切匂わせてこなかった。少なくとも和彦の前では。だからこそ和彦は、千尋の中にある南郷の存在感について測りかねていたのだが、今、鮮烈な変化を目の当りにして、息を呑む。
千尋は千尋なりに、一人静かに怒りを溜め込んでいたのだ。
「オヤジの奴、俺が南郷を見た途端飛びかかるとでも思ったのか、どこに行くときよりも、本部に行く俺の護衛を厳重にするんだよ。襲われることを想定してじゃなく、人間の壁を作って、俺を閉じ込めるってわけ。……本部で暴れるほど、ガキじゃねーっての」
そんなことになっていたのかと、和彦は密かに動揺する。
「うちの組に混乱をもたらしたってことで、南郷は謹慎扱いになってるみたいだけど、仕事じゃなくても、じいちゃんの側にいることが多い男だから。俺が本部に行くときは、じいちゃんが気を回して遠ざけてるようだけどさ。さすがのオヤジも、じいちゃんの私生活で、南郷を側に置くなとは口出しできない。そういうことだよ」
「お前、まさか……、総和会の人間の前で、今みたいにあの人を呼び捨てになんて――……」
「和彦が気になるの、そこっ?」
千尋の目に宿っていた険がふっと和らぎ、不貞腐れたように唇をへの字に曲げる。しかし和彦がじっと見つめ続けると、ぼそぼそと教えてくれた。
「ううん。ついて回ったのは、俺だし。それに楽しかった」
帰宅したのなら、千尋もこれから入浴か夕食をとるのだろうかと思ったが、まだ仕事は終わりではないようだ。賢吾の部屋がある方向を指さして、肩を竦めた。
「ボスに、報告がある」
この呼び方は新鮮だ。和彦がくすっと笑い声を洩らすと、千尋が何かに驚いたように、顔を近づけてきた。
「千尋?」
「なんか、昼間別れたときと、和彦の雰囲気が違う。いや、顔つき、かな。キリッとしてるというか、ちょっとキツイ感じというか……」
何かあったのかと、眼差しで問われる。和彦は視線を泳がせながら、つい自分の顔に触れる。〈雄〉になった影響だと、すぐにわかった。千尋に勘づかれるということは、賢吾に至っては確信すら持っているだろう。
「まあ、ちょっと……。何か嫌なことがあったとかじゃないから、気にしないでくれ」
納得したのか、そうでないのか、ふうんと声を洩らした千尋は深く追及してはこなかった。あとで晩メシを一緒に食べようと言い置いて行こうとしたので、咄嗟に和彦は呼び止める。
自分でもどうしてそうしたのかわからなかったが、首を傾けて待つ千尋に、この際だからと切り出してみた。
「お前、昨日は総和会の本部に顔を出したんだよな?」
「うん。年末に総本部である締会の打ち合わせ。今年は俺も顔を出せと言われてるから、ちょっと勉強をしてたんだ。実は今日も」
それがどうかしたのかと返される。和彦は口ごもりかけたが、誤魔化したところで、千尋が余計に勘繰るだけだ。
「――……最近、総和会の様子はどうだ」
「どうって、ずいぶん抽象的な質問だね。何か気になることあるの?」
「えっと……、ちょこちょこと小耳に挟んだことがあるから、どうかなって」
千尋は頭を掻いて考える素振りを見せたが、すぐに大きなため息をつくと、さりげなく窓の側へと寄る。和彦も倣い、庭園灯がぼんやりと灯る中庭に、二人揃って目を向けた。
「少し、ピリピリしてるかな。オヤジも、総和会の中も。じいちゃんは何も言わないけど、オヤジが何かやったか、言ったかしたんだろうなとは思う。総本部の中でやたら、オヤジの機嫌はどうだって声かけられるしさ」
「そうか……」
「でも、オヤジと総和会の間は、いつだって緊張感みたいなものがあるから、大げさに騒ぐほどのことでもないんだよね。見慣れた人間からしたら。もしかすると、上手く誤魔化されてるだけかもしれないけど。俺が」
ガラスに反射した千尋の笑みは自嘲気味に見えたが、凝視するのははばかられた。若い千尋のプライドを、それとなく慮る。
「和彦が気にしてるのは、そういうこと?」
「う、ん。まあ……」
「おっ、まだ何か気になることあるんだ」
やっぱりいいと、その場を立ち去りたかったが、いつの間にか千尋の手が肩にかかっている。さらに、強い光を放つ目で見据えられると、見えない力に押さえ込まれたように体が動かない。眼差しで人を従わせようとするところは、他の長嶺の男たちと同じだ。
「……あの人には、会ったか?」
あの人、と小声で反芻した千尋は、言いにくそうな和彦の様子から、該当する人物に素早く見当をつけたらしい。キリッとまなじりを吊り上げ、両目が炎を孕んだ。
「それって、南郷のことだよね」
和彦が一晩、南郷と過ごしたあと、千尋は事態を把握していながら、そのことを一切匂わせてこなかった。少なくとも和彦の前では。だからこそ和彦は、千尋の中にある南郷の存在感について測りかねていたのだが、今、鮮烈な変化を目の当りにして、息を呑む。
千尋は千尋なりに、一人静かに怒りを溜め込んでいたのだ。
「オヤジの奴、俺が南郷を見た途端飛びかかるとでも思ったのか、どこに行くときよりも、本部に行く俺の護衛を厳重にするんだよ。襲われることを想定してじゃなく、人間の壁を作って、俺を閉じ込めるってわけ。……本部で暴れるほど、ガキじゃねーっての」
そんなことになっていたのかと、和彦は密かに動揺する。
「うちの組に混乱をもたらしたってことで、南郷は謹慎扱いになってるみたいだけど、仕事じゃなくても、じいちゃんの側にいることが多い男だから。俺が本部に行くときは、じいちゃんが気を回して遠ざけてるようだけどさ。さすがのオヤジも、じいちゃんの私生活で、南郷を側に置くなとは口出しできない。そういうことだよ」
「お前、まさか……、総和会の人間の前で、今みたいにあの人を呼び捨てになんて――……」
「和彦が気になるの、そこっ?」
千尋の目に宿っていた険がふっと和らぎ、不貞腐れたように唇をへの字に曲げる。しかし和彦がじっと見つめ続けると、ぼそぼそと教えてくれた。
35
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる