1,086 / 1,268
第42話
(23)
しおりを挟む
今夜のような出来事があると、暇なときに、などと悠長なことは言っていられない。明日にでも予約を入れておこうと、たぐり寄せたメモに書き留めておく。
ふと、客間の前に誰かやってきた気配を感じた。
障子越しにぼんやりとした影が動き、一瞬、また千尋がやってきたのかと思ったが、そうではない。そもそも足音からして違う。
「――和彦」
夜気を震わせるバリトンの響きに、和彦は小さく肩を揺らす。ざわりと全身の感覚がざわついた。
部屋に入ってきた賢吾は一目見て湯上がりだとわかる姿で、濡れ髪のうえに、浴衣の合わせから覗く肌には汗が伝い落ちている。和彦は苦い顔をする。
「そんな姿でうろうろしてたら、風邪をひくぞ」
賢吾は、剣呑とした空気を隠そうともしない。いきなり畳の上に胡坐をかくと、短く切り出した。
「何があった」
やはり、和彦の家族が本宅に押し掛けてきた事態に怒っているらしい。当然かと、反射的に顔を伏せた和彦だが、これ以上賢吾に不愉快な思いをさせられないと、なんとか口を開く。
「……兄さんは感情的になってた。抑え切れないものがあって、本宅に押し掛けてくるなんて行動に出たみたいだ」
「エリート官僚が、ヤクザの組長の家に押し掛けてくるなんざ、子供でも危険だとわかる。そこまでするぐらい感情的になるなら、やっぱり相応の理由があるだろう」
里見が関係あるとは、さすがに言えなかった。上手い言い訳も思いつかず口ごもる和彦を、賢吾はまっすぐ見つめてくる。大蛇が潜む物騒な目を、どうしても見つめ返すことはできなかった。
「すまなかった……。兄さんだけじゃなく、あんたにとって――組にとっても危険なことなのに。ぼくのせいで……」
「行動を起こしたのは、お前の兄貴だ。離れた場所にいる人間の行動にまで、お前が責任を負う必要はないだろ」
「でも、ぼくのせいだ。ぼくの存在が、兄さんを苛立たせて、怒らせる」
「だから何をされても仕方ないと?」
賢吾の声音が凄みを帯びる。
「向こうにとってお前がどんな存在だろうが関係ない。俺にとってお前は、大事で可愛いオンナだ。それをキズモノにされたら、腹も立つ」
そう言って賢吾が片手を差し出してくる。意味がわからず戸惑う和彦に向けて、今度は軽く手招きをしてきた。おずおずと這い寄ると、腕を掴まれ引っ張られた。
あごを掴み上げられ、賢吾が顔を近づけてくる。このとき本気で、首筋に喰らいつかれるのではないかと危惧したが、もちろんそんなことをされるはずもなく、首筋を食い入るように見つめられた。
「――……赤くなってるな」
賢吾は、英俊の取った行動について、しっかり報告を受けているようだ。和彦はつい賢吾から視線を逸らしていた。
「手当てはしたのか」
「大したことはない。一応冷やしたけど、水膨れはできてないし……」
「ひでーことをしやがる。コーヒーをぶっかけるなんざ」
荒事に慣れているはずの男の口から出た言葉に、つい微苦笑を浮かべる。
「熱かっただけで、痛くはなかった。……引っぱたかれたりするより、マシだ」
「お前に痛みを与え続けてきた人間が、な。そこまで取り乱していたということか」
ここで首筋に熱が触れ、和彦は身を震わせる。一瞬、さきほどかけられたコーヒーの熱さが蘇ったが、さほど高温ではなく、じわりと肌に溶け込み、心地よさを生む。賢吾の指先の熱だった。和彦は小さく喘ぐ。
「……兄さんに、ぼくのことをいろいろと吹き込んだ人がいるみたいだ。それで動揺して――」
「その、吹き込んだ人間ってのは、俺が知っている奴か?」
耳に直接注ぎ込まれる低い声に、和彦は甘い眩暈を覚える。聞かれるままなんでも答えてしまいたくなる誘惑に、なんとか抗ったが、その代わり返事ができない。ふうっ、と賢吾が息を吐き出した。
「お前の父親と兄貴の間で、情報共有が完璧には行われてないということか。そうでなかったら、今夜みたいなことにはならなかったはずだ。そして、お前の実家を引っ掻き回そうとしている奴がいる。気のせいか。俺の昔からの知り合いに、そんな悪趣味なことが好きそうな奴がいる。今はどこで何をしているのか知らねーが」
とうとう首筋に賢吾の唇が押し当てられる。和彦は声を上げると、咄嗟に身を引こうとしたが、力強い腕にしっかりと抱き込まれて動けなくなる。
「賢吾っ……」
「じっとしてろ。ひどいことはしない」
熱く濡れた舌にじっとりと首筋を舐め上げられて、鳥肌が立つ。不快さからではなく、快感を予期しての反応だが、肌に触れる息遣いに、どうしても和彦は物騒なものを感じずにはいられない。
ふと、客間の前に誰かやってきた気配を感じた。
障子越しにぼんやりとした影が動き、一瞬、また千尋がやってきたのかと思ったが、そうではない。そもそも足音からして違う。
「――和彦」
夜気を震わせるバリトンの響きに、和彦は小さく肩を揺らす。ざわりと全身の感覚がざわついた。
部屋に入ってきた賢吾は一目見て湯上がりだとわかる姿で、濡れ髪のうえに、浴衣の合わせから覗く肌には汗が伝い落ちている。和彦は苦い顔をする。
「そんな姿でうろうろしてたら、風邪をひくぞ」
賢吾は、剣呑とした空気を隠そうともしない。いきなり畳の上に胡坐をかくと、短く切り出した。
「何があった」
やはり、和彦の家族が本宅に押し掛けてきた事態に怒っているらしい。当然かと、反射的に顔を伏せた和彦だが、これ以上賢吾に不愉快な思いをさせられないと、なんとか口を開く。
「……兄さんは感情的になってた。抑え切れないものがあって、本宅に押し掛けてくるなんて行動に出たみたいだ」
「エリート官僚が、ヤクザの組長の家に押し掛けてくるなんざ、子供でも危険だとわかる。そこまでするぐらい感情的になるなら、やっぱり相応の理由があるだろう」
里見が関係あるとは、さすがに言えなかった。上手い言い訳も思いつかず口ごもる和彦を、賢吾はまっすぐ見つめてくる。大蛇が潜む物騒な目を、どうしても見つめ返すことはできなかった。
「すまなかった……。兄さんだけじゃなく、あんたにとって――組にとっても危険なことなのに。ぼくのせいで……」
「行動を起こしたのは、お前の兄貴だ。離れた場所にいる人間の行動にまで、お前が責任を負う必要はないだろ」
「でも、ぼくのせいだ。ぼくの存在が、兄さんを苛立たせて、怒らせる」
「だから何をされても仕方ないと?」
賢吾の声音が凄みを帯びる。
「向こうにとってお前がどんな存在だろうが関係ない。俺にとってお前は、大事で可愛いオンナだ。それをキズモノにされたら、腹も立つ」
そう言って賢吾が片手を差し出してくる。意味がわからず戸惑う和彦に向けて、今度は軽く手招きをしてきた。おずおずと這い寄ると、腕を掴まれ引っ張られた。
あごを掴み上げられ、賢吾が顔を近づけてくる。このとき本気で、首筋に喰らいつかれるのではないかと危惧したが、もちろんそんなことをされるはずもなく、首筋を食い入るように見つめられた。
「――……赤くなってるな」
賢吾は、英俊の取った行動について、しっかり報告を受けているようだ。和彦はつい賢吾から視線を逸らしていた。
「手当てはしたのか」
「大したことはない。一応冷やしたけど、水膨れはできてないし……」
「ひでーことをしやがる。コーヒーをぶっかけるなんざ」
荒事に慣れているはずの男の口から出た言葉に、つい微苦笑を浮かべる。
「熱かっただけで、痛くはなかった。……引っぱたかれたりするより、マシだ」
「お前に痛みを与え続けてきた人間が、な。そこまで取り乱していたということか」
ここで首筋に熱が触れ、和彦は身を震わせる。一瞬、さきほどかけられたコーヒーの熱さが蘇ったが、さほど高温ではなく、じわりと肌に溶け込み、心地よさを生む。賢吾の指先の熱だった。和彦は小さく喘ぐ。
「……兄さんに、ぼくのことをいろいろと吹き込んだ人がいるみたいだ。それで動揺して――」
「その、吹き込んだ人間ってのは、俺が知っている奴か?」
耳に直接注ぎ込まれる低い声に、和彦は甘い眩暈を覚える。聞かれるままなんでも答えてしまいたくなる誘惑に、なんとか抗ったが、その代わり返事ができない。ふうっ、と賢吾が息を吐き出した。
「お前の父親と兄貴の間で、情報共有が完璧には行われてないということか。そうでなかったら、今夜みたいなことにはならなかったはずだ。そして、お前の実家を引っ掻き回そうとしている奴がいる。気のせいか。俺の昔からの知り合いに、そんな悪趣味なことが好きそうな奴がいる。今はどこで何をしているのか知らねーが」
とうとう首筋に賢吾の唇が押し当てられる。和彦は声を上げると、咄嗟に身を引こうとしたが、力強い腕にしっかりと抱き込まれて動けなくなる。
「賢吾っ……」
「じっとしてろ。ひどいことはしない」
熱く濡れた舌にじっとりと首筋を舐め上げられて、鳥肌が立つ。不快さからではなく、快感を予期しての反応だが、肌に触れる息遣いに、どうしても和彦は物騒なものを感じずにはいられない。
34
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


朝起きたら幼なじみと番になってた。
オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。
隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた
思いつきの書き殴り
オメガバースの設定をお借りしてます
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる