血と束縛と

北川とも

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第42話

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 和彦は息を吸い込むと、覚悟を決めて車を降りる。その人物は、周囲を取り囲む組員たちの鋭い空気に憶した様子もなく、スッと和彦に歩み寄ってきた。
 門扉前を照らす屋外灯の明かりを受け、銀縁の眼鏡が冷たく光を反射する。
 和彦は、ブルッと身震いをしてから、掠れた声を発した。
「――……兄さん、どうしてここに……」
 即座に頭に浮かんだのは、俊哉がこの場所を教えたのだろうかということだった。つい、俊哉もいるのではないかと探してしまったが、それはありえないことだと気づく。
 そう、長嶺組組長の本宅に、現役官僚が押しかけてくるなど、あってはならないことだ。だが、英俊はたった一人でここにいる。
 愕然としながら和彦は、目の前にいるのは本当に英俊なのだろうかと、自問する。こんな行動は、あまりに英俊らしくない。
 もっとも、自分は兄のことなど、実は何も知らなかったのだと、最近思い知らされたばかりだが――。
「本当に、囲われ者として生活しているんだな。ヤクザに大事に守られて、いいご身分だ」
 開口一番、吐き捨てるように英俊に言われ、和彦はそっと眉をひそめる。反論できる立場でもなく、またその気もなかったため、状況の説明を求めて、英俊とともに外にいた組員に視線を向けた。
「先生に会わせろと、突然訪ねてこられたんです。ここにはいないと告げて、お帰りいただこうとしたのですが、だったら警察を呼んで中を確認するとまでおっしゃられて……。ご覧のとおり、押し問答になっていました」
 和彦は微かに震えを帯びた息を吐き出すと、迷惑をかけたと組員たちに謝る。それが気に障ったのか、英俊が目を吊り上げた。
「謝る相手が違うだろっ」
 さほど大きな声ではないものの鋭い口調に、和彦はビクリと身を震わせる。
 常に落ち着いた物腰の兄が、自分でも制御できない何かによって突き動かされているのだと悟るには、それで十分だった。不思議なもので、和彦のほうは一瞬にして冷静さを取り戻す。
「ここで立ち話をしていても、組の迷惑になる。場所を移動しよう」
「……中に入れてくれるのか」
「本気で、入りたい? 兄さんの目的は、長嶺組の組長宅の見学じゃなく、ぼくに話――面罵したいからじゃないのか。言っておくけど、組のテリトリーに入ったら、ぼくは〈敵〉から徹底的に守られることになる。兄さんはぼくを、髪の毛一本、傷つけることが許されないよ」
 露骨に挑発的な物言いをしてみると、予想通り、英俊もいくらか冷静さを取り戻したようで、冷ややかな笑みを唇の端に浮かべる。
「味方が多いと強気だな。まあ、いい。わたしは、お前と話せるなら、場所はどこでもいい」
 和彦は組員たちに、ここから離れておらず、腰を落ち着けて話ができる場所はないだろうかと尋ねる。彼らは顔を寄せ合って相談したあと、近所のファミリーレストランはどうかと提案してきた。差し迫った状況であることや、今の時間を考えると、悩む時間も惜しかった。
 和彦は組の車に、英俊は自分が運転してきた車にそれぞれ乗って、速やかにファミリーレストランへと移動した。
 正直、騒ぎを聞き付けて、いつパトカーが駆けつけるかと気が気でなかった。組にとってもよくないが、失うものが大きすぎる英俊は怖くなかったのだろうかと思う。
 大胆というより無謀。今夜の行動は、本当に英俊らしくない。だからこそ、英俊を駆り立てる何かがあったのだと考えざるをえない。
 和彦は後部座席で小さく嘆息すると、こめかみを指で押さえた。
 先に目的地に到着した和彦は、組員たちを車で待たせて一人で店内に入る。案内されたテーブルに着くと、さほど時間を置かずに英俊もやってきた。
 夕食時の混雑もすっかり落ち着いた様子の店内には、女の子のグループが顔を寄せ合って熱心に話し込んでいたり、一人で黙々と食事を掻き込んでいる男性の姿がちらほらとあるだけで、それぞれが自分たちの時間に没頭している。よく似た顔を強張らせた男が二人、ドリンクバーに立ったところで、一瞥すらくれない。
 カップにコーヒーを注いでテーブルに戻ったものの、急に引き絞られるように胃が痛くなり、とてもではないが口をつける気にはなれない。別の飲み物にすればよかったなと、ぼんやり考えているうちに、向かいの席に英俊が座った。
 ちらりと視線を上げると、英俊は眼鏡をずらし、疲れた様子で目尻を揉んでいた。和彦は思わず話しかける。
「……仕事、忙しいみたいだね」
「十二月だからな。この時期は、いつものことだ」
 英俊と他愛ない会話を交わせたことに、むず痒いような感慨を覚える。
 眼鏡をかけ直した英俊は、切りつけてくるような目で見据えてきた。
「――お前、年末年始に家に戻ってくるそうだな」

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