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第42話
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一度にしゃべりすぎたとばかりに、優也が体をくの字に曲げて咳き込む。和彦は急いで冷蔵庫からペッボトルの水を取ってくると、優也を起こして飲ませる。ようやく咳が落ち着くと、優也は大きく息を吐き出し、再びぐったりとベッドに横になった。
「――僕も、あんたと似たようなものだ」
充血した目を忙しく瞬かせながら、優也が呟く。
「ヤクザに飼われてる」
「そう、自分を卑下するような言い方しなくてもいいだろ。……少しだけ、君の事情を聞いたけど、やむをえないと思う。それに、飼われてるなんて言い方……。叔父が甥の面倒を見ているだけじゃないか」
優也は鼻で笑った。
「違う、違う。お人好しだって言われない? 佐伯先生」
「……『先生』と付けてくれるんだ」
ごほんっ、と非難がましい咳をして、優也が続ける。
「この部屋に踏み込んで、僕を強引に医者に連れて行くこともできたのに、叔父さんは、あんたを呼んだ。それだったら、普通の医者に往診を頼んでもよかったんだ。そうしなかったのは、城東会の看板をくれた長嶺組の組長に、忠義を見せるためだ。自分の身内を、そのために利用した」
「熱でうなされながら、そんな難しいことを考えていたのか。よくなるものも、よくならないぞ」
和彦の言葉から呆れたような響きを感じ取ったのか、優也が布団を頭の先まで引き上げようとしたので、慌てて引き止める。
「考えすぎだっ。……他人にあれこれ説明して、状況を取り繕う手間が惜しかったんだろう。宮森さんは」
「まあ、どうでもいいんだけど。叔父さんの、組での評価なんて。ただ、僕が、今みたいな生活を送れなくなるのは、困る」
優也の憎まれ口が本心から出ているものなのか、和彦には判断がつかない。ただ、額面通り受け取る気にはなれなかった。粗野な言葉を使う優也から、悪意らしきものは感じないからだ。
「利用しているのかもしれないが、君のことを気にかけてやってくれと頼んでくる人間もいるんだ。そう卑下したもんじゃない」
「……その頼んできた人間ってのは、ヤクザなんだろ」
「今のところぼくと君の周りには、ヤクザしかいないんだから、まあ、そうだよね」
優也は小声で何かブツブツと洩らしていたが、憎まれ口をはっきりと聞くことはできなかった。
前回よりは遥かに友好的に会話ができ、診察に対して優也が協力的であったことにひとまず満足して、和彦は体温計と聴診器を仕舞う。そして、とにかくしっかり栄養をとって、体をよく休めるよう言い含めておく。
「とにかく咳が気になる。もう少し様子を見て、咳が治まらないようなら、布団で簀巻きにしてでも病院に連れて行く。……ぼくは正直、切ったり、縫ったり、ときどき骨を削ったりはしているけど、呼吸器系の病気はあまり扱ったことがないんだ。こういうことを聞いたら君だって、専門医に診てほしくなるだろ」
「謙遜するなよ。あんたは十分、名医だと思うよ。――佐伯先生」
なんとも癇に障る言い方だ。勤務していた税理士事務所でもこの調子だったのだろうかと、聞いてみたくはなったが、好奇心は猫を殺すという、どこかの国のことわざが脳裏を過る。和彦はとりあえず、優也の皮肉にムッとしたふりをしておいた。
これで帰ると告げて、いそいそと立ち上がったところで、優也が布団の下から片手を出し、自分の頭上を指さした。
「ベッドの下に、僕のスマホが落ちている」
ベッドと壁の隙間を覗き込むと、確かにスマートフォンが落ちている。腕を伸ばしてなんとか拾い上げた和彦は、優也のてのひらに載せてやる。
「なあ、あんた、LINEやってないの? 僕、喉がこの調子だから、電話で話すより、文章でやり取りするほうが、楽なんだけど」
「……やり取り?」
「僕のかかりつけ医になったんなら、当然。病気のことだけじゃなく、いろいろと、相談したいことも出てくるかも、しれない。いちいち、叔父さんのところに話を通すの面倒だし」
かかりつけ医が欲しいなら、それこそ病院に行けばいいだろうし、個人的な相談も、他にもっと適任がいるのではないか。
何より気になるのが、組を通さずに優也と関わりを持つことが、果たして許されるのだろうかということだ。ある意味、身元はしっかりしているのだが――。
「スマホは持ってないんだ。だから、文章でやり取りしたいなら、メールだな」
「……組長のイロやってるなら、スマホぐらい、買ってもらえばいいだろ」
さきほどの意趣返しのつもりなのか、呆れたように優也に言われる。実のところ周囲からはさりげなく、スマートフォンに切り替えたらどうかと勧められてはいるのだ。かつて、和彦と同じ機種の携帯電話を購入した千尋も、仕事ではスマートフォンを使用し始めたようだ。
「――僕も、あんたと似たようなものだ」
充血した目を忙しく瞬かせながら、優也が呟く。
「ヤクザに飼われてる」
「そう、自分を卑下するような言い方しなくてもいいだろ。……少しだけ、君の事情を聞いたけど、やむをえないと思う。それに、飼われてるなんて言い方……。叔父が甥の面倒を見ているだけじゃないか」
優也は鼻で笑った。
「違う、違う。お人好しだって言われない? 佐伯先生」
「……『先生』と付けてくれるんだ」
ごほんっ、と非難がましい咳をして、優也が続ける。
「この部屋に踏み込んで、僕を強引に医者に連れて行くこともできたのに、叔父さんは、あんたを呼んだ。それだったら、普通の医者に往診を頼んでもよかったんだ。そうしなかったのは、城東会の看板をくれた長嶺組の組長に、忠義を見せるためだ。自分の身内を、そのために利用した」
「熱でうなされながら、そんな難しいことを考えていたのか。よくなるものも、よくならないぞ」
和彦の言葉から呆れたような響きを感じ取ったのか、優也が布団を頭の先まで引き上げようとしたので、慌てて引き止める。
「考えすぎだっ。……他人にあれこれ説明して、状況を取り繕う手間が惜しかったんだろう。宮森さんは」
「まあ、どうでもいいんだけど。叔父さんの、組での評価なんて。ただ、僕が、今みたいな生活を送れなくなるのは、困る」
優也の憎まれ口が本心から出ているものなのか、和彦には判断がつかない。ただ、額面通り受け取る気にはなれなかった。粗野な言葉を使う優也から、悪意らしきものは感じないからだ。
「利用しているのかもしれないが、君のことを気にかけてやってくれと頼んでくる人間もいるんだ。そう卑下したもんじゃない」
「……その頼んできた人間ってのは、ヤクザなんだろ」
「今のところぼくと君の周りには、ヤクザしかいないんだから、まあ、そうだよね」
優也は小声で何かブツブツと洩らしていたが、憎まれ口をはっきりと聞くことはできなかった。
前回よりは遥かに友好的に会話ができ、診察に対して優也が協力的であったことにひとまず満足して、和彦は体温計と聴診器を仕舞う。そして、とにかくしっかり栄養をとって、体をよく休めるよう言い含めておく。
「とにかく咳が気になる。もう少し様子を見て、咳が治まらないようなら、布団で簀巻きにしてでも病院に連れて行く。……ぼくは正直、切ったり、縫ったり、ときどき骨を削ったりはしているけど、呼吸器系の病気はあまり扱ったことがないんだ。こういうことを聞いたら君だって、専門医に診てほしくなるだろ」
「謙遜するなよ。あんたは十分、名医だと思うよ。――佐伯先生」
なんとも癇に障る言い方だ。勤務していた税理士事務所でもこの調子だったのだろうかと、聞いてみたくはなったが、好奇心は猫を殺すという、どこかの国のことわざが脳裏を過る。和彦はとりあえず、優也の皮肉にムッとしたふりをしておいた。
これで帰ると告げて、いそいそと立ち上がったところで、優也が布団の下から片手を出し、自分の頭上を指さした。
「ベッドの下に、僕のスマホが落ちている」
ベッドと壁の隙間を覗き込むと、確かにスマートフォンが落ちている。腕を伸ばしてなんとか拾い上げた和彦は、優也のてのひらに載せてやる。
「なあ、あんた、LINEやってないの? 僕、喉がこの調子だから、電話で話すより、文章でやり取りするほうが、楽なんだけど」
「……やり取り?」
「僕のかかりつけ医になったんなら、当然。病気のことだけじゃなく、いろいろと、相談したいことも出てくるかも、しれない。いちいち、叔父さんのところに話を通すの面倒だし」
かかりつけ医が欲しいなら、それこそ病院に行けばいいだろうし、個人的な相談も、他にもっと適任がいるのではないか。
何より気になるのが、組を通さずに優也と関わりを持つことが、果たして許されるのだろうかということだ。ある意味、身元はしっかりしているのだが――。
「スマホは持ってないんだ。だから、文章でやり取りしたいなら、メールだな」
「……組長のイロやってるなら、スマホぐらい、買ってもらえばいいだろ」
さきほどの意趣返しのつもりなのか、呆れたように優也に言われる。実のところ周囲からはさりげなく、スマートフォンに切り替えたらどうかと勧められてはいるのだ。かつて、和彦と同じ機種の携帯電話を購入した千尋も、仕事ではスマートフォンを使用し始めたようだ。
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