血と束縛と

北川とも

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第42話

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 賢吾には一通り説明してあるが、人手はあるのだから一人で張り切りすぎるなと釘を刺されてしまった。
 そのときのやり取りを思い出した和彦は、何かしなければと気が急いている自分の姿を自覚する。
「……のんびりするか……」
 畳の上に転がって天井を見上げていたが、一分も経たないうちに起き上がり、耳を澄ますことになる。廊下を歩く足音がこちらに近づいてくるからだ。
 まさか、と思って身を起こしかけたところで、障子の向こうから声をかけられた。
「先生、ちょっとよろしいですか」
 若い組員の声に和彦は慌てて立ち上がると、障子を開ける。目の前に二人の組員が立っており、それぞれ見覚えのある箱を抱えていた。
「それ――」
「組長に言われて、先生のマンションから運んできました」
「運んできたって……」
 組員が抱えているのは、およそ一年前、和彦が購入した組み立て式のクリスマスツリーを収めた箱だ。そして、一回りほど小さい箱には、自分で揃えた以外に、秦からプレゼントされたオーナメントが。
 何をどこに仕舞ってあるのかすら組員たちに把握されているのかと、いまさらながら思うところはあるが、それよりも気になるのは、『組長に言われて』という点だ。
「……そんなもの、どうするんだ。ここに持ってきて」
「先生は年末まで本宅に滞在するから、せっかく買ったクリスマスツリーを飾らないのはもったいない、と」
「そう、組長が言ったのか。もったいないも何も、買ったのはぼくだし、わざわざ持ってこなくてもいいだろう……」
 ぼやいたところで、クリスマスツリーはもう目の前にある。持って帰ってくれとムキになって言うのも大人げないように思え、和彦は大きく息を吐き出した。今年は出番がないだろうと諦めていたのだが、こうなっては仕方なかった。
「それで……、どこに置くんだ。みんなの目につくよう、ダイニング辺りに置くのがいいのか」
「先生のものですから、やはりこの部屋ではないかと」
 この部屋、と口中で反芻した和彦は、ほぼ自室と化している客間を振り返る。広さは十分あるので、大きめのクリスマスツリーを設置すること自体に問題はないが、重要なのは、客間は和室だということだ。
 和彦の困惑を、長嶺組の有能な組員は読み取ったようだ。妙に自信ありげな口調で言った。
「大丈夫です、先生。畳を傷めないよう、小さめのカーペットも準備してありますから」
「あー、うん……」
 組員二人は張り切っている。和室には絶対にクリスマスツリーは置かないと、頑なに言い張るつもりもない和彦は、手招きして組員を客間に入れた。


 賢吾の帰宅は遅くなると、入浴後にダイニングを覗いたところで教えられ、ふうん、と応じた和彦は顔を引っ込める。廊下を歩きながら、水を飲むつもりでダイニングに立ち寄ったことを思い出したが、引き返す気にはならなかった。
 別に、賢吾の帰りを待ちわびているわけではないのだ。誰に対してか、そんな言い訳じみたことを心の中で呟く。
 客間の障子を開けると、圧倒的存在感を放っているクリスマスツリーが視界に飛び込んでくる。人手があったおかげで、あっという間に組み立てられただけではなく、ついでだからと飾り付けまで終えてしまったのだ。
 寝るときも一緒かと、改めてクリスマスツリーを眺めていた和彦だが、なんだかおかしくなってきて、無意識のうちに唇を緩めていた。事情を知らない人間が見たら、一人ではしゃいでいると思われそうだ。
 畳の上に座り込み、ぼんやりとクリスマスツリーを見上げる。せめてクリスマスまでは、心穏やかに過ごしていたいと考えていると、廊下を歩いてくる足音が聞こえてきた。
「――和彦、今何してる?」
 誰かと思えば、千尋だ。入っていいぞと応じると、すぐに障子が開き、ジーンズに長袖シャツ姿の千尋が姿を見せた。手には缶ビールが二本。
 クリスマスツリーを見て、千尋の目がキラリと輝く。どうやら、わざわざ見物をしに来たらしい。
「うわっ、本当にある。和室にあると、違和感すげー」
 千尋がいそいそと隣に座ったが、外から帰ってきたばかりなのか、ふわりと煙草とコロンの香りが漂ってきた。和彦は千尋の肩先に顔を寄せ、鼻を鳴らす。
「あっ、煙草臭い? 俺は吸ってないんだけど、おっさんたちが容赦なく吸うもんだから、全身に染み付いたんだよ。着替えただけじゃダメだな。先に風呂入って――」
「いいよ。帰ってきたばかりで疲れてるんだろ。ここで一息ついていけばいい」
 ニッと笑った千尋が缶ビールを差し出してくる。飲みたい気分ではなかったが、せっかくなので受け取っておく。
 缶ビールに口をつけようとしたところで、邪気のない子供のような顔で千尋が提案してきた。
「ねえ、ツリーの電飾、点けていい?」
「どうしようかな……」
 案の定、千尋が捨てられた子犬のような眼差しを向けてくる。ふふっ、と笑い声を洩らした和彦は、クリスマスツリーに這い寄って電飾の電源を入れてから、部屋の電気を消す。途端に、何色もの光がクリスマスツリーを浮かび上がらせた。
 感嘆の声を上げる千尋に、和彦は尋ねる。
「本宅に、クリスマスツリーはないのか? 行事ごとを几帳面に祝っているから、なんでも揃っていそうなんだが」
「俺がガキの頃は、せがんで買ってもらったものがあったけど、いつの間にか出さなくなったなー。捨てたのかも。組としては、クリスマスよりも、年末年始の行事のほうがよっぽど大事だし」
「……別にぼくは、クリスマスを大事な行事だと思っているわけじゃないからな。なんとなく勢いで買っただけで」
「はいはい。――だけど、らしくないことするよなあ。オヤジも」
「えっ?」
 千尋が意味ありげな笑みを口元に浮かべる。
「和彦の気分が少しでも晴れるようにって、気遣った結果だよ。クリスマスツリーを運び込ませたの」
「やっぱり、そう思うか?」
「それ以外ないでしょ」
 和彦は、じっとクリスマスツリーを見つめる。胸を駆け抜けるのは甘苦しい感情で、自分でもどんな顔をすればいいのかよくわからない。
 抱えた膝にあごを乗せ、思わず心情を吐露していた。
「あんまり優しくされると、実家に帰るのが嫌……というか、怖くなってくるんだ」
「だったら、もっと優しくしようかな。和彦がはっきりと、帰りたくないって言い出すまで」
「冗談で言ってるんじゃないからな。……ぼくは実家に帰ったあと、何も変わらないでいられるんだろうか。〈元〉の生活に戻れるんだろうか――」
 ぴったりと身を寄せてきた千尋が、そっと肩を抱いてくる。
「待ってるから。和彦の家族が、こっちには戻さないって言うなら、俺が乗り込んでいくよ」
「……それは勘弁してくれ。長嶺組の大事な跡目に何かあったら、ぼくが恨まれる」
「だったら戻ってくるしかないよね」
 そう簡単な話ではないのだと、いつもなら呆れた口調で返すところだが、和彦は小さく頷いて千尋にもたれかかる。
 千尋もよくわかったうえで、言っているのだ。和彦の前でだけ子供っぽく振る舞っている青年は、末恐ろしいどころか、今でも十分食えない気質の持ち主で、もしかすると和彦よりも内面は成熟しているかもしれない。
 なんといっても、長嶺の男の一人なのだから――。
 和彦は丸まっていた背をスッと伸ばすと、缶ビールを一気に呷った。
「はーっ、自分が嫌になるっ。お前にまで弱音をこぼすなんて……」
「そういうところも可愛いけど」
 千尋がニヤニヤと笑っている。そんな顔をすると父親そっくりだなと心の中で呟いて、和彦は千尋の脇腹を小突いた。

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