血と束縛と

北川とも

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第42話

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「当然だ。自分のオンナを、一晩誘拐されたんだからな。これまでも大目に見てきたわけじゃねーが、俺に対する嫌がらせなのかどうか、まず見極めたかったんだ。……南郷は、腹の内が読めない男だ。妬み嫉みの類でバカをやるはずもない。オヤジの命令で、俺とお前を引き離そうとしているのか、と考えたこともあったが……」
「わかったのか?」
 賢吾がズイッと身を乗り出してくる。
「お前はどうだ。一晩近くにいて、あの男が何を考えてるかわかったか?」
「わかったら、あんたに話している」
「俺は、お前から南郷の刺青について聞いたとき、昔のことを思い出した。ゾッとする、嫌な記憶だ。それで考えたんだ。俺は総和会の中で、そろそろ自分の立ち位置を示すべきじゃないかと」
「どういう意味だ?」
 賢吾は不敵な笑みを浮かべた。
「誰と敵対するか、はっきりさせるってことだ」
 その言葉に頼もしさよりも、まず不安を覚えた和彦は顔を強張らせる。自分のせいで、何かとてつもないことが起きようとしているのではないかと、空恐ろしくもなる。
 そんな和彦をじっくりと眺めてから、賢吾が立ち上がり、傍らへとやってくる。どかっと隣に腰を下ろした。和彦はやや強引にあごを掴まれ、顔を上向かされる。
「そんな不安そうな顔をするな。別に、ドンパチを始めようという話じゃねーんだ。いままで、長嶺組として総和会に物申したことはあるが、俺個人としての要求をしたことはない。それをやめるだけだ。その一つが、幹部会への申し立てというわけだ」
「でも御堂さんは、多分、要求は通らないだろうって――」
「俺の行動がいろんな人間の耳に入ればいい。結果はわかっているとしてもな。御堂の奴は、正確に情報を集めているようだな。そしてそれを、どこかに煙が立たないだろうかと期待して、あちこちにばら撒く。あいつと親しくなるのはいいが、なんでも言われたことを真に受けるなよ。優しげな顔をしてるが、あいつの本性は鬼だ」
 もっとも、と続けた賢吾が、指先で頬をなぞってくる。三田村とは違う指の感触に、背筋にゾクリと甘い悪寒が走った。
「自分と同じオンナであるお前には、甘いようだが」
 賢吾が浮かべた酷薄な笑みに引き込まれそうになり、和彦は慌てて手を押しのける。そしてようやく、笠野が運んできてくれたお茶に口をつけることができた。
 ふと部屋の外に人の気配を感じて視線を向ける。賢吾はとっくに気づいていたのか、すでに立ち上がっていた。
 出かける時間となったらしく、外からの組員の声に応じた賢吾は、座椅子の背もたれにかけていたジャケットを取り上げる。主が出かけるのに自分が留まるのは気が引けて、和彦も湯呑み茶碗を手に立ち上がる。賢吾が片方の眉を動かした。
「遠慮せず、ここで過ごせばいいだろ」
「ぼくもやることがあるんだ。昨日診た患者の診察内容を、清書して組に提出しないといけないし」
「……宮森の甥っ子か。ひどい風邪だが、今のところ入院するほどじゃないということだったが」
「今朝の様子を聞いたら、熱は少しずつ下がってきているみたいだ」
 昨日の大人げないやり取りを思い出し、苦い顔となる。そんな和彦を一瞥して、ジャケットに袖を通しながら賢吾が短く笑い声を洩らした。
「なかなか気難しい性格らしいな。宮森の甥っ子は」
「何があったのか教えてもらったけど、仕方ないのかなと思う。……誰だって、きっかけ次第で自分の殻に閉じこもりたくなる」
 なぜかここで、賢吾に手荒く頭を撫でられた。
「うちの組の大事な若頭の血縁だ。甲斐甲斐しく世話を焼けとまでは言わないが、気にかけてやってくれ」
「それは……、もちろん。ぼくが診た患者だし」
 和彦の答えに満足げに頷いて、賢吾はまるで風のように部屋を出て行った。


 書類作成という一仕事を終えた和彦は、詰め所でもらった封筒にその書類を入れて、長嶺組の事務所に届けてほしいと頼んでおく。最終的には賢吾のもとに届く書類だが、組とはいっても会社組織のようなものなので、事務担当者にまず目を通してもらわないといけない。
 客間に戻り、さてこれから何をしようかと思案し、読みかけの本に手を伸ばしかけたが、何か違うなと思い直す。なんとなく手帳を開き、今月の予定を確認していた。師走らしく、クリニックのほうでも実は和彦は忙しい。
 クリニックで使用している機器のメンテナンスに、消耗品の棚卸し、業者を入れてのワックス掛けが控えており、加えて、スタッフたちとの慰労と忘年会を兼ねた食事会も予定している。年明けには開業一周年を迎えることもあり、顧客へのささやかなプレゼント選びなど、組に手伝ってもらいつつ進めてもいた。

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