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第42話
(13)
しおりを挟むしばらくベッドに転がっていた和彦は、キッチンからふんわりと漂ってくる匂いに鼻を鳴らしてから、もぞりと身じろぐ。ベッドの下に片手を伸ばしてパジャマの上着を掴み寄せると、苦労して起き上がり、なんとか着込む。
さきほどまでの激しい行為で体力の大半を使い果たしたため、ボタンを留めるだけでも億劫だ。ズボンを穿くためベッドに座り直し、それだけでも息が切れる。
和彦は、キッチンに立つ三田村の背に目を向ける。だいたいいつもの光景だった。動けない和彦のために、三田村がキッチンに立って甲斐甲斐しく何かを準備する。自分は大事にされていると実感できて、密かに気に入っている光景だ。
振り返った三田村の表情を曇らせたくなくて、なんとか呼吸を落ち着け、手櫛で髪を整える。このとき、イスの上に置いた携帯電話が目に入った。
まさか、行為に夢中になりすぎて、着信音に気づかなかったということはなかっただろうと思いつつも、腰を引きずるようにしてベッドの端に移動し、携帯電話を確認する。やはり、どこからも連絡は入っていなかった。
朝になったら優也の様子を城東会に尋ねようと、しっかりと頭に叩き込んでおく。今日のように慌ただしい時間を過ごすと、大事なことをうっかり忘れてしまいそうで、だからこそ慎重であるよう自戒する。それでなくても、夕方から三田村と一緒に過ごせて浮かれ気味だ。
そう、今日は本当に慌ただしかったのだ。午前中はのんびりと過ごしていたはずが、その後、賢吾に追い立てられるように外出してから、様々な出来事が起こった。
あっ、と意識しないまま声を上げると、さすがに三田村は聞き逃さなかったようで、肩越しに振り返った。
「どうした、先生?」
「いや……、大事なことを思い出した」
途端に三田村が眉をひそめる。
「急用なら、今からでも連れて行くが……」
「大丈夫。えーと、忘年会を兼ねた飲み会の約束を、人に伝えるのを忘れてたんだ」
「それは一大事だな」
大仰な口ぶりで応じた三田村がおかしくて、和彦はくっくと笑い声を洩らす。どうしようかなと思ったが、まだ夜更けとも言えない時間で、〈彼〉が寝ている可能性は低いだろうと考え、端的に用件を打ち込んだメールを送信しておいた。
食器棚から大きめのカップを取り出しながら、三田村がちらちらとこちらを見ている。和彦は携帯電話をイスの上に戻した。
「ぼくの飲み友達だ。飲み会の件を伝え忘れたら、恨まれそうだと思ったから」
「ヒントを出しすぎだな、先生。俺でも、メールの相手が誰かわかった」
「出しすぎって、『飲み友達』しか言ってないだろ。……どうせぼくは、友達が少ないからな」
三田村は何も言わず、またこちらに背を向けてしまう。しかしすぐに、湯気が立ちのぼるカップ二つを手にベッドへとやってきた。
差し出されたカップとスプーンを受け取り、中を見た和彦は顔を綻ばせる。さきほどからいい匂いがすると思っていたが、野菜たっぷりのミネストローネだ。
「そろそろ小腹が空いたんじゃないかと思ったんだ」
たくさん体を動かしたからな、と危うく言いかけた和彦だが、さすがにそれははしたないと思い直す。三田村が隣に腰掛けるのを待ってから、さっそく一口食べてみる。
「美味しい……」
「それは俺の手柄じゃないな。缶詰のスープを温めただけだから」
「でも、ぼくのために買い置きしてくれてたんだろ?」
三田村は優しく微笑むだけだが、返事としてはそれだけで十分だ。
和彦はゆっくりとスープを味わいながら、今月の予定について三田村と話す。昨年は、ささやかながら長嶺組の年越しの手伝いをしたりして、なかなかの充実感を得ていたのだ。
「――せっかく去年、いろいろと教えてもらったのに、今年はなんの役にも立てないな。それに、おせちも食べられない」
「笠野が、先生が年越しそばを美味しそうに食べていたと言ってた」
「ああっ、そうだ……。それも今年は食べられないんだ」
「実家では?」
そう口にした瞬間には、三田村はしまったというように顔をしかめた。和彦は軽く腕を小突く。
「そう気をつかわないでくれ。少しナーバスにはなっているけど、なんでもかんでも実家の話題を耳にするのが嫌というわけじゃないんだ。ぼくが十八年育ってきた場所だし」
三田村を安心させるため、佐伯家での年末年始の様子を少し語って聞かせる。体面を重んじる家であったため、来客の多い年末年始は、普段以上にきちんとした家庭を演じていたのだ。近所のそば屋の年越しそばを食べ、料亭に頼んだおせち料理もあった。型どおりにお年玉ももらっていた。
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