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第42話
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「わかりました」
「あと、着替えもさせてやってほしい。多分、自分ではやらないはずだから。警察を呼ぶとか威勢のいいこと言ってたけど、今は大声は出せないし、床に転がってたスマホは充電されてなかったから大丈夫だ」
細かい指示を出しながらエレベーターに乗り込み、一階へと降りる。
ふっと緊張が解けた途端、空腹を感じた。それもそのはずで、昼食をとっていなかった。きっと賢吾の予定では、買い物のあとに御堂と食事をさせるつもりだったのだろう。
味付けの濃いものが食べたいなと、あれこれメニューに思いを巡らせているうちに、エレベーターの扉が開く。降りた和彦の視界にまっさきに飛び込んできたのは、穏やかな眼差しをこちらに向ける三田村だった。
「三田村っ」
「せっかくの休みだったのに、すまなかった、先生」
三田村から発せられた謝罪の言葉に、和彦は戸惑う。すると三田村が、背後に立つ組員に軽く目配せをする。組員はこちらに頭を下げたあと、小走りでマンションを出て行った。
その後ろ姿を見送って、三田村が表情を一層和らげる。
「不思議そうな顔をしている」
「……突然目の前に現れたあんたから、すまなかったって言われたら、びっくりもするだろう」
「城東会の人間として言ったんだ。今日は土曜日だ。先生はゆっくり過ごしていたところだったんだろう?」
「それは――」
気にしていないと、ぼそぼそと答えた和彦だが、すぐにあることが気になって、三田村に詰め寄る。
「ぼくがさっき診た患者、組長の身内だと言われたんだ。組長っていうのは、城東会の、でいいんだよな?」
「そう。俺が補佐を務めている若頭のことだ」
エレベーターの前で立ち話を続けるわけにもいかず、三田村に促されるまま和彦もマンションを出る。駐車場には、城東会の組員たちだけが残っていた。
「あれっ?」
「今から俺が、先生の護衛を引き継いだ。長嶺組長に言われてのことだから、心配しなくていい」
土曜日の午後を潰してしまったことへの、賢吾なりの気遣いなのだろう。そう受け止めた和彦だが、素直には喜べない。神妙な顔で隣をうかがい見ると、三田村はまた穏やかな眼差しを向けてくる。
「俺も今日、仕事が休みだったんだが、正直時間を持て余していた。先生には悪いが、ちょうどよかった」
「そんなこと言って――……」
「先日のことも気になっていた」
『先日のこと』とは、クリニックに突然、里見が現れたことだ。三田村が駆けつけなければ自分はどうなって――いや、どうしていたか考えると、いまだに鼓動が速くなる。
あのあと和彦は、三田村によって本宅へと送り届けられた。結局、何事もなかったわけだが、素直に安堵するわけにはいかない。表と裏の世界の境界線が曖昧になったことで、自分の今の生活は容易く掻き乱されてしまうと身をもって実感したからだ。
「……里見さんにああいうことをやめさせるよう、父さんには言っておいた。組を刺激するようなまねをするなら、年末に実家に帰ることは考えさせてもらうと言っておいたから、多分、大丈夫」
「先生は?」
助手席のドアをわざわざ開けてくれながら、三田村に問われる。いつも通りのハスキーな声だが、和彦には胸が詰まるほど優しく聞こえた。
「先生は、大丈夫か?」
三田村の顔を見つめ、和彦はできるだけ自然な笑みで返す。
「ぼくは大丈夫だ。なるようにしかならないと思ったら、腹も決まった。とはいっても、気持ちが揺れるときもあるんだけど。仕事でバタバタしているほうが、ありがたいかもな。あれこれ考えなくていい」
ここでわざとらしく大きなため息をつき、顔をしかめて見せる。案の定、三田村が心配そうに顔を覗き込んできた。
「疲れたのか?」
「それより大変なことだ。……実は今、ものすごくお腹が空いているんだ」
軽く目を見開いた三田村が、冗談めかして応じた。
「それは一大事だ」
「だろ? だから――」
和彦が食べたいものをリクエストすると、三田村は車に乗り込んだあと、急いで携帯電話でどこかにかけ始める。深刻な口調で切り出した内容に、助手席で聞いていた和彦は必死に噴き出したくなるのを堪える。
まじめで優しい男は、和彦のリクエストに応えるため、他の組員にお勧めの店を聞いていたのだ。
三田村が連れてきてくれたラーメン店は、どうやら人気店らしい。和彦が水の入ったコップに口をつけながら、壁に貼られたメニューを眺めているわずかな間に、テーブル席はほぼ埋まっていた。
ただ、いいタイミングで飛び込んだらしく、注文したものはさほど待つことなく運ばれてきた。
テーブルに並んだラーメンとチャーハンに、和彦は目を輝かせる。
「炭水化物と炭水化物だ……」
「あと、着替えもさせてやってほしい。多分、自分ではやらないはずだから。警察を呼ぶとか威勢のいいこと言ってたけど、今は大声は出せないし、床に転がってたスマホは充電されてなかったから大丈夫だ」
細かい指示を出しながらエレベーターに乗り込み、一階へと降りる。
ふっと緊張が解けた途端、空腹を感じた。それもそのはずで、昼食をとっていなかった。きっと賢吾の予定では、買い物のあとに御堂と食事をさせるつもりだったのだろう。
味付けの濃いものが食べたいなと、あれこれメニューに思いを巡らせているうちに、エレベーターの扉が開く。降りた和彦の視界にまっさきに飛び込んできたのは、穏やかな眼差しをこちらに向ける三田村だった。
「三田村っ」
「せっかくの休みだったのに、すまなかった、先生」
三田村から発せられた謝罪の言葉に、和彦は戸惑う。すると三田村が、背後に立つ組員に軽く目配せをする。組員はこちらに頭を下げたあと、小走りでマンションを出て行った。
その後ろ姿を見送って、三田村が表情を一層和らげる。
「不思議そうな顔をしている」
「……突然目の前に現れたあんたから、すまなかったって言われたら、びっくりもするだろう」
「城東会の人間として言ったんだ。今日は土曜日だ。先生はゆっくり過ごしていたところだったんだろう?」
「それは――」
気にしていないと、ぼそぼそと答えた和彦だが、すぐにあることが気になって、三田村に詰め寄る。
「ぼくがさっき診た患者、組長の身内だと言われたんだ。組長っていうのは、城東会の、でいいんだよな?」
「そう。俺が補佐を務めている若頭のことだ」
エレベーターの前で立ち話を続けるわけにもいかず、三田村に促されるまま和彦もマンションを出る。駐車場には、城東会の組員たちだけが残っていた。
「あれっ?」
「今から俺が、先生の護衛を引き継いだ。長嶺組長に言われてのことだから、心配しなくていい」
土曜日の午後を潰してしまったことへの、賢吾なりの気遣いなのだろう。そう受け止めた和彦だが、素直には喜べない。神妙な顔で隣をうかがい見ると、三田村はまた穏やかな眼差しを向けてくる。
「俺も今日、仕事が休みだったんだが、正直時間を持て余していた。先生には悪いが、ちょうどよかった」
「そんなこと言って――……」
「先日のことも気になっていた」
『先日のこと』とは、クリニックに突然、里見が現れたことだ。三田村が駆けつけなければ自分はどうなって――いや、どうしていたか考えると、いまだに鼓動が速くなる。
あのあと和彦は、三田村によって本宅へと送り届けられた。結局、何事もなかったわけだが、素直に安堵するわけにはいかない。表と裏の世界の境界線が曖昧になったことで、自分の今の生活は容易く掻き乱されてしまうと身をもって実感したからだ。
「……里見さんにああいうことをやめさせるよう、父さんには言っておいた。組を刺激するようなまねをするなら、年末に実家に帰ることは考えさせてもらうと言っておいたから、多分、大丈夫」
「先生は?」
助手席のドアをわざわざ開けてくれながら、三田村に問われる。いつも通りのハスキーな声だが、和彦には胸が詰まるほど優しく聞こえた。
「先生は、大丈夫か?」
三田村の顔を見つめ、和彦はできるだけ自然な笑みで返す。
「ぼくは大丈夫だ。なるようにしかならないと思ったら、腹も決まった。とはいっても、気持ちが揺れるときもあるんだけど。仕事でバタバタしているほうが、ありがたいかもな。あれこれ考えなくていい」
ここでわざとらしく大きなため息をつき、顔をしかめて見せる。案の定、三田村が心配そうに顔を覗き込んできた。
「疲れたのか?」
「それより大変なことだ。……実は今、ものすごくお腹が空いているんだ」
軽く目を見開いた三田村が、冗談めかして応じた。
「それは一大事だ」
「だろ? だから――」
和彦が食べたいものをリクエストすると、三田村は車に乗り込んだあと、急いで携帯電話でどこかにかけ始める。深刻な口調で切り出した内容に、助手席で聞いていた和彦は必死に噴き出したくなるのを堪える。
まじめで優しい男は、和彦のリクエストに応えるため、他の組員にお勧めの店を聞いていたのだ。
三田村が連れてきてくれたラーメン店は、どうやら人気店らしい。和彦が水の入ったコップに口をつけながら、壁に貼られたメニューを眺めているわずかな間に、テーブル席はほぼ埋まっていた。
ただ、いいタイミングで飛び込んだらしく、注文したものはさほど待つことなく運ばれてきた。
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「炭水化物と炭水化物だ……」
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