血と束縛と

北川とも

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第41話

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 二人分の精で汚れた和彦の下腹部を見下ろし、ぽつりと南郷が洩らす。和彦のほうは呼吸を整えるのが精一杯で、自分の姿を気にかける余裕はない。
 南郷は、自分が脱ぎ捨てたワイシャツを掴み寄せると、惜しげもなく和彦の下腹部を拭き始めた。一瞬戸惑いはしたものの、少し前まで確かにあった屈辱や羞恥という感情は、虚脱感によって踏み潰されてしまった。
 傲慢に振る舞われた意趣返しというわけではないが、後始末は南郷に任せることにする。
「暑い……」
 いまさら暖房の効きが気になり、つい声が洩れる。眉を跳ね上げて反応した南郷が、くっくと喉を鳴らした。
「そりゃあ、あれだけ燃え上がればな」
 腕を伸ばした南郷がスウェットのトレーナーを取り上げ、和彦は漫然とその様子を目で追う。太い首から胸元にかけて幾筋もの汗が伝い落ち、身じろいだ拍子に、脇腹に差した影も視界に入ってドキリとする。
 汗が、百足も濡らしていた。ゾクリとするような生気を帯び、ますます艶が増している。総毛立つほど気味が悪いと感じる一方で、どこかで心惹かれるものがあると、この瞬間、和彦は認める。
 それと同時に、南郷の脇腹に向かって手を伸ばしていた。
 意識しないまま取った自分の行動に驚いた和彦だが、一方の南郷も、何事かと怪訝そうに眉をひそめる。だが、すぐに和彦の行動の意味を察したようだった。
 伸ばしかけていた手を取られ、また脇腹へと導かれる。和彦は自分から指先を這わせていた。そんな和彦を、南郷は興味深そうに見下ろす。
「――ほらな、あんたは刺青と相性がいい。それとも、俺と相性がいいのかな」
 そう言って南郷が顔を寄せ、ベロリと目元を舐めてくる。その拍子に、ムッとするような雄の匂いが強く漂い、眩暈に襲われる。
 心も体も疲れきっているというのに、それでもまだ胸の奥から湧き起こる淫らな衝動に、和彦は、南郷でも百足でもなく、自分自身を恐ろしいと感じた。




 ウトウトしていた和彦は、急に肩を揺すられて目を開く。南郷に見下ろされていると知り、慌てて起き上がろうとしたが、狭い折り畳みベッドの上だということを失念して、危うく転げ落ちそうになった。
 すかさず南郷の腕に受け止められ、身を竦める。南郷は、じっと和彦の顔を見つめてから、眉間に皺を寄せた。
「一眠りした人間の顔じゃないな、先生」
 眠ったという意識はなかった。心身ともに疲弊しきっていたので、眠気に負けて目を閉じはしたものの、取り留めなく思考は動き続けていた。ずっと緊張状態が続いていたせいだろう。
 和彦は声を発しようとして、喉に違和感を覚える。意思に反して声がなかなか出ず、咳き込んでしまう。途端に、南郷の眉間の皺が一層深くなった。
「……寒くないよう、一晩中暖房を切らなかったし、しっかり汗も拭いて服を着せておいたんだが……、もしかして風邪か?」
 二人きりだというのに、南郷からの問いかけが自分に向けられたものだと察するのに、少しの時間を必要とした。まだ頭がぼんやりしている。
 ふと窓のほうに目を向けると、外はまだ薄暗く、完全に夜が明けているわけではないようだ。
「もう少し寝させてやりたかったが、そういうわけにもいかなくなった」
「えっ」
 ようやく発した声は掠れており、和彦はもう一度咳き込む。南郷が物言いたげな顔をしたので、首を横に振る。
「風邪じゃないです。空気が乾燥して、ちょっと声が出にくくなっているだけです」
 すぐに治ると付け加えると、ようやく南郷は腕を引いた。
 和彦はベッドに座ったまま、自分の格好を見下ろす。手が隠れるほど長い袖を軽く引っ張りながら、自分が昨夜、俊哉との食事会のあとに、元は保育所だったという場所に連れて来られた経緯や、この部屋で南郷との間にあった出来事を一つ一つ思い出していく。
 突如、脳裏に鮮やかに蘇ったのは、気味の悪い百足の姿だった。その百足が、どこに潜んでいるのかも思い出し、パッと顔を上げる。
 ようやく警戒心が戻ってきた和彦は、南郷をうかがい見る。新しいワイシャツに包まれた広い背をこちら向け、南郷はテーブルの上で何かしていたが、ふいに振り返り、濡れたタオルを差し出してきた。
「これで少しはすっきりするだろ」
 おずおずと受け取ると、温かい。わざわざ湯を準備してくれていたらしい。昨夜も感じたが、見た目から受ける粗野な印象とは違い、気遣いができる男なのだ。
「……ありがとうございます」
「かまわんさ。今は、他人から世話を焼かれることが多い俺だが、たまには、オヤジさん以外の人間の世話を焼くのも新鮮だ。あんたはなんというか、ちやほやされるのが似合っているしな」

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