血と束縛と

北川とも

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第41話

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 白いワイシャツは、南郷の体つきを生々しいほど浮かび上がらせており、肩から腕にかけての逞しさや、背の筋肉の盛り上がりを目の当たりにする。この体を使って平気で暴力を振るうのだとしたら、この男は災厄そのものだ。もちろん、和彦にとって。
 次の瞬間、頭で考えるより先に体が動いていた。転がるようにしてベッドと壁の隙間に落ちると、慌てて立ち上がる。走り出そうとしたが、一緒に床に落ちた毛布に足を取られ、転んでしまった。
「大丈夫か、先生」
 和彦は床に倒れ込んだまま、ベッドを回り込んでこちらに近づいてくる南郷の足元を見ていた。こんなことが、確か前にもあったはずだと思ったとき、その答えを南郷が口にした。
「落ち着いているようで、妙なところで間が抜けてるな。前にも……、暑くなり始めの頃だったか。あんたが自分の兄貴と会ったあと、総和会の隠れ家に身を潜めていたときにも、こんなことがあった。散歩に連れ出した俺から逃げ出して、やっぱりそうやって転んで、動けなくなっていた。あのときはひどかったな、泥だらけで。だが、あの姿は正直、ゾクゾクするほどそそられた」
 目の前に手を差し出され、仕方なく和彦は顔を上げる。逃げ道を塞がれて、どうしようもなかった。おずおずと片手を伸ばそうとすると、強い力で手首を掴まれ、引っ張られる。
 なんとか立ち上がりはしたものの、南郷との距離が近い。和彦は視線を逸らしただけでは足りず、顔を背けようとしたが、すかさずあごを掴み上げられた。南郷の顔が近づいてきて、獣じみた荒い息遣いが頬に触れる。
 喰われる、という本能的な恐怖から、呻き声を洩らしていた。
 南郷は、和彦に喰らいついたりはしなかった。代わりに、涙の滲んだ目元を、ベロリと舐めてきた。
「なあ、先生、泣いている姿を、誰に見せたことがある? これまで寝てきた男全員に見せてきたのか? それとも、特別な男だけ――、長嶺組長は? 可愛らしい跡目もいるな。あんたがご執心の三田村さんに……、クソ忌々しい刑事とか。気になるといえば、さっきあんたが泣いていた理由だ。実家が恋しくなって泣いていたんだとしたら、今後はあんたが逃げ出さないよう、いろいろ策を講じないといけないしな」
 和彦は返事をしないまま、尚も目元に唇を寄せてくる南郷の顔を押し退ける。今にも暴れ出しそうな野獣を相手にしている気分で、機嫌を損ねないよう控えめな抵抗に留めていたが、南郷が薄い笑みを浮かべたのを見て、頭に血が上った。
「……っち」
 浅黒い頬に爪を立てると、南郷が舌打ちをする。すかさず和彦は厚みのある胸を突き飛ばし、南郷がよろめいた隙に這うようにして、ベッドを乗り越え反対側へと逃れる。
 まっすぐ扉へ向かおうとしたが、数歩も行かないうちに白い物体が目の前に現れ、首にがっちりと食い込んだ。それが、ワイシャツに包まれた南郷の腕だと気づいた瞬間、和彦は足元から崩れ込みそうになった。
「あんたの爪は、少しも痛くない。患者のためにいつも短く切って、磨いているんだろう。それに俺は、面の皮が分厚いからな」
 耳元でそう囁かれ、芝居がかった下卑た笑い声が注ぎ込まれる。
「夜はまだ長い。あんたが泣いていた理由を、じっくりと聞かせてくれ。その代わり、俺のとっておきを見てみないか? もっとも、それを見たあんたが、また泣き出すかもしれないが――」
 やっと我に返った和彦は、苦しさに息を詰まらせる。南郷はわずかに腕を緩めてくれたが、逃がすつもりはないようで、腰にもう片方の腕が回され、引きずられる。スリッパが両足とも脱げてしまい、床の冷たさを素足で感じた。
「寒い……」
 思わず呟くと、南郷の耳にも届いたのか、ふいに動きが止まる。背後から、困惑気味な声が応じた。
「暖房がよく効いてるだろ、この部屋は。俺なんか、暑くて堪らないんだが」
 和彦はようやく体勢を立て直し、軽く身を捩る。その拍子にあごにかかっていた手が外れ、ほっと息を吐く。すると、すぐにまたあごを掴まれ、強引に振り向かされた。
 眼前に南郷の顔が迫り、和彦が目を見開いたときには、唇を塞がれる。
 いきなり貪るように唇を吸われ、その激しさに圧倒された和彦は抵抗はおろか、呼吸すら忘れてしまう。ただ、眩暈がするほど間近にある、獣の目を凝視していた。
 肩を引き寄せられて、逞しい両腕の中にしっかりと閉じ込められる。一気に全身を駆け巡ったのは、嫌悪感だった。和彦は咄嗟に頭を後ろに引いたが、後頭部に手がかかって引き戻される。
「や、めっ――」

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