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第41話
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「見てわかるだろうが、ここは元は保育所だった。無認可保育所っていうのか。……よくわからんが。――経営者が借金で首が回らなくなって、いろいろあって手放すことになったようだ。買い手がつきそうなら、とっとと更地にでもして売りに出すんだが、そうはいかない事情があって、何年もこのままだ」
南郷はこちらの反応など求めていないだろうと判断して、和彦は返事をしなかった。それどころではなかったというのもある。
踊り場で何げなく顔を上げて、ハッと息を詰める。正面の壁に大きな鏡があり、そこに和彦自身の姿が映っていたのだ。
今は、自分の顔は見たくなかった。視線を逸らし、その拍子に、いつの間にか立ち止まっていた南郷の背にぶつかる。またよろめくことになった和彦に、振り返った南郷は表情も変えない。何事もなかったように二人はまた階段を上がる。
「倉庫代わりに使うだけなのももったいないから、一時期は、若い連中を住まわせるかという話も出たが、この辺りは、昔から住んでいる人間が多くて、新参者は目立ちすぎる。だから、荷物を運び込むのも気を使う」
二階に着いたところで、さらに上に続く階段に気づく。屋上には何があるのだろうかと思いはしたが、わざわざ南郷に問うほどのことではない。
和彦は、手招きされるまま、三部屋並んだうちの一部屋に足を踏み入れた。
本当に保育所だったのだなと、室内を見回して改めて納得する。
オルガンやロッカー、子供サイズのテーブルやイスが壁際へとまとめて押しやられ、部屋の半分ほどを占めているが、それでも窮屈だとは感じない広さがあった。適当に片付けられた雑多さはあるが、同時に、なんともいえない物寂しさも感じる。
精神的に弱っているせいか、やけに感傷的になる和彦とは対照的に、南郷は暖房を入れて効きを確かめると、すぐに部屋を出ていく。足音からして、どうやら隣の部屋に向かったらしい。
和彦は所在なく立ち尽くしていたが、やはり外の様子が気になって、窓に近づく。分厚いカーテンの隙間から外を見ると、テラスに出られるようになっていた。南郷が出て行った扉のほうにちらりと目を向けてから、テラスへと出る。
非常時の避難路なのか、二階から庭へと下りられるよう大きな滑り台が設置されていた。
平時であったなら、さぞかし好奇心が刺激されていただろうなと、和彦は口元に淡い笑みを刻む。
「それに近づくな、先生。錆びてボロボロになっているんだ」
背後から突然声をかけられ、危うく飛び上がりそうになる。振り返ると、南郷が開いた窓から顔だけ出していた。和彦は急いで部屋に戻る。
「すみませんっ……。せっかく部屋を暖めていたのに」
「別に、寒いのはあんただからな」
そう応じながら南郷が、運んできた折り畳みベッドを壁際に置いて開く。
「ここが、あんたの今夜の寝床だ。不満なら、寝袋もあるが」
「……これで十分です」
「ベッドが狭いのは我慢してもらうしかないが、毛布は新しいのが何枚もあるから、必要なだけ使ってくれ。あとは、着替えか」
意外な甲斐甲斐しさを見せて南郷は再び部屋を出て行ったが、また戻ってきたとき、今度はビニールで包装された新しいスウェットスーツと、毛布を数枚持っていた。
「スウェットは、自分の替え用で買っておいたものだから、あんたには多分――、いや、絶対大きいな。小さいよりはマシだろう」
押し付けられたスウェットスーツと、ベッドの上に置かれた毛布を交互に見て、和彦は疑問を口にした。
「南郷さん、もしかして、ここで……」
「俺の隠れ家の一つだ。とはいっても、総和会の息がかかった不動産屋が管理してる物件なんだが。人の気配がないところが気に入って、仕事で遠出した帰りに、ときどきホテル代わりに使っている。そのまま、数日ズルズルと泊まり込むことも、たまに。帰って寛げる場所ってものを俺は持ってないから、気ままなものだ」
南郷がこちらを見て、皮肉っぽく唇を歪めた。
「俺は、ひとところに身を落ち着けて、寝起きができない性質だ。本部だけは別だが、あそこに住み込むわけにもいかない。いい部屋に住んで、羽振りがいいところを下の連中に見せるのも役目だと、オヤジさんには常々言われているんだが、俺みたいな男には、これがなかなか難しい」
「俺みたい、とは?」
咄嗟に出た問いかけに対して、南郷がベッドを指さす。座ったらどうだと言われて、スウェットスーツを抱えたまま和彦はぎこちなく腰かけた。
南郷はこちらの反応など求めていないだろうと判断して、和彦は返事をしなかった。それどころではなかったというのもある。
踊り場で何げなく顔を上げて、ハッと息を詰める。正面の壁に大きな鏡があり、そこに和彦自身の姿が映っていたのだ。
今は、自分の顔は見たくなかった。視線を逸らし、その拍子に、いつの間にか立ち止まっていた南郷の背にぶつかる。またよろめくことになった和彦に、振り返った南郷は表情も変えない。何事もなかったように二人はまた階段を上がる。
「倉庫代わりに使うだけなのももったいないから、一時期は、若い連中を住まわせるかという話も出たが、この辺りは、昔から住んでいる人間が多くて、新参者は目立ちすぎる。だから、荷物を運び込むのも気を使う」
二階に着いたところで、さらに上に続く階段に気づく。屋上には何があるのだろうかと思いはしたが、わざわざ南郷に問うほどのことではない。
和彦は、手招きされるまま、三部屋並んだうちの一部屋に足を踏み入れた。
本当に保育所だったのだなと、室内を見回して改めて納得する。
オルガンやロッカー、子供サイズのテーブルやイスが壁際へとまとめて押しやられ、部屋の半分ほどを占めているが、それでも窮屈だとは感じない広さがあった。適当に片付けられた雑多さはあるが、同時に、なんともいえない物寂しさも感じる。
精神的に弱っているせいか、やけに感傷的になる和彦とは対照的に、南郷は暖房を入れて効きを確かめると、すぐに部屋を出ていく。足音からして、どうやら隣の部屋に向かったらしい。
和彦は所在なく立ち尽くしていたが、やはり外の様子が気になって、窓に近づく。分厚いカーテンの隙間から外を見ると、テラスに出られるようになっていた。南郷が出て行った扉のほうにちらりと目を向けてから、テラスへと出る。
非常時の避難路なのか、二階から庭へと下りられるよう大きな滑り台が設置されていた。
平時であったなら、さぞかし好奇心が刺激されていただろうなと、和彦は口元に淡い笑みを刻む。
「それに近づくな、先生。錆びてボロボロになっているんだ」
背後から突然声をかけられ、危うく飛び上がりそうになる。振り返ると、南郷が開いた窓から顔だけ出していた。和彦は急いで部屋に戻る。
「すみませんっ……。せっかく部屋を暖めていたのに」
「別に、寒いのはあんただからな」
そう応じながら南郷が、運んできた折り畳みベッドを壁際に置いて開く。
「ここが、あんたの今夜の寝床だ。不満なら、寝袋もあるが」
「……これで十分です」
「ベッドが狭いのは我慢してもらうしかないが、毛布は新しいのが何枚もあるから、必要なだけ使ってくれ。あとは、着替えか」
意外な甲斐甲斐しさを見せて南郷は再び部屋を出て行ったが、また戻ってきたとき、今度はビニールで包装された新しいスウェットスーツと、毛布を数枚持っていた。
「スウェットは、自分の替え用で買っておいたものだから、あんたには多分――、いや、絶対大きいな。小さいよりはマシだろう」
押し付けられたスウェットスーツと、ベッドの上に置かれた毛布を交互に見て、和彦は疑問を口にした。
「南郷さん、もしかして、ここで……」
「俺の隠れ家の一つだ。とはいっても、総和会の息がかかった不動産屋が管理してる物件なんだが。人の気配がないところが気に入って、仕事で遠出した帰りに、ときどきホテル代わりに使っている。そのまま、数日ズルズルと泊まり込むことも、たまに。帰って寛げる場所ってものを俺は持ってないから、気ままなものだ」
南郷がこちらを見て、皮肉っぽく唇を歪めた。
「俺は、ひとところに身を落ち着けて、寝起きができない性質だ。本部だけは別だが、あそこに住み込むわけにもいかない。いい部屋に住んで、羽振りがいいところを下の連中に見せるのも役目だと、オヤジさんには常々言われているんだが、俺みたいな男には、これがなかなか難しい」
「俺みたい、とは?」
咄嗟に出た問いかけに対して、南郷がベッドを指さす。座ったらどうだと言われて、スウェットスーツを抱えたまま和彦はぎこちなく腰かけた。
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