血と束縛と

北川とも

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第41話

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 ここまで頑なに南郷のほうを見ないようにしていたが、静かな車内に響く南郷の息遣いがわずかに荒くなったように感じ、首筋の辺りがざわつく。巧みに殺気を操る南郷に、普段の和彦なら簡単に怯え、委縮するところだが、今夜は違う。心身ともに疲れ果て、怯える気力すら残っていなかった。
 投げ遣りな一瞥をくれると、南郷が初めて、おやっ、という表情を浮かべる。
「先生、大丈夫か? 血の気が失せて、顔が真っ白だ。調子が悪いんじゃないか」
 南郷に指摘されて、吐き気がぶり返してきた。心なしか、頭も痛い。和彦が弱っていると知った途端、南郷の目に浮かんだのは残酷な喜悦の色だった。
「さっきからずっと、動揺しているな、先生。自分の父親から苛められでもしたか? それとも、熱烈なキスシーンを俺に見られて、マズイと焦っているか?」
「――……さっきも言いましたが、南郷さんには関係ないでしょう」
「俺が見たことを、ありのまま長嶺組長に話してみようか……、なんてことを、ふと考えた。あんたに強く執着して、自由にさせているようで、がっちりと束縛している人だ。堅気の男があんたに手を出したと知ったら、どういう反応をするのか見てみたい」
 和彦が里見と連絡を取り合っていたと知ったとき、賢吾がどんな行動を取ったのかを思い出し、震え上がる。
 暴力は振るわれなかったし、怒鳴られることすらなかった。ただ、肌を針で一刺しされ、淡々と諭されただけだ。それでも、賢吾の恐ろしさを骨身に叩き込まれるには十分だった。
 同時に、自分に向けられる賢吾の情の激しさと深さも知ったのだ。
 今回、里見との間に起こった出来事は、そんな賢吾を裏切ったことになるのだろうか――。
 吐き気が強くなる。和彦が口元を手で覆うと、さすがに南郷も眉をひそめて身を乗り出してきた。
「気分が悪いなら、車を停めさせようか?」
 和彦は返事をせず、車内から周囲を見回す。決断するのは早かった。
 ゆっくりと口元から手を離して、大きく深呼吸をする。
「この辺りで車を停めて、ぼくを降ろしてください」
「それで?」
 どこかおもしろがるような口調で南郷が応じる。
「今夜は一人で過ごしたいので、ホテルに部屋を取ります。……護衛はいりません」
「一人になりたいなら、マンションに戻ってもいいんじゃないのか」
「……誰とも話したくないんです。部屋にいたら、きっと連絡が入ると思うので……」
「電話に出なきゃ出ないで、心配した長嶺の誰かがやって来る、か。過保護にされるのも、こういうときは考えものだ。とはいっても、俺はあんたのお守りをしなきゃいかん。途中で放り出したなんて知られたら、長嶺組の怖い男たちに縊り殺されかねない。さて、どうしようか?」
 興が乗ったように話す南郷を無視して、ハンドルを握る男に和彦は声をかける。
「すみません。車を停めてもらえますか。どこか店の駐車場にでも――」
「俺を無視しないでもらえるか、先生」
「だったら、ぼくの言う通りにしてください」
「いいや、聞けないな」
 和彦が睨みつけると、満足げに唇を緩めた南郷が、隊員に向かって短く指示を出した。それは意外なもので、和彦は目を丸くして南郷の横顔を凝視する。
 車は、コンビニの駐車場に入ると、あとをついてきていた護衛の車も続く。困惑していた和彦だが、車のエンジンが切られると、おずおずとシートベルトを外そうとする。すかさず、南郷に止められた。
「おっと、先生はそのままじっとしていてくれ。動くのは、俺たちだ」
「えっ?」
 南郷はのっそりと車から降りると、もう一台の車に歩み寄り、助手席のウィンドーを下ろさせる。一方的に何か命じている様子だったが、すぐに戻ってきて、今度は運転席のドアを開けさせた。ここまで運転してきた隊員に今度は耳打ちをして、意味ありげに和彦を見た。
 ひどく嫌な予感がした和彦は、ついシートベルトのバックルに手をかける。ただ、小声で打ち合わせをしながらも、南郷がこちらから視線を外さないため、それ以上動けなかった。
 その間に、前列に座る隊員たちが車を降り、入れ替わりに南郷が運転席に座る。
「ど、して……」
 再び車のエンジンがかかったところで、ようやく和彦は声を発する。
「居場所を知られず、一人で過ごしたいんだろう。だからといってあんたを、ホテルに置き去りにするわけにもいかない。ということで、いい場所がある。あんたは今夜、そこに泊まればいい。長嶺組には、上手いこと説明しておく」
「いえ、でも――」
「どうしても車を降りたいなら、今すぐ長嶺組長に連絡を取って、迎えに来てもらえばいいだけだ。そして俺は、あんたがどうしてこんなに動揺しているか、丁寧に話すことになる。第二遊撃隊の責任にされても堪らないからな」
 この男の傍らで弱音など吐くべきではなかったと後悔するが、もう遅かった。
 南郷の運転する車が道路へと出たが、背後から護衛の車がついてくる様子はない。
 和彦は何も言うことができず、降ろしてほしいと暴れる体力もなく、シートにぐったりともたれかかるしかなかった。

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