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第41話
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「今さっき言ったばかりなのに、君はまだ、おれを高潔な男だと思っているんだね」
ようやく肩から手が離れたかと思うと、スッと頬を撫でられる。和彦が顔を上げると、里見は、今度は頬を包み込むようにてのひらを押し当ててきた。冷たくなった頬に、じんわりと里見の体温が伝わってくる。
和彦は自分から、ふらりと里見に身を寄せていた。
「おれは十三年前に君と離れてからも、一度だって君を想わない日はなかった。君の姿が、記憶から薄れていくのが嫌で、最低なこともした。いや、している」
「何? 最低なことって……」
それは、と洩らして唇を引き結んだ里見だが、和彦が向ける眼差しに決意を促されたように、再び口を開いた。
「おれは、君の――」
次の瞬間、里見の言葉を遮るものがあった。まるで獣が唸ったような、獰猛な声が割って入ったのだ。
「これから駆け落ちでもしようかって雰囲気だな、お二人さん」
和彦と里見は、声がしたほうを同時に見る。いつからいたのか、坂を下った先に南郷が立っていた。威嚇するように荒々しい空気を振り撒いており、明らかに気が立っている。
里見がさりげなく片腕で、和彦を庇う。南郷がどういう人種の男なのか、一目で見抜いたようだ。一方の南郷は、身を寄せ合う和彦と里見の姿に、不快げに顔を歪めた。初めて見せる表情だ。
「まさか、ここからこっそり抜け出そうと、事前に決めていたのか?」
そう問いかけてきながら、南郷がゆっくりと坂を上がってくる。睨め付けるような視線が里見に向けられ、ざわりと総毛立った和彦は、慌てて里見と南郷の間に立った。
「そんなことしてませんっ。ただ、ここで立ち話をしていただけです」
「総和会には、こんな男が同席するなんて連絡は入っていなかった。意図的に隠していたということだ。――で、そんなあんたらの話を信じろと?」
目の前に立ちはだかった南郷だが、和彦ではなく、里見を見据えている。獲物として狙いを定めたのだ。対する里見は落ち着き払っており、どこか挑発するような、冷めた目で南郷を見つめ返した。
「わたしは、佐伯さんに言われて来ただけです。そんな話は聞いていないというなら、それは、あなたと佐伯さんの間の話でしょう。わたしに言われても困ります」
「だが、この先生を連れ出しちゃいけないことぐらいは、把握しているんだろう? うちの者から報告を受けなかったら、とんでもない大失態を犯すところだった。父親と食事をしていたはずの先生が、いつの間にかいなくなっていたなんてな。しかも、こんな男前と駆け落ちしたなんてことになったら……。オヤジさんと長嶺組長に詫び入れるために、俺の手足の指を全部切り落としても、足りないだろうな」
南郷が、指が全部揃っている右手を、これみよがしに突き出してくる。里見が何か言いかけたが、言葉を発したのは和彦が先だった。
「――……もしかして店の周囲を、第二遊撃隊の人に見張らせていたんですか?」
「店内にいたのは俺一人だが、当然周囲は、隊の人間をがっちり張り込ませていた。ただそのことを、あんたにバカ正直に話す必要はなかったというわけだ。あんたの父親に伝わったら、どんな手を打たれるか、わかったもんじゃない、現にこうして、男前を忍び込ませていたしな」
「でしたら、あなた方に『バカ正直』に話す必要がなかったのは、こちらも同じということですね。和彦くんを連れ去ったわけでもなく、ちょっと外で話していただけですし」
里見の皮肉交じりの反論に、傍らで聞いている和彦のほうがハラハラしてしまう。南郷が、さきほど車内で見せたように、また激高するのではないかと危惧したのだ。南郷は、短く笑って呟いた。
「和彦くん、か……」
激高したのは、里見のほうだった。突然、らしくない乱暴な動作で和彦の肩を抱き寄せ、店に戻ろうとしたのだ。
「やっぱり君を、こんな輩の側には置いておけない。靴を履き替えたら、わたしと一緒に帰ろう。佐伯さんには、あとで事情を説明することにして、今はとにかくこの場を離れるんだ」
「おいおい、勝手なことをされると困るんだが」
そう言って南郷に腕を掴まれ、和彦は驚いて声を上げる。南郷はすぐに手を放したが、なぜか里見が顔色を変えた。射殺さんばかりに南郷を睨みつけ、さらに詰め寄ろうとする。
「彼に手荒なまねをするなっ……」
辺りはひっそりと静まり返っている中、抑え気味とはいえ里見の怒声が響く。異変を察した第二遊撃隊の者が駆けつけてくるのではないかと、和彦は慌てて二人の間に割って入った。一見して筋者とわかる南郷にも怯まない里見の態度は、今は蛮勇でしかない。
「落ち着いてっ。ここで騒ぎを起こしたら、父さんとぼくが困るっ」
ようやく肩から手が離れたかと思うと、スッと頬を撫でられる。和彦が顔を上げると、里見は、今度は頬を包み込むようにてのひらを押し当ててきた。冷たくなった頬に、じんわりと里見の体温が伝わってくる。
和彦は自分から、ふらりと里見に身を寄せていた。
「おれは十三年前に君と離れてからも、一度だって君を想わない日はなかった。君の姿が、記憶から薄れていくのが嫌で、最低なこともした。いや、している」
「何? 最低なことって……」
それは、と洩らして唇を引き結んだ里見だが、和彦が向ける眼差しに決意を促されたように、再び口を開いた。
「おれは、君の――」
次の瞬間、里見の言葉を遮るものがあった。まるで獣が唸ったような、獰猛な声が割って入ったのだ。
「これから駆け落ちでもしようかって雰囲気だな、お二人さん」
和彦と里見は、声がしたほうを同時に見る。いつからいたのか、坂を下った先に南郷が立っていた。威嚇するように荒々しい空気を振り撒いており、明らかに気が立っている。
里見がさりげなく片腕で、和彦を庇う。南郷がどういう人種の男なのか、一目で見抜いたようだ。一方の南郷は、身を寄せ合う和彦と里見の姿に、不快げに顔を歪めた。初めて見せる表情だ。
「まさか、ここからこっそり抜け出そうと、事前に決めていたのか?」
そう問いかけてきながら、南郷がゆっくりと坂を上がってくる。睨め付けるような視線が里見に向けられ、ざわりと総毛立った和彦は、慌てて里見と南郷の間に立った。
「そんなことしてませんっ。ただ、ここで立ち話をしていただけです」
「総和会には、こんな男が同席するなんて連絡は入っていなかった。意図的に隠していたということだ。――で、そんなあんたらの話を信じろと?」
目の前に立ちはだかった南郷だが、和彦ではなく、里見を見据えている。獲物として狙いを定めたのだ。対する里見は落ち着き払っており、どこか挑発するような、冷めた目で南郷を見つめ返した。
「わたしは、佐伯さんに言われて来ただけです。そんな話は聞いていないというなら、それは、あなたと佐伯さんの間の話でしょう。わたしに言われても困ります」
「だが、この先生を連れ出しちゃいけないことぐらいは、把握しているんだろう? うちの者から報告を受けなかったら、とんでもない大失態を犯すところだった。父親と食事をしていたはずの先生が、いつの間にかいなくなっていたなんてな。しかも、こんな男前と駆け落ちしたなんてことになったら……。オヤジさんと長嶺組長に詫び入れるために、俺の手足の指を全部切り落としても、足りないだろうな」
南郷が、指が全部揃っている右手を、これみよがしに突き出してくる。里見が何か言いかけたが、言葉を発したのは和彦が先だった。
「――……もしかして店の周囲を、第二遊撃隊の人に見張らせていたんですか?」
「店内にいたのは俺一人だが、当然周囲は、隊の人間をがっちり張り込ませていた。ただそのことを、あんたにバカ正直に話す必要はなかったというわけだ。あんたの父親に伝わったら、どんな手を打たれるか、わかったもんじゃない、現にこうして、男前を忍び込ませていたしな」
「でしたら、あなた方に『バカ正直』に話す必要がなかったのは、こちらも同じということですね。和彦くんを連れ去ったわけでもなく、ちょっと外で話していただけですし」
里見の皮肉交じりの反論に、傍らで聞いている和彦のほうがハラハラしてしまう。南郷が、さきほど車内で見せたように、また激高するのではないかと危惧したのだ。南郷は、短く笑って呟いた。
「和彦くん、か……」
激高したのは、里見のほうだった。突然、らしくない乱暴な動作で和彦の肩を抱き寄せ、店に戻ろうとしたのだ。
「やっぱり君を、こんな輩の側には置いておけない。靴を履き替えたら、わたしと一緒に帰ろう。佐伯さんには、あとで事情を説明することにして、今はとにかくこの場を離れるんだ」
「おいおい、勝手なことをされると困るんだが」
そう言って南郷に腕を掴まれ、和彦は驚いて声を上げる。南郷はすぐに手を放したが、なぜか里見が顔色を変えた。射殺さんばかりに南郷を睨みつけ、さらに詰め寄ろうとする。
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辺りはひっそりと静まり返っている中、抑え気味とはいえ里見の怒声が響く。異変を察した第二遊撃隊の者が駆けつけてくるのではないかと、和彦は慌てて二人の間に割って入った。一見して筋者とわかる南郷にも怯まない里見の態度は、今は蛮勇でしかない。
「落ち着いてっ。ここで騒ぎを起こしたら、父さんとぼくが困るっ」
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