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第41話
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里見の真意はわかっているつもりだ。生々しい話をするのに、俊哉の耳を気にしたくないということだ。和彦も同じ気持ちではあるが、逡巡する。
今晩は俊哉と二人で話をするために場が設けられたはずなのに、里見がいて、さらに部屋を抜け出そうというのだ。俊哉の反応も気になるが、それ以上に、南郷に知られたときが怖い。
「佐伯さんには事前に相談して許可はもらったし、店にも協力を取り付けてある。ここは、いろんな立場の人間が密談で使っている店だ。抜け出してもバレないはずだ」
里見にここまで言われて、結局和彦は頷いていた。
取られた手を引かれるまま、里見が待機していた部屋から、来たときとは違う廊下へと出る。客同士が顔を合わせないよう、かなり配慮した造りになっているようだ。
廊下を通っていくと、狭い玄関へと出る。隣には板場があるらしく、威勢のいい声がときおり聞こえ、仲居も出入りしているが、客である和彦と里見の姿を見ても、驚くでもなく会釈をして通り過ぎていく。こっそりと客がここから出入りすることに、どうやら慣れているらしい。
並んで置かれたサンダルを履いて外に出ると、緩やかな勾配の坂があり、そこを下ると車がやっと通れるほどの道に出られる。辺りに人影はおろか、通りかかる車もなく、街中だというのに非常に静かだった。
「――今なら、怖い連中に悟られることなく、君を連れ去ることができる」
坂の途中まで下りたところで、ふいに里見がそんなことを言い出す。和彦はピタリと足を止め、先を歩く里見の背を凝視した。
体つきが変わったことを、よりはっきりと感じられる後ろ姿だった。会わないままに流れた十三年という年月に思いを巡らせたが、あまり時間がないことを思い出す。
和彦は意を決して、同じ質問をもう一度里見にぶつけた。
「ぼくたちのことを、父さんに話したんだね……?」
ゆっくりと振り返った里見は微苦笑を唇の端に刻み、首を縦に動かした。
「話した。だけど、君のお父さんは――、佐伯さんは、全部知っていたよ」
思いがけない告白に、和彦は絶句する。そんな和彦の顔を、里見は気遣わしげに覗き込んでくる。
「驚いたよね。わたしは、ゾッとしたよ。君とのことをいつから気づいていたのか、思い切って尋ねたんだ。……返ってきた答えを聞いて、心底思ったんだ。この人だけは、敵に回してはいけないと」
「……父さんは、なんて言ったの」
「和彦が高校生のときに関係を持っただろう、と。あえて見逃していたのは、わたしが使い勝手のいい子守り役だったからだそうだ。君がわたしにだけ目を向けていれば、悪い遊びも覚えないし、悪い人間も近づけない。――ああ、確かに君は、いい子だった。佐伯さんの望む通りに」
自虐気味にそう言った里見だが、次の瞬間には、感傷を振り払うように毅然とした表情となる。そこから感じ取れるのは、強い決意だった。
「すべてを知っていて、それでも佐伯さんはわたしに協力を依頼してきた。君を連れ戻したいから、手を貸してほしいと。わたしも、君の今の生活をすべて知ったうえで、引き受けた。君のためなら、わたしはなんでもやる」
和彦を遠くへ行かすまいとするかのように、再び里見に肩を掴まれる。口調は穏やかだが、里見の内面に吹き荒れる感情は激しさを伴ったものなのだと、肩に食い込む指の感触で痛感していた。
引き寄せられたわけでもないのに和彦の足元はふらつき、里見へとわずかに歩み寄っていた。
これ以上近づいては、里見の求めに逆らえないという危機感が芽生えていたが、体が言うことを聞かない。まるで、十三年前までの自分に戻っていくようだった。
一気に脳裏を駆け巡ったのは、佐伯家で感じていた寂しさを紛らわすどころか、溢れるほどの情愛を注いでくれた里見との思い出だった。あのとき里見がいなければ、自分はどんな人間になっていたか、和彦には想像もつかない。
「ぼくは、里見さんに十分よくしてもらった。だから、いまさら迷惑も負担もかけたくないよ。父さんの命令だからって、危険を冒してまで――」
「わたしは後悔している。こんなことになるぐらいなら、君が大学生になろうが、大人になろうが、身を引くべきじゃなかった。狭量な男が、持ってもいない寛容さと、物分かりのよさを君に見せたくて、愚かなことをした。……広い世界に出て、他人を惹きつける君の姿を見たくなかったんだ。きっとわたし――おれは、捨てられると思ったから」
里見はそんなことを考えていたのかと、和彦は静かな衝撃を受ける。
今晩は俊哉と二人で話をするために場が設けられたはずなのに、里見がいて、さらに部屋を抜け出そうというのだ。俊哉の反応も気になるが、それ以上に、南郷に知られたときが怖い。
「佐伯さんには事前に相談して許可はもらったし、店にも協力を取り付けてある。ここは、いろんな立場の人間が密談で使っている店だ。抜け出してもバレないはずだ」
里見にここまで言われて、結局和彦は頷いていた。
取られた手を引かれるまま、里見が待機していた部屋から、来たときとは違う廊下へと出る。客同士が顔を合わせないよう、かなり配慮した造りになっているようだ。
廊下を通っていくと、狭い玄関へと出る。隣には板場があるらしく、威勢のいい声がときおり聞こえ、仲居も出入りしているが、客である和彦と里見の姿を見ても、驚くでもなく会釈をして通り過ぎていく。こっそりと客がここから出入りすることに、どうやら慣れているらしい。
並んで置かれたサンダルを履いて外に出ると、緩やかな勾配の坂があり、そこを下ると車がやっと通れるほどの道に出られる。辺りに人影はおろか、通りかかる車もなく、街中だというのに非常に静かだった。
「――今なら、怖い連中に悟られることなく、君を連れ去ることができる」
坂の途中まで下りたところで、ふいに里見がそんなことを言い出す。和彦はピタリと足を止め、先を歩く里見の背を凝視した。
体つきが変わったことを、よりはっきりと感じられる後ろ姿だった。会わないままに流れた十三年という年月に思いを巡らせたが、あまり時間がないことを思い出す。
和彦は意を決して、同じ質問をもう一度里見にぶつけた。
「ぼくたちのことを、父さんに話したんだね……?」
ゆっくりと振り返った里見は微苦笑を唇の端に刻み、首を縦に動かした。
「話した。だけど、君のお父さんは――、佐伯さんは、全部知っていたよ」
思いがけない告白に、和彦は絶句する。そんな和彦の顔を、里見は気遣わしげに覗き込んでくる。
「驚いたよね。わたしは、ゾッとしたよ。君とのことをいつから気づいていたのか、思い切って尋ねたんだ。……返ってきた答えを聞いて、心底思ったんだ。この人だけは、敵に回してはいけないと」
「……父さんは、なんて言ったの」
「和彦が高校生のときに関係を持っただろう、と。あえて見逃していたのは、わたしが使い勝手のいい子守り役だったからだそうだ。君がわたしにだけ目を向けていれば、悪い遊びも覚えないし、悪い人間も近づけない。――ああ、確かに君は、いい子だった。佐伯さんの望む通りに」
自虐気味にそう言った里見だが、次の瞬間には、感傷を振り払うように毅然とした表情となる。そこから感じ取れるのは、強い決意だった。
「すべてを知っていて、それでも佐伯さんはわたしに協力を依頼してきた。君を連れ戻したいから、手を貸してほしいと。わたしも、君の今の生活をすべて知ったうえで、引き受けた。君のためなら、わたしはなんでもやる」
和彦を遠くへ行かすまいとするかのように、再び里見に肩を掴まれる。口調は穏やかだが、里見の内面に吹き荒れる感情は激しさを伴ったものなのだと、肩に食い込む指の感触で痛感していた。
引き寄せられたわけでもないのに和彦の足元はふらつき、里見へとわずかに歩み寄っていた。
これ以上近づいては、里見の求めに逆らえないという危機感が芽生えていたが、体が言うことを聞かない。まるで、十三年前までの自分に戻っていくようだった。
一気に脳裏を駆け巡ったのは、佐伯家で感じていた寂しさを紛らわすどころか、溢れるほどの情愛を注いでくれた里見との思い出だった。あのとき里見がいなければ、自分はどんな人間になっていたか、和彦には想像もつかない。
「ぼくは、里見さんに十分よくしてもらった。だから、いまさら迷惑も負担もかけたくないよ。父さんの命令だからって、危険を冒してまで――」
「わたしは後悔している。こんなことになるぐらいなら、君が大学生になろうが、大人になろうが、身を引くべきじゃなかった。狭量な男が、持ってもいない寛容さと、物分かりのよさを君に見せたくて、愚かなことをした。……広い世界に出て、他人を惹きつける君の姿を見たくなかったんだ。きっとわたし――おれは、捨てられると思ったから」
里見はそんなことを考えていたのかと、和彦は静かな衝撃を受ける。
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