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第40話
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「今ので、俺はますますあんたに怖がられたな。最初から嫌われてはいたが」
当て擦りのようなことを言いながら南郷は、明らかに和彦の反応を楽しんでいた。お守りどころか、南郷自身が、和彦の脅威となっているのだ。だからといって、車から降りるわけにもいかない。
早く目的地に着かないだろうかと一瞬願い、そんな自分に気づいてゾッとする。一方の南郷は、和彦を言葉で嬲って満足したのか、前列に座る男たちに短く指示を出したあと、ふうっと息を吐いてシートに身を預けた。
前回同様、車がどこに向かっているのか、和彦は知らない。南郷は何も言わないし、また聞こうとも思わない。
俊哉に関わることでは、どうしようもない無力感と諦観が、和彦を支配する。それでもなんとか自分を保ち、ささやかな抵抗ができるのは、情愛を注いでくれる男たちの存在のおかげだ。その熱さと甘さと狂おしさを知ってしまったら、失うことなど考えられなかった。
だから、今晩も抗うのだ――。
和彦は、膝の上に置いた手を、硬く握り締めた。
人目のない場所で、二人きりで語り合いたいと伝えられた時点で、会える場所は限られてくる。互いに仕事を終えてからという時間も考えれば、喉を通るかはともかく食事をしないわけにもいかない。
あれこれと想定はしていたため、南郷の案内によって、裏路地にひっそりと佇む料亭に連れて来られても、驚きはなかった。
玄関へと続く露地を歩いていると、きれいに剪定された南天の木が目に入る。樹木に詳しくない和彦だが、印象的な実ぐらいは知っている。すっかり日が落ち、屋外灯の明かりがぼんやりと辺りを照らす中、南天の実の赤さはハッとするほど鮮やかだった。つい目を奪われ、歩調を緩めかけると、気配を察したように南郷が振り返った。
「――先生」
南郷は、建物の外で待っているのかと思ったが、和彦と一緒に暖簾をくぐって玄関に入り、しかも靴まで脱ぎ始めた。物言いたげ――というより非難の眼差しを向ける和彦に対し、南郷はふざけたように軽く肩を竦める。
「あいにくだが、部屋の近くで待機していろと、オヤジさんから言われている。どんな輩が駆け込んでくるかわからないからな。いざとなれば俺が身を挺して、あんたたち父子を守る」
どこまで本気で言っているのかと、和彦は暗然とした気分で思う。怒りも湧かなかった。総和会が恐れているのは、和彦が俊哉によって連れ戻される事態で、『駆け込んでくる輩』がいるとすれば、それは南郷を排除しようとする人間だ。
暗に、余計なことはするなと釘を刺しているのかもしれない。和彦ではなく、俊哉に対して。
入り組んだ廊下を通り、部屋へと案内される。引き戸が開けられて室内を目にした和彦は、胃がキリキリと痛むのを感じた。
まさに、密談のためのこじんまりとした部屋だった。さほど大きくない座卓が部屋の中央に置かれ、向き合って座った相手と顔を寄せ合い、声を潜めて話したとしても、十分聞こえるだろう。
設けられた座椅子の一つには、すでに俊哉がついていた。まるで上等な置き物のような端然とした姿で、背筋を伸ばし、グラスを手にしている。
仲居がコートを掛けている間に、ぎこちなく向かいの席につく。南郷は引き戸の傍らに立ち、興味深そうに俊哉を眺めていた。俊哉は一瞬だけ、煩わしげに眉をひそめてから、これ以上なく冷やかな一瞥を南郷に投げかけた。
「父子の語らいの時間だ。別室を用意してあるから、そこで待機していてくれないか」
南郷は余計なことは言わず、頭を下げた。ただ頭を上げたとき、何が気になったのか、部屋の奥を見遣り、スッと目を細めた。そこにあるのは襖で、その向こうにはもう一部屋あるのかもしれない。
南郷が身を引き、姿が見えなくなる。すぐに料理を運ばせるという仲居の言葉に、俊哉は眼差しすら和らげ、にこやかな表情で応じた。
料理が並ぶ間、俊哉は当たり障りのない世間話をしていた。省庁の若い部下の優秀さを褒め、佐伯家の遠戚の結婚話を喜ばしいと語り――。
俊哉自身にとって欠片ほどの関心もないからこそ、耳当たりのいい言葉を惜しまないのは、昔からだった。
仲居が部屋を出て、静かに引き戸が閉まると、前置きもなく俊哉が切り出した。
「――英俊が、何か感じているようだ」
「何か、って?」
「わたしとお前が、すでに接触しているんじゃないかと勘繰っている」
グラスに口をつけようとしていた和彦は思わず動きを止める。俊哉から言われたことを頭の中で反芻したおかげで、驚くまでに十秒ほど要してしまった。
「兄さんに、言ってなかったのか……」
当て擦りのようなことを言いながら南郷は、明らかに和彦の反応を楽しんでいた。お守りどころか、南郷自身が、和彦の脅威となっているのだ。だからといって、車から降りるわけにもいかない。
早く目的地に着かないだろうかと一瞬願い、そんな自分に気づいてゾッとする。一方の南郷は、和彦を言葉で嬲って満足したのか、前列に座る男たちに短く指示を出したあと、ふうっと息を吐いてシートに身を預けた。
前回同様、車がどこに向かっているのか、和彦は知らない。南郷は何も言わないし、また聞こうとも思わない。
俊哉に関わることでは、どうしようもない無力感と諦観が、和彦を支配する。それでもなんとか自分を保ち、ささやかな抵抗ができるのは、情愛を注いでくれる男たちの存在のおかげだ。その熱さと甘さと狂おしさを知ってしまったら、失うことなど考えられなかった。
だから、今晩も抗うのだ――。
和彦は、膝の上に置いた手を、硬く握り締めた。
人目のない場所で、二人きりで語り合いたいと伝えられた時点で、会える場所は限られてくる。互いに仕事を終えてからという時間も考えれば、喉を通るかはともかく食事をしないわけにもいかない。
あれこれと想定はしていたため、南郷の案内によって、裏路地にひっそりと佇む料亭に連れて来られても、驚きはなかった。
玄関へと続く露地を歩いていると、きれいに剪定された南天の木が目に入る。樹木に詳しくない和彦だが、印象的な実ぐらいは知っている。すっかり日が落ち、屋外灯の明かりがぼんやりと辺りを照らす中、南天の実の赤さはハッとするほど鮮やかだった。つい目を奪われ、歩調を緩めかけると、気配を察したように南郷が振り返った。
「――先生」
南郷は、建物の外で待っているのかと思ったが、和彦と一緒に暖簾をくぐって玄関に入り、しかも靴まで脱ぎ始めた。物言いたげ――というより非難の眼差しを向ける和彦に対し、南郷はふざけたように軽く肩を竦める。
「あいにくだが、部屋の近くで待機していろと、オヤジさんから言われている。どんな輩が駆け込んでくるかわからないからな。いざとなれば俺が身を挺して、あんたたち父子を守る」
どこまで本気で言っているのかと、和彦は暗然とした気分で思う。怒りも湧かなかった。総和会が恐れているのは、和彦が俊哉によって連れ戻される事態で、『駆け込んでくる輩』がいるとすれば、それは南郷を排除しようとする人間だ。
暗に、余計なことはするなと釘を刺しているのかもしれない。和彦ではなく、俊哉に対して。
入り組んだ廊下を通り、部屋へと案内される。引き戸が開けられて室内を目にした和彦は、胃がキリキリと痛むのを感じた。
まさに、密談のためのこじんまりとした部屋だった。さほど大きくない座卓が部屋の中央に置かれ、向き合って座った相手と顔を寄せ合い、声を潜めて話したとしても、十分聞こえるだろう。
設けられた座椅子の一つには、すでに俊哉がついていた。まるで上等な置き物のような端然とした姿で、背筋を伸ばし、グラスを手にしている。
仲居がコートを掛けている間に、ぎこちなく向かいの席につく。南郷は引き戸の傍らに立ち、興味深そうに俊哉を眺めていた。俊哉は一瞬だけ、煩わしげに眉をひそめてから、これ以上なく冷やかな一瞥を南郷に投げかけた。
「父子の語らいの時間だ。別室を用意してあるから、そこで待機していてくれないか」
南郷は余計なことは言わず、頭を下げた。ただ頭を上げたとき、何が気になったのか、部屋の奥を見遣り、スッと目を細めた。そこにあるのは襖で、その向こうにはもう一部屋あるのかもしれない。
南郷が身を引き、姿が見えなくなる。すぐに料理を運ばせるという仲居の言葉に、俊哉は眼差しすら和らげ、にこやかな表情で応じた。
料理が並ぶ間、俊哉は当たり障りのない世間話をしていた。省庁の若い部下の優秀さを褒め、佐伯家の遠戚の結婚話を喜ばしいと語り――。
俊哉自身にとって欠片ほどの関心もないからこそ、耳当たりのいい言葉を惜しまないのは、昔からだった。
仲居が部屋を出て、静かに引き戸が閉まると、前置きもなく俊哉が切り出した。
「――英俊が、何か感じているようだ」
「何か、って?」
「わたしとお前が、すでに接触しているんじゃないかと勘繰っている」
グラスに口をつけようとしていた和彦は思わず動きを止める。俊哉から言われたことを頭の中で反芻したおかげで、驚くまでに十秒ほど要してしまった。
「兄さんに、言ってなかったのか……」
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