血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,024 / 1,268
第40話

(36)

しおりを挟む




 金曜日、いつものようにクリニックを閉めた和彦は、いくぶん緊張しながらエレベーターで一階へと降りる。勤務を終えてしまうと、頭を占めるのは、今日は一体、俊哉から何を言われるのだろうかということだけだ。
 いくら心の準備をしても足りない気がして、強烈な不安に襲われる。無意識に手は、ジャケットのポケットをまさぐっていた。すでに電源を切ってある携帯電話を入れてあるのだが、クリニックを出る寸前まで、賢吾と話していた。その行為が、今の和彦にとってのお守りのようなものだった。
 エントランスを抜けてビルを一歩出たところで、ぎょっとして立ち尽くす。後部座席にスモークフィルムが貼られた高級外車が停まっていた。
 唖然として立ち尽くしてしまった和彦だが、我に返ったあと、猛烈な怒りに駆られる。
 総和会から、送迎のための車を待機させておくと事前に連絡はあったが、まさかビルの目の前に停まっているとは思いもしなかったのだ。意図があるにせよ、総和会は、和彦が大事にしている領域に対して、いささか配慮に欠けている節がある。
 先日の、クリニック近くまでやってきた小野寺がそうだった。その小野寺に指示したのは、第二遊撃隊を率いる南郷だ。
 和彦は荒く息を吐き出して軽く周囲を見回し、誰もこちらを注視していないのを確認してから、足早に車に歩み寄る。すかさず後部座席のドアが中から開いた。
「どうして……」
 大柄な体を、悠然と後部座席のシートに収めている男の姿を見て、声を洩らす。
「――早く乗ったらどうだ、先生」
 空気を震わせる獰猛な声に、ビクリと肩を揺らしてから和彦は車に乗り込んだ。
 車内は程よく暖められているが、寒気を覚えて仕方ない。首に巻いたマフラーを心許ない盾に見立て、口元まで引っ張り上げる。話したくないという意思表示のつもりだが、当然のように、男――南郷には通じなかった。
「今日のあんたのお守りは、俺が任された。オヤジさんいわく、互いに最初に無難な手札を切ったあと、あんたの父親なら次は物騒な手札を切ってくるんじゃないかと言われてな。そういうことをやりそうな人物なのか?」
「……どうして、ビルの前に車を停めていたんですか? もし誰かに見られたら、困ります」
「それは悪かった」
 まったく悪いと思っていないとわかる口調で謝罪され、和彦は二の句が継げない。露骨に顔を背け、ウィンドーの向こうを流れる景色に目を向けた。
 会話する気はないという拒絶を明確に態度に示したが、かまわず南郷は話しかけてくる。
「俺が近くにいると、あんたはいつだって毛を逆立てた猫みたいな感じだが、今日は特にピリピリしているな。そんなに、自分の父親に会うのが怖いか?」
 努めて冷やかな視線を向けると、南郷は唇の端に笑みを浮かべていた。まるで嘲笑されているようだと感じ、それでなくても憂鬱な気分に拍車がかかる。
「教えてくれ、先生。前に話したが、俺は〈父親〉という存在を知らない。それが高級官僚の肩書きを持つ父親ともなると、想像も及ばないんだ」
「――……少し、黙っていてください」
 堪らず和彦が窘めると、一気に車内の空気が凍りつく。そのことに気づかないふりをして、再び外の景色に目を向けようとしたとき、聞き覚えのない携帯電話の着信音が車内に鳴り響いた。次の瞬間、和彦の隣で荒々しい気配が動いた。
 いきなり南郷が片足を上げ、助手席のシートを後ろから蹴りつけると同時に、怒鳴った。
「今回の任務についたら、終わるまで携帯の電源は切っておけと言っただろうがっ」
 まるで、獣の咆哮だった。シートの上で飛び上がらんばかりに驚いた和彦だが、すぐに今度は身を竦めて怯えていた。
 自分の前では、皮肉屋ではあるものの、慇懃なほど紳士的に振る舞っていた南郷が突然〈キレた〉ことに、衝撃を受ける。隣で聞いた怒声の凄まじい迫力は、まさに雷で打たれたようだと錯覚するほどだ。暴力にも大声にもあまり免疫がないだけに、体が極端な反応を示す。
 反射的にシートベルトを強く掴んでいた。心臓は痛いほど早打ち、呼吸が止まりそうになる。和彦は目を見開いたまま、南郷の横顔から視線を離せなくなっていた。目を合わせたくないと、本能が訴えているにもかかわらず。
 和彦の様子に気づいたのか、姿勢を直した南郷が何事もなかったように、また唇の端に笑みを浮かべた。
「すまなかった、先生。今みたいな姿は見せたくなかったんだが、ふとした拍子に、地金ってもんが出ちまう」
 返事もできず、顔を強張らせていると、途端に南郷の目に残酷な喜悦の色が浮かぶ。本人いわく、地金が出たということだろう。大仰に感心したように言われた。
「わかっているつもりだったが、やっぱり大事にされてるんだな。その様子だと、長嶺組の人間はあんたの前では荒事はなしだし、大声を出したりもしないんだろう。そう、長嶺組長が言いつけてあるってことだ。繊細で臆病なオンナを怖がらせるなと」
「……さあ、どうでしょう」

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...