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第40話
(31)
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「なんだよ、それ……。俺が心配するのも、気を使うのも、当然だろ? もしかして、迷惑って――」
「違うっ。……これは、佐伯家の問題だから、巻き込みたくないんだ。お前たち父子と、長嶺組を」
「俺たちなんて、長嶺家の問題に和彦を巻き込みまくっているけど。気になるなら、お互い様って考えたらいいじゃん。それに、今回はオヤジには言ったんだろ。……オヤジだけは巻き込んでも大丈夫って判断したんなら、悔しい。いつも俺だけガキ扱いされて、問題が起きたら報告は後回しにされることも」
この場合、なんと声をかけるのが正しいのか。逡巡した挙げ句に和彦は、すまない、と小さく謝罪する。
今にも泣き出しそうな顔をして千尋が抱きついてこようとしたが、寸前で動きを止め、急に犬のように鼻を鳴らした。
「……千尋?」
「なんか、変な匂いしない? 焦げ臭いような――」
ハッとした和彦は、千尋を置き去りにしてキッチンに駆け込む。案の定、鍋の中で牛乳が煮え立ってひどいことになっていた。呻き声を洩らして火を止める。
がっくりと肩を落としていると、まだ鼻を鳴らしながら千尋もキッチンに入ってきて、和彦の背後から鍋を覗き込む。
「これ、何しようとしてたの?」
「……眠れないから、ホットミルクを作ってたんだ」
「レンジで温めたら……」
「膜ができるから嫌だ」
「だったら鍋で作るにしても、弱火でゆっくり掻き混ぜ続けないと、結局同じでしょう。いや、焦がした分、もっと悪いのか」
そこまで言って千尋が、ニヤニヤしながら和彦を見た。
「飲みたいなら、俺が作ってあげようか?」
寸前までの緊迫した空気が一変した瞬間だった。和彦が目を丸くしたまま何も言えないでいると、千尋はさっさとダウンジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲って鍋を洗い始める。和彦はおずおずと声をかけた。
「お前、作れるのか?」
「俺がどこでバイトしてたと思ってるんだよ。ホットミルクなんて簡単、簡単。カフェのキッチンだったら、もう少し凝ったものが作れるんだけどね」
だったら頼むと言い置いて、ダウンジャケットを抱えた和彦はキッチンを出る。ダイニングでイスに腰掛けると、キッチンに立つ千尋の後ろ姿を眺めるしかなかった。
「――お前、こんな時間にやってきて、会うのはやめろとぼくを説得するつもりだったのか?」
沈黙が居心地悪くて、つい和彦は話しかける。背を向けたまま千尋が応じた。
「考えてなかった。……オヤジが、お前も聞く権利はあるからって教えてくれたんだ」
「別に、お前を邪魔者扱いしたわけじゃないからな。考えたうえで、あえて言わなかった。ただ励ましてほしいとか、支えてほしいと思うなら、みんなに言って回ってた」
「三田村にも?」
千尋に見えるはずもないのに、曖昧に笑いかける。
「そうだな」
「気にかける男が多くて大変だ」
千尋の口調から、皮肉ではなく本気でそう思っているのは伝わってくる。肯定するわけにもいかず、和彦は曖昧な言葉を洩らしていた。
ただ牛乳を温めているだけとはいえ、なかなか様になる後ろ姿を見せている千尋に、和彦は口元を緩める。荒々しい空気を振り撒きながら訪ねてきたが、どうやら落ち着いたようだ。
自分のために何かを作ってくれる人間の後ろ姿を眺めるのは、気恥かしさに胸の奥がくすぐったくなるが、つまりそれは、嬉しいということだ。
「蜂蜜はどれぐらい入れる?」
「ほんのり甘め」
「……つまり、けっこう甘めということか……」
さほど待つことなく和彦の前に、ホットミルクが注がれたカップが置かれる。ちらりと見上げた先で、千尋が得意げな顔をしている。
「どうぞ、飲んでください」
和彦はぼそぼそと礼を言うと、カップの中に息を吹きかけ、ホットミルクを一口飲む。舌の先が痺れるほど熱いが、ちょうどいい甘さに思わず笑みをこぼす。つられたように千尋も破顔し、イスに腰掛けた。
「勢い込んでやってきたけど、鍋を焦がして肩を落としている和彦を見たら、なんか力が抜けた」
「悪かったな。牛乳を温めることすらできなくて」
「それでいいよ。俺でも、役に立てるんなら」
聞きようによって卑屈とも取れる千尋の言葉に、和彦は眉をひそめる。すると千尋がやけに大人びた微笑を浮かべた。
「違うっ。……これは、佐伯家の問題だから、巻き込みたくないんだ。お前たち父子と、長嶺組を」
「俺たちなんて、長嶺家の問題に和彦を巻き込みまくっているけど。気になるなら、お互い様って考えたらいいじゃん。それに、今回はオヤジには言ったんだろ。……オヤジだけは巻き込んでも大丈夫って判断したんなら、悔しい。いつも俺だけガキ扱いされて、問題が起きたら報告は後回しにされることも」
この場合、なんと声をかけるのが正しいのか。逡巡した挙げ句に和彦は、すまない、と小さく謝罪する。
今にも泣き出しそうな顔をして千尋が抱きついてこようとしたが、寸前で動きを止め、急に犬のように鼻を鳴らした。
「……千尋?」
「なんか、変な匂いしない? 焦げ臭いような――」
ハッとした和彦は、千尋を置き去りにしてキッチンに駆け込む。案の定、鍋の中で牛乳が煮え立ってひどいことになっていた。呻き声を洩らして火を止める。
がっくりと肩を落としていると、まだ鼻を鳴らしながら千尋もキッチンに入ってきて、和彦の背後から鍋を覗き込む。
「これ、何しようとしてたの?」
「……眠れないから、ホットミルクを作ってたんだ」
「レンジで温めたら……」
「膜ができるから嫌だ」
「だったら鍋で作るにしても、弱火でゆっくり掻き混ぜ続けないと、結局同じでしょう。いや、焦がした分、もっと悪いのか」
そこまで言って千尋が、ニヤニヤしながら和彦を見た。
「飲みたいなら、俺が作ってあげようか?」
寸前までの緊迫した空気が一変した瞬間だった。和彦が目を丸くしたまま何も言えないでいると、千尋はさっさとダウンジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲って鍋を洗い始める。和彦はおずおずと声をかけた。
「お前、作れるのか?」
「俺がどこでバイトしてたと思ってるんだよ。ホットミルクなんて簡単、簡単。カフェのキッチンだったら、もう少し凝ったものが作れるんだけどね」
だったら頼むと言い置いて、ダウンジャケットを抱えた和彦はキッチンを出る。ダイニングでイスに腰掛けると、キッチンに立つ千尋の後ろ姿を眺めるしかなかった。
「――お前、こんな時間にやってきて、会うのはやめろとぼくを説得するつもりだったのか?」
沈黙が居心地悪くて、つい和彦は話しかける。背を向けたまま千尋が応じた。
「考えてなかった。……オヤジが、お前も聞く権利はあるからって教えてくれたんだ」
「別に、お前を邪魔者扱いしたわけじゃないからな。考えたうえで、あえて言わなかった。ただ励ましてほしいとか、支えてほしいと思うなら、みんなに言って回ってた」
「三田村にも?」
千尋に見えるはずもないのに、曖昧に笑いかける。
「そうだな」
「気にかける男が多くて大変だ」
千尋の口調から、皮肉ではなく本気でそう思っているのは伝わってくる。肯定するわけにもいかず、和彦は曖昧な言葉を洩らしていた。
ただ牛乳を温めているだけとはいえ、なかなか様になる後ろ姿を見せている千尋に、和彦は口元を緩める。荒々しい空気を振り撒きながら訪ねてきたが、どうやら落ち着いたようだ。
自分のために何かを作ってくれる人間の後ろ姿を眺めるのは、気恥かしさに胸の奥がくすぐったくなるが、つまりそれは、嬉しいということだ。
「蜂蜜はどれぐらい入れる?」
「ほんのり甘め」
「……つまり、けっこう甘めということか……」
さほど待つことなく和彦の前に、ホットミルクが注がれたカップが置かれる。ちらりと見上げた先で、千尋が得意げな顔をしている。
「どうぞ、飲んでください」
和彦はぼそぼそと礼を言うと、カップの中に息を吹きかけ、ホットミルクを一口飲む。舌の先が痺れるほど熱いが、ちょうどいい甘さに思わず笑みをこぼす。つられたように千尋も破顔し、イスに腰掛けた。
「勢い込んでやってきたけど、鍋を焦がして肩を落としている和彦を見たら、なんか力が抜けた」
「悪かったな。牛乳を温めることすらできなくて」
「それでいいよ。俺でも、役に立てるんなら」
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