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第40話
(20)
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龍造がきっぱりと言い切り、低く声を洩らして笑った。人によっては不快と感じる笑いかもしれないが、和彦は、奇妙な既視感に襲われる。何かと思えば、和彦にとっては馴染み深い、〈オンナ〉と関係を持つ男特有の、悪意のない傲慢さを、龍造からも感じ取ったのだ。
龍造の理屈に危うく流されそうになり、寸前のところで弱々しく抗弁する。
「それは……、伊勢崎さんの話で、玲くんの場合とは違うはずです」
「違わない。俺たちの理屈ではな。玲についても、あいつは事情を知ったうえで、自分の意思で〈オンナ〉に手を出した。悪いオヤジである俺は、そのことを利用しようとしている。現に、あんたが断れないことをわかっていて、こうして呼び出した。一度繋がった縁を断ち切らないようにな。だから佐伯先生、あんたは罪悪感なんてものを感じる必要はない。性質の悪い父子と縁を持っちまったと、むしろ舌打ちしてもいいぐらいだ」
どう返事をするべきかと、戸惑いながら御堂を見ようとして、すかさず龍造に言われた。
「言っておくが、見かけによらず、秋慈も食えない奴だぞ。俺の気質を十分知ったうえで、それでもあんたを誘ったんだ。こいつも、あんたを利用する気満々ってことだ」
龍造の言葉を肯定するように、御堂の横顔に一切の表情はなかった。和彦なりに、御堂のしたたかさは知っているつもりで、自分と同類というのもおこがましい。御堂は、極道として生きている男なのだ。
ふっと息を吐き出した和彦は、ようやく表情を和らげる。
「はい、罪悪感は捨てました。理由もわからないまま優しくされるより、利用したいと言われたほうが、すっきりします。……警戒もできますし。ぼくの警戒なんてあてにならないと、賢吾さ……、長嶺組長は、渋い顔をするかもしれませんが」
「一度、会って話してみたいもんだなあ。長嶺組長に。昔、遠目に見かけたことがあるんだが、そのときは、傍らに怖いオヤジがいて、近づくこともできなかった」
「そんなことを言いながら、もうあれこれと算段をしているんでしょう、あなたは。わたしと佐伯くんは巻き込まないでくださいね」
御堂の言葉に龍造が唇を歪めるようにして笑い、さらりとこう言った。
「約束はできんな」
「……本当に、変わってませんね。そういうところ」
「こうじゃないと、偉くはなれんぞ。――堅苦しい話はここまでだ。ほら、食ってくれ」
肉ののった皿を押し出され、和彦は顔を引き攣らせながら箸を伸ばした。
後部座席のシートに深くもたれかかった和彦は、胃の辺りを撫でさする。龍造に勧められると断るわけにもいかなかったとはいえ、今晩は明らかに食べ過ぎた。
しかし、食事会そのものは非常に和やかな雰囲気のまま終わり、駐車場で待機していた護衛たちの間でもトラブルは起きなかったということで、胃は重いものの和彦は心底安堵していた。
別れ際、龍造には玲への託けを頼むこともできた。風邪などひかないように、という他愛ないものだが、玲の存在を忘れてはいないと本人に伝わればと考えたのだ。龍造に尋ねれば、直接連絡を取ることもたやすかったが、あえてそうしなかった。春に再び玲と会えるかどうか、〈縁〉を信じてみたいからだ。
玲の気持ちが冷めてしまったというなら、それはそれで仕方がない。もし、冷めていなかったら――。
「どうなるかな……」
小さく独りごちると、その声が聞こえたのか、助手席に座る組員が振り返った。
「どうかしましたか、先生?」
「……いや、食べ過ぎて苦しくて……」
ふうっ、と大きく息を吐いて見せると、組員は口元を綻ばせる。
「食べ過ぎなのは一大事ですが、無事に食事会が終わって、よかったです」
「本当に。最初は緊張したけど、伊勢崎組長が穏やかに話す方だったし、御堂さんもいたから、なんとか会話が弾んで――」
もぞりと身じろいだ和彦は、すでにもう二人の姿はおろか、店すら見えないとわかっていながら、背後を振り返る。
和彦はこうして帰路についている途中だが、龍造と御堂はこれから場所を移して、二人きりで相談することがあるらしい。そう告げたときの龍造の表情と、御堂の微妙な態度が気になった。二人の間に漂っていたのは、隠しきれない淫靡さだ。
相談がどんなものであるか、さすがに察することができた。
互いの肩書きだけでは計り知れない力関係が龍造と御堂の間にはあり、それが裏の世界の恐ろしさを伝えてくると同時に、艶めかしさも感じてしまう。そして二人の関係に対する、抑え難い好奇心も。
中嶋のことをそれとなく御堂に話すつもりだったが、すっかりそれどころではなくなった。
和彦はもう一度大きく息を吐くと、前に向き直った。
龍造の理屈に危うく流されそうになり、寸前のところで弱々しく抗弁する。
「それは……、伊勢崎さんの話で、玲くんの場合とは違うはずです」
「違わない。俺たちの理屈ではな。玲についても、あいつは事情を知ったうえで、自分の意思で〈オンナ〉に手を出した。悪いオヤジである俺は、そのことを利用しようとしている。現に、あんたが断れないことをわかっていて、こうして呼び出した。一度繋がった縁を断ち切らないようにな。だから佐伯先生、あんたは罪悪感なんてものを感じる必要はない。性質の悪い父子と縁を持っちまったと、むしろ舌打ちしてもいいぐらいだ」
どう返事をするべきかと、戸惑いながら御堂を見ようとして、すかさず龍造に言われた。
「言っておくが、見かけによらず、秋慈も食えない奴だぞ。俺の気質を十分知ったうえで、それでもあんたを誘ったんだ。こいつも、あんたを利用する気満々ってことだ」
龍造の言葉を肯定するように、御堂の横顔に一切の表情はなかった。和彦なりに、御堂のしたたかさは知っているつもりで、自分と同類というのもおこがましい。御堂は、極道として生きている男なのだ。
ふっと息を吐き出した和彦は、ようやく表情を和らげる。
「はい、罪悪感は捨てました。理由もわからないまま優しくされるより、利用したいと言われたほうが、すっきりします。……警戒もできますし。ぼくの警戒なんてあてにならないと、賢吾さ……、長嶺組長は、渋い顔をするかもしれませんが」
「一度、会って話してみたいもんだなあ。長嶺組長に。昔、遠目に見かけたことがあるんだが、そのときは、傍らに怖いオヤジがいて、近づくこともできなかった」
「そんなことを言いながら、もうあれこれと算段をしているんでしょう、あなたは。わたしと佐伯くんは巻き込まないでくださいね」
御堂の言葉に龍造が唇を歪めるようにして笑い、さらりとこう言った。
「約束はできんな」
「……本当に、変わってませんね。そういうところ」
「こうじゃないと、偉くはなれんぞ。――堅苦しい話はここまでだ。ほら、食ってくれ」
肉ののった皿を押し出され、和彦は顔を引き攣らせながら箸を伸ばした。
後部座席のシートに深くもたれかかった和彦は、胃の辺りを撫でさする。龍造に勧められると断るわけにもいかなかったとはいえ、今晩は明らかに食べ過ぎた。
しかし、食事会そのものは非常に和やかな雰囲気のまま終わり、駐車場で待機していた護衛たちの間でもトラブルは起きなかったということで、胃は重いものの和彦は心底安堵していた。
別れ際、龍造には玲への託けを頼むこともできた。風邪などひかないように、という他愛ないものだが、玲の存在を忘れてはいないと本人に伝わればと考えたのだ。龍造に尋ねれば、直接連絡を取ることもたやすかったが、あえてそうしなかった。春に再び玲と会えるかどうか、〈縁〉を信じてみたいからだ。
玲の気持ちが冷めてしまったというなら、それはそれで仕方がない。もし、冷めていなかったら――。
「どうなるかな……」
小さく独りごちると、その声が聞こえたのか、助手席に座る組員が振り返った。
「どうかしましたか、先生?」
「……いや、食べ過ぎて苦しくて……」
ふうっ、と大きく息を吐いて見せると、組員は口元を綻ばせる。
「食べ過ぎなのは一大事ですが、無事に食事会が終わって、よかったです」
「本当に。最初は緊張したけど、伊勢崎組長が穏やかに話す方だったし、御堂さんもいたから、なんとか会話が弾んで――」
もぞりと身じろいだ和彦は、すでにもう二人の姿はおろか、店すら見えないとわかっていながら、背後を振り返る。
和彦はこうして帰路についている途中だが、龍造と御堂はこれから場所を移して、二人きりで相談することがあるらしい。そう告げたときの龍造の表情と、御堂の微妙な態度が気になった。二人の間に漂っていたのは、隠しきれない淫靡さだ。
相談がどんなものであるか、さすがに察することができた。
互いの肩書きだけでは計り知れない力関係が龍造と御堂の間にはあり、それが裏の世界の恐ろしさを伝えてくると同時に、艶めかしさも感じてしまう。そして二人の関係に対する、抑え難い好奇心も。
中嶋のことをそれとなく御堂に話すつもりだったが、すっかりそれどころではなくなった。
和彦はもう一度大きく息を吐くと、前に向き直った。
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